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情けない



昨日の日記に書いた通り、日曜日に出張で東京に来た父親と食事に行った。


楽しみの感情半分と、悲しみの感情半分の戦争行事。




両親に会うのが辛い

両親が嫌いなわけじゃないのに、両親に会うという行為は、とても辛い。
それがなぜかと言うと、今の両親は別の生き物になってしまったから。
わたしは小さい頃、両親に怒られることが多かった。勉強の成績は悪い、身体も弱いくせに、部屋で遊び始めると騒がしい。その度に、「テレビの音が聞こえない」「疲れてるんだから外で遊んでろ」と怒られた。

当たり前だ。父も母も共働きで子供を育てるのは大変なことだし、せめて土日の休みくらいはゆっくりしたいだろう。それは子供心にわかっていたし、だからわたしは朝に目が覚めてお腹が空いて、両親がお昼近くまで寝ていても我慢をしていたし、両親の娯楽であるテレビの視聴を邪魔してしまったら怒られて当然である。

本当に今まで、数えきれないほど怒られてきたはずなのに、わたしが東京に来てからというもの、たまに会う両親はやけに優しい。




わたしの知っている両親はこんな対応をしなかった


わたしが上京をしたことで、たまにしか会うことがなくなった両親は、不気味なくらい優しくなった。
昔のような感じで怒られることもなくなったし、仕事のアドバイスとか、将来のこととかを聞かれたりする。昔はそんなこと聞いて来なかったのに、わたしの両親は、わたしが会わないうちに中身が別の人に入れ替えられてしまったようだった。

それならもっと早く、なんで子供ときからわたしの話しを聞いてくれなかったの? なんでもっと一緒に遊んでくれなかったの? そんな疑問ばかりが浮かんでくる。わたしと両親が一緒に過ごした18年間、わたしがいるせいで毎日話す暇もないくらい忙しそうだったのに、どうして今は連絡くらいよこせと言われるのだろう。わたしは小さいときからずっと、ずっと、話したかったのに。




もしも願いが叶うのなら


わたしは誰かを好きにならないし、誰かに期待もしない。
その代わりにもしも願いが叶うのなら、わたしの大切な家族が、大切な人が、友達が、勝手に幸せになって、勝手に幸せのままで、わたしの届かないところで勝手に暮らしてほしい。
LINEのメッセージを開いたら、母親から母の日に送った花の写真が届いたけれど、そんなものも必要ない。わたしがわがままに、したくて勝手にしたことに、ありがとうなんて言ってほしくなかった。わたしの顔を見て、嬉しそうな顔をしてほしくなかった。18年間も一緒にいて、あんなに怒っていた両親が、今になって会うたびに笑っているのは嘘みたいだ。




わたしの居場所

わたしは今、東京の片隅でひとりでひっそりと生きている。この街では地元のようにホタルも見れなければ、気軽に友達と流星群の日に待ち合わせをして、流れ星を見ることもなくなった。だからといって地元に帰ったとしても、大震災のせいで好きだった景色の多くのものがなくなった。東京に来て今まで当たり前のように見てきたものがなくなって、東京にいる間も地元で当たり前のように見てきた多くのものがなくなった。

わたしはこれ以上、何を手放せばいいだろう、どうすれば誰にも迷惑をかけずに、ゆっくり本を読んで暮らせるのだろう。


父親と2軒目に入った居酒屋は個室ではない大衆居酒屋だったため、お客さんの様子が嫌でも目に入った。入れ替わり立ち替わり、カップルが多く目に入ったけれど、今のわたしに恋人がいなくて本当に良かったといつも思う。わたしからは何も生み出せず、大切な人を喜ばせることも、生きる才能もないわたしには、縁がないどころではなく、一生交わることのない曲線のように思え、ただただ、うらやましい。


さっきまで目の前にあったハイボールのグラスについた水滴が、頭にこびりついて離れない。

なんてことのない、最近観た映画の話しとか、読んだ本の話しとか、そんな他愛ない会話をお酒を飲みながらだらだら話したかった、それなのに、それすらも出来ない自分自身が情けない。


一つだけ言いたいことは、今日だけは、今日だけは、生きてることそのものが、命そのものが美しいって、そんな嘘みたいな言葉を信じさせてほしい。


何も出来ないわたしを許してください。



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夜野なみだ
きみのために風は吹いている そう思えるのはきみのかけがえのない生活が、日々が、 言葉となって浮かんでくるからだと思う きみが今生きていること、それを不器用でも表現していることが わたしの言葉になる 大丈夫、きみはきみのままで素敵だよ 読んでいただきありがとうございます。 夜野