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別に意見は表明しなくてもいい

炎上案件と感覚のズレ

最近、なんてことの無いものがよく燃えているなあ、と言う印象を受けることが多い。

芸能人の発言だったり、商品PRだったり、これまでだったら少数の人が嫌だなと思うくらいで済んでいたものが、社会的に燃えまくっていることが多い気がする。

特に燃えがちなのがジェンダー感についてで、献血の大炎上なんかは記憶にも新しい。

嫌だと思う人がいるのはわかる。特に昨日燃えまくっていたタイツなんかは女性向けの商品で、男性に性的に見られることを前面に出した企画がずれているのもわかる。だが、大半の人はなんとも思っていないんじゃ無いかと思ってしまう自分がいる

かなりジェンダーに敏感な友人が多いはずなのに、実際の場でこれらの炎上案件が話題に上がったことはほとんどない。

あっても、「あれはウケないよね」とか「ターゲット層にあってないよね」とか「広報担当がおっさんばっかなんかな」とかその程度で、けしからん!許せん!二度とあのメーカーは使わないし苦情の電話を入れてやった!なんて聞いたことがない。

これらに本気で不快感を覚えた人はどれくらいいるのだろう。

炎上のメカニズム

個人的な感覚論にとどまるが、“炎上”を起こすのは強い意見を持ったはじめの一個人ではなく、多くの人が言っている意見であることが分かってから意見を表明する、実は大してなんとも思っていない人たちなんだろうと思う。

どちらかといえばそう思うとか、こういう意見の方がいいんだろうとか、こっちについた方が分がいいなとか、そんな程度の感覚でさも怒り狂っているかのように意見表明している人がtwitter上にはゴロゴロいる。

もちろん本気で思っている人もいるんだろうが、もし全員が本気で思っているんだとしたらもっと早くに世の中は良くなっているだろうに、そうなっていないことからして多くはないだろうと確信している。

偽りのない意見であることは間違い無くとも、もし反対の意見を言っている人が自分の上司だったら、自分のコミュニティの多くの人だったら、曖昧に笑ってごまかすくらいの気持ちの人は多いはずだ。

匿名で、なんの不利益も被らない場所で、それっぽい正義感に溢れる意見を言えばそれは確かに気持ちいいだろう。

それくらいの感覚に違いないのだ。

それくらいの感覚の人が何万人とツイートをしたからと言って、警察が取り囲む広場に集まったデモとは全く意味合いが異なる。

もう二度とこの商品は買いません!と言っていたって、数日経てばわすれてしまう人が大多数なのだ。


「意見を表明する」ということ

わたしは昔から少年漫画・青年漫画が大好きで、プリプリのおっぱいの女性たちが“全然保護する気ないじゃん!“と言うような露出の高い服を着て戦っているのをずっと見てきたが、特に何も思うことはなかった。

しかしtwitter上には、「女性は性的に魅力がなければ戦うことも許されないのかと思って悲しくなる」と言うような意見の人もいる。わたしはそれを見ても別に「ああ、そう言う人もいるんだなあ」と思うだけで、特になんの共感も、反論も抱かない。

本当に共感をしたなら共感を示せばいいし、本当に反論したいなら反論すればいい。意見を表明すること自体は重要だと思うし、自分と違う意見の人をみると勉強になるからどんどんしてもらいたい。

ただ、別に意見を表明しなければいけないということもないのだ。

何万人がツイートをしていようと、誰も「あなたはどう思う?」とは尋ねていないし、多数決を取るためにどちらかにつかなければいけないと言うこともない。

何も思っていないなら思っていないでいいのだ。

そんな一々求められてもいない意見をはっきり言えるなら、普段の会議からそのくらいハキハキ意見を言ってくれ。もっとも、それができないのが日本人だから、twitterというツールがこれほどまでに栄えるのだろうが。

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