小説|雨の日に君を待つ DAY4
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いよいよ退院の日がやってきた。
入院してからあまり長い時間をかけずに退院できたのは、少しホッとしている。いつまでも病室にいるわけにはいかない。
そもそも十年神隠しに遭っていた事を除けば、片目しか見えない人間のリハビリに何ヶ月もかけるわけにもいかないだろう。神隠しに遭っていたとはいえ、本人の体感は数時間程度だ。正直、道に迷って目が覚めたら十年経っているとは思わないだろう。
「退院おめでとう」
誰よりも早く祝いの言葉をくれたのは、四六時中傍にいる名前も知らない俺を助けてくれた男である。まあ、彼曰く神様らしいが。
「すっかり歩けるようにもなって、僕はちょっと寂しいぞ」
「あんたに世話してもらった覚えもないけどな」
この男は隣で見舞いの品をただ食べていただけである。勝手に食べて、俺に「食べるか?」と差し出してくる。いや、俺の見舞いの品だよ。
「夜はあんなに面倒見てやっただろう」
「語弊がある。たしかに病室に来る魑魅魍魎を払ってはくれたけどさ」
病室に幽霊がやってきたのは、彼に助けられたあの夜以外にもあった。個室の病室だったのが救いだ。俺以外に迷惑がかからないという点においてだけは。女から男、老いも若きも、果ては子供の幽霊まで。時には人間の原型がない不定形のナニかまで来た。勘弁してほしい。それらをこの男は、俺が目と耳を塞いでいる間に追い払ってくれた。
とはいえ、世話はしてもらっていないので、寂しいと言われても期待された言葉は返せない。
コンコン、と扉を叩く音がした。
「颯、準備大丈夫そう?」
どうぞ、と言って入ってきたのは、見慣れない十年の年月を経た幼馴染だ。こいつは仕事の日だろうと毎日欠かさず足を運んでくれた。今日はどうだったという話から、今は離れて暮らす友人達の近況報告など、色々話をしていく。
何日もこいつの顔を見てようやく慣れてきたが、どうしても昔の姿と結びつかずに別人に思えてしまう。今でもうっかり気を抜くと、敬語で喋りそうになる。こいつは笑ってくれるが、ちょっと寂しそうな顔をするので困る。
「もう終わる。先に下りててくれていいんだぞ?」
「いいからいいから。そんなに時間かからないんでしょ」
「まあ」
たいした荷物もないので、ボストンバック一つで済む。あとは、忘れ物がないか確認する程度だ。
「あの男、今日も来たのか」
自称神様の男の言葉はスルーする。
いつもだったら「ほっとけよ」とか言うのだが、そう言うわけにもいかない。なんせ、幼馴染にこの男は見えないのだから。
「そういえば、母さんは?」
「おばさんは、家で待ってるって。颯の好物作っとくって聞いたよ」
「そっか」
母さんとは距離を測りかねている。父さんも母さんも週に二、三度顔を出すだけだ。仕事もしているのだから、そう毎日来れるわけでもないのだが幼馴染が当たり前のように顔を出すので、両親には少し寂しさを感じている。俺としては昨日今日の話だというのに、両親には十年も前の出来事なのだ。あの頃は、と言われる度に「そんなに育ってないのにな」と思ってしまう。
今日の退院の迎えも、母さんが来てくれるものだと思っていた。だから、幼馴染が顔を出した時に、ちょっと期待した心が萎んだ。
忘れ物のチェックも終えて、ボストンバックを肩にかける。思ったよりも軽い。これが俺の荷物か。
「さあ、帰ろう」
幼馴染が手を伸ばしてくれた。昔は泣き虫のこいつを俺が手を引いていたのに。なんだか子供扱いをされているような気がして、その手を取らずに歩き出す。
病院の窓口まで降りると、入口に人が集まっているのが見えた。思わず近くの階段へ身を隠す。
リハビリ期間に訪れたのは幼馴染や両親、友人達だけではない。どこから聞きつけたのか全国の記者が入れ替わり立ち替わり神隠しの時の様子を聞いてくる。十年の時を経て現れた男子高校生は、よほどお茶の間に潤いを与えているらしい。
神隠しの間何をしていたとか、事件の前後は何があったのかとか、俺にもわからない事を聞かれても困る。「わかりません」としか答え用がないのだから。ただ、それは記者達の望む話ではないのだろう。質問を変え、人が替わり、飽きもせずやってきた。
それがまさか、退院の日までやってくるとは。
「颯、裏手から出させてもらおう。これじゃあ、すぐに捕まる」
幼馴染はとっさに俺の手を握ると、病院の奥へと進んでいく。看護師さんに事情を話して案内してもらうと、彼は車を取りに行った。
「僕なら外の人間くらい蹴散らしてやれるぞ」
なんて物騒な事を言い出すんだ。神様って人間に危害を加えるのか。いや、俺を隠そうとする神様がいるくらいなのだから、おかしな話ではない。
とはいえ、それは俺の望まない事だ。
「ハウス」
「僕は犬じゃないんだが?」
「大人しくしてろよ。別に外の人たちに怪我をさせたいとは思ってないんだから」
「だがなあ、僕にも見せ場が欲しい」
「見せ場って」
目立ちたがり屋なのか、この神様は。
男はジッと穴が開きそうなほど俺の手を見ている。何が珍しくて節くれだった指と乾燥した手を見ているのやら。
そういえば、幼馴染の手は温かかった。なんだか久し振りに人の体温を感じた気がする。
看護師さんがいるので全くの久し振りというわけではないが、体温を感じる間もなく処置をされてリハビリを受ける。
それに自称神様の男の手は冷たい。ああ、やっぱり人ではないんだな、と改めて感じてしまう。
「僕も君の手を握っていいか?」
「今はいいや」
「ほんのちょっと」
「必要ないだろ」
「いや、僕としては必要な事なんだよ」
すごく真剣な顔と声で言うので気圧されてしまいそうになるが、ただ手を握りたいだけである。しょうがないな、と手を差し出そうとした時。
車のエンジン音がして、手を引っ込めてしまった。
「颯、お待たせ」
幼馴染が車を持ってきてくれたらしい。
うわ、ちょっと高そうな車だ。車種に詳しくはないけど、スラリとしたフォルムで大人が乗っていそうだ。いや、こいつはもう大人だったな。
「ほら、乗って」
スルリ、と手を引かれて助手席に乗せられる。
仕草まで紳士然としていて、たいへん癪に障る。こいつばかり大人になっていてズルい。
十年経っていようが、俺は最近まで高校生だったのだ。大人に憧れて背伸びをし続ける子供だ。あの頃は同じように背伸びをしていた幼馴染が、今は等身大の大人になっている。
やっぱりこいつは別人だ。十年前の幼馴染はもういない。十年の積み重ねを知らない幼馴染の男は、ただの『大人の男の人』である。
車に乗り込んだ男の脇腹を小突く。
痛そうなそぶりもせず、子猫が戯れたみたいな、子供をあやすような顔をされた。
「どうした? なんか不機嫌じゃん」
「うるせぇ」
この男を幼馴染と称するのは、もう違う。
しれっと車に乗り込んだ自称神様は、バックミラーの向こう側で嬉しそうにニコニコ笑っている。何が面白いんだよ。
置いてけぼりの俺は何も面白くないんだよ。
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▶︎綺想編纂館 朧様主催【文披31題】参加作品
DAY4:触れる
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▶︎ヘッダー画像:kumako様
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