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私とカウンセリング

私がカウンセリングを受け始めて大体5年になるでしょうか。
受け始めた当初は一体どんな話をしていたのか全く覚えていません。その頃の私は「話す」といっても目的がなく、とても受動的でした。能動的に話し始めたのはここ1年くらいからだと思います。
カウンセリングがどういうものなのか。私にはどのように、そして何故カウンセリングが必要なのかを考え出してからカウンセリングへの姿勢が変わりました。

カウンセリングとは厚生労働省によると以下のように説明されています。

こころの診療においては、医師やカウンセラーが心の悩みを聞き、こころの専門家としての視点から指導や援助を行う治療を意味しています。(略)
どうしたらよいのかのアドバイスを受けたり、答えを出してもらったりするためものではありません。自分自身の力で立直っていくきっかけをつくったり、気持ちや考え方を整理していくサポートを行ったりするのがカウンセリングなのです。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/youth/consultation/counseling/index.html


これを理解するまでは時間がかかりました。
はっきり言って、私の場合はカウンセリングができるほど心も頭も余裕がなかったし、自分自身のことが分かりませんでした。
感情も分からないし、好きなものも嫌いなものも分からない。何をしたいかも分からない。結局、全くカウンセリングを重要と考えず躁になったのをきっかけに行かなくなってしまった過去もありました。その節は担当カウンセラーさんにご迷惑をおかけいたしました…反省しております。

自分の心と向き合う時間は必要不可欠だということは段階的に理解していったように思います。
以前感情を書き出す日記「感情日記」を続けている旨のnoteを書きましたが、この作業は鬱病になったのをきっかけに始めたことでした。

自分の感情、主に怒りや悲しみといったネガティブな感情を押し込め続けていたせいで私の心は無感覚になっており、ぐちゃぐちゃに絡まった糸を解く作業が必要になったのです。この作業は当時の私を大いに助けましたし、現在進行形でも自分に寄り添うための大切な作業です。

カウンセリングを始める時に、まず様々なテストを行いました。
そこでカウンセラーさんが診断結果から読み取れることを私に伝えてくださったのですが、それが「マグマのように怒りが内側で煮えたぎっている」というようなことでした。私が覚えている言葉の表現は正しいか覚えていません…が、とにかく私は激しく強烈な怒りを心の内側に押し込んでいたということです。
伝えられた当時は、はて…とピンと来ることは無く、「私ってすごく怒ってるらしいけど、そうなのかな~」という感想を持ったくらいでした。

しかし、感情日記の作業を続けることで「私って、怒っているの?」から「私って、すごく怒ってる」に徐々に理解が変わっていきました。カウンセリングの場で話す姿勢も同じ頃から変わったように思います。
変わった、というより変えました。

メンタルヘルスは難しいです。
私は鬱病を発病したことで摂食障害を自覚したり、隠れていた双極性障害を発見してもらったり、長年困って疑っていた発達障害に診断が下りました。
名前がついたことで安堵しても同時に絶望したり、心の在り方についてどうすればいいか分からない時期もありました。

メンタルの不調と付き合うことは誰だってとても大変だし、病気や自分を受け入れることも、調子を良くすることも時間が必要です。
まともに動けないのに自分に合った病院、お医者さん、お薬に出会えるまでも時間がかかります。また社会から外れてしまったような、取り残されたような感覚は非常につらいものです。

でも、結局これを「より楽にしていく」ことや「自分らしく生きられるようになる」ことは自分自身が取り組む以外、無いのでしょう。
病院や先生、カウンセラーさんなど、助けてくださる方がいらっしゃるのであれば。だったら、その差し伸べてもらっている手を素直に受け入れる、自分もその手を握る。階段の一段目を上がらなければ、踊り場には辿り着きません。他者に甘えることなんか絶対できない!という頑なな自分の心を、私は裏切ることにしました。

カウンセリングの前日は大体こういうことを話そうと、自分の気持ちや心を整理します。前回のカウンセリングからこういうことがあったな、それでどういう気分になって、どうしたんだっけ…といったようなことです。
カウンセリング当日は話している内にふと出た言葉から新たな発見や疑問が生まれて前日にはなかった考えがたくさん出てきます。何事も下準備は大切ですが、下準備は下準備であって台本ではないのでお話は当日の自分に任せています。終わったら、記憶や心に残ったことをノートにメモします。時々自分でも驚くくらい、的確なワードチョイスをしているな、と思うし、カウンセラーさんの傾聴や一言で新たな視点が生まれることがあります。

自分の心を客観的に見るという作業は楽しくはないし、カウンセリング中に話しながら涙が出てしまうこともありました。
でも、心を裸にすることが許されている場所ってとても貴重だと私は思います。私はようやく心を自分に開きつつあり、通院も投薬はこれからも続きますが「自分の人生をより良くしていくことを諦めない」という土台がしっかり出来つつあります。

以前より「自分の心や感情を理解すること」ができるようになってきた今の課題は「表現すること」です。

傷つき、悲しみ、怒っていることをどう表現していくのか。
私の今の一番の課題です。
長い人生の中でずっとできてなかったことなので、これも時間がかかると思うけど、でもきっとできるようになると思いながら取り組んでいます。
きっとそのネガティブな感情を解き放てたら、ポジティブな感情ももっと光るだろうなあと思います。心から笑いたいし、喜びたい。私の目標です。


自主的なカウンセリングの一環として?今後、もう少し自分の話をしていこうと思います。文字を綴ることも好きなので、生活の中の新しい習慣にしていけたら。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また次回。

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