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ハコモノ放送部 アドベントカレンダー企画 12/6 「二度寝をすると夢を見る」

浅い眠りのときがいちばん夢を見る。
休日の、起きたくない朝の、素直じゃない眠りの中で無意識がもたらす夢がいちばん脳を穿つ。
忘れたくて忘れていなかったもの、片付け損ねた記憶、なるべくさわりたくないようなものが、いつも全部そこにある。


0125

複雑な立体構造の、大まかに言ってデパートの中にいる。
たくさんのエスカレーターが、フロアと天井に区切られた空間のなかばで、近くに・遠くに・いくつも交差している。
それらはどれも停止している。人間を感知して稼動する仕組みなのだろうと思う。
道のど真ん中、床にクッションが敷き詰められた、子供用の遊戯スペースがあって、カラフルな動物や幾何学の遊具が並んでいる。
一緒に歩いていた両親と兄弟がそのスペースの向こう側を、私はこちら側を歩き、その向こうでまた合流する。この通り道の分岐になにも意味がないことは承知で、しかしひとつの道に四人は歩けないのだから仕方なかった。
エスカレーターを何度も昇り、降り、辺りはデパートであるのに商品棚のひとつもなく、商品棚未満の不安定なラックがあり、曖昧に白っぽい床と壁と天井がひたすら延びるばかりだった。
人はいない。閑散としている。
気付けば両親も兄弟もおらず、私は一人で、黙ってそこを歩き、音楽も聞こえず何の匂いもない。
エスカレーターが途切れたので、幅が大きく一段の広い階段を、短い脚で無理やりに下りる。一段に二歩以上使うのを嫌がったためだ。
途中で一人の女性とすれ違う。
どこかで見た顔だと思う。誰だったか、よくよく考えて、ついに思い出せなかった。


0708

オレンジ色とピンク色の合間の色の、静かな街にいる。
夕暮れに照らされているのか、と思う。空は濃い水色をしている。
特別なもののない住宅街で、道は碁盤の目状に延び、ブロック塀や生垣が、道とそれぞれの家を隔てている。
その道いっぱいに、乾いたレモンの輪切りが転がっている。
大きさはレコードくらいで、果肉は綺麗に透きとおり、ガラスに似ている。たくさんの輪切りのレモンは、カサカサとかすかに音を立てながら、緩やかな上り坂の向こうから風に吹かれて転がってくる。
音からしてとても軽いようで、中身はほとんど詰まっていない。ひとつ持ち上げてみれば予想通りにはかない質量で、日没直後の薄明りの中でもうつくしく映る黄色だ。
私はハイヒールを履いて、器用にレモンを避けながら坂を上る。
隣を兄弟が歩いている。
兄弟は何も言わない。私も言うべき言葉を持たない。
住宅の並ぶ中のひとつ、奥まった家屋の手前に、軽トラック二台分くらいの駐車場がある。砂利が敷き詰められて、隙間に草が生えている。そこにおそろしい量で、何かの号外新聞が積み上げられている。
駐車場の奥には、家屋の玄関を背に、片足を腿に乗せてそれを読むおじさんが座っている。キャンプ用のイスだ。薄く弱そうなナイロン生地の布におじさん一人分の重さが積載されて、布はたわんでいる。
私は新聞を指さして、おじさんに問うた。「これはほんとなの?」
おじさんは、読んでいた新聞から顔をチラと上げて答えた。「ほんとだよ」
黙っていた兄弟はそれを聞き「やっぱりそうなんだ…」と、残念だとも驚いたとも不思議だとも納得したとも言いきれない声色で零した。
新聞の内容をきちんと認識することができなかった。読もうとすれば、文字は模様になり、写真は色になり、紙面は理解を拒んで遠ざかった。
彩度の低い、しかし暖かさを感じさせる色味の街で、風が次第に強くなる。
レモンは次々に転がっていき、いつしかひとつも見えなくなる。
街にはこの三人以外に誰もいない。
空気は生ぬるい。季節は春だと思われた。


0312

雪山の貴族の屋敷に泊まりに行く。
同行者は有名な配信者が二人で、私たちは三人ともスキーウェアを着、大きな荷物を背負っている。
館に入ってすぐの大広間に、同じような旅団がいくつもおり、それぞれに寝袋や毛布を広げて雑魚寝をしている。わざわざ遭難をしに来たかのような、目的不明の人間がやけに集まっている。
私は荷物を置き、トイレに行きたくて、館の主人に場所を訊く。主人はどうやらこの集まりの事情を説明するようだったが、私がいなくても勝手に進めてくれて構わない旨を伝えると、口髭の奥で籠った咳をし、トイレの場所を教えてくれた。
教わった通りの廊下を行くと、向こうの方からピエロが来た。
身長が二、三メートルほどあり、腕の関節が二つある。骨が入っているようには見えず、おそらく人形で、なぜかといえば長すぎて壁にぶつかる腕はぬいぐるみかクッションと同じ跳ね返り方をしていた。
顔はしわくちゃで、灰色の髪は薄く、絵に描いたような好々爺の様相を呈する。どうやら私に遊んでほしいそれは長い腕で器用に絡んでくるが、急いでトイレに行きたかったので、「あとで遊んであげるから」とごまかした。
にこにこと笑ってごまかされてくれたピエロを振り切って、私はトイレにたどり着いて個室の鍵を掛ける。ペーパーで綺麗に座面を拭いて、さてようやく目的を果たせると思ったところで、館を大きな地震が襲った。
立っていられないほど揺れる館で、蝶番の壊れた個室のドアが、がたんと外れた。


1118

荒廃した世界を旅する。
それまで住んでいた部屋から、ありったけの荷物をかき集め(魔女の宅急便の冒頭、旅立ち前のキキのように)、すべてリュックに詰めて背負う。
廊下に出れば通路が十字に交わり、それなりに大きな建物で、おそらく学校の寮のような共同体の施設だったと思う。
電車は動いている。
世界はおおむね滅びているものの、町のいくつかはまだあるらしい。
小一時間乗って行き、雪原に取り残された針葉樹林のそばで降りる。もはや人のいないロッジに侵入し、埃っぽいものの物資が豊かなそこを今日の宿にした。
近くにはカフェを営む親子が暮らしているらしい。
珈琲の濃い、甘い香りが、冬の刺すような空気にまぎれもせず、はっきりと香ってくる。
何かの理由があって、彼らを殺害した。
多分カフェの物資を求めてだったように思う。
いつの間にか一緒にいた、同行人たちのうち一人が実行犯となった。
私はロッジ跡に待機していた。彼は斧を持って出て行き、しばらくの後、向こうの方からかすかに殺害する音が、肉と骨を打撃で断ち切るときの水音が聞こえた。
彼は疲れた様子で、カフェの物資を奪って帰ってきた。
少ないものの近隣に住人があったため、見つかる前に出立しよう。私たちはそのように合意した。
が、そこを出る前には治安維持の人間たちがやってきたため、今度は同行人も私も全員で武器を取り、みんな殺害した。どうせならと一晩そこで休み、次の日の早いうちに出発した。辺りはうつくしい雪景色で、動物の声ひとつしなかった。


0921

ゲームの世界観にいる。一人称視点の、戦争に参加するゲームだと思う。
景色は灰色っぽく、遠くは輪郭がぼやけている。
辺りは荒れ果て、道のいたるところにアイテムが落ちている。アイテムのある場所は視界に白い丸で強調されて分かりやすいので、私はそれらを拾いながら歩く。
有名な配信者グループの一人が同行人で、彼もまたハンドガンの弾を拾いながら、不慣れな私にハンドガンとリボルバーの違いを教えてくれる。自分が持っている銃に合う弾を探しながら、狭い段々畑のような道を行ったり来たりした。
遠くの方に別動隊があるらしく、私たちを呼ぶ声が聞こえる。
やけにゆっくりあるいている。
急ぐべき理由がひとつもないことを、私たちはお互いに承知し、曇り空に黒々と鳥の群れが過ぎていくのを見送る余裕さえあった。


0405

高層マンションのエントランスにいる。
屋内は薄暗く、それは外が限りなく明るいせいで、出入り口の自動ドアのガラス越しに薄い黄色の砂浜と眩しい青空が見えた。
浜辺の道には松が何本か生えている。私は数日前の夢で、その松の砂浜を歩いて離島まで散歩したことを思い出している。
あの向こうには離島に至るまで砂浜が続き、細いその渡りには中央に水路が掘られており、そこを大きな流木が、ほんの少し濁って羊水めいた水の中を流れていくことを、私はすでに知っている。
数日前は青く暗く霧が深かった。
今日はやたらに晴れていて、私は屋上のひとつ手前の階まで上る。外は青く遠のいて、真上に真っ白い太陽がある。海の対岸には霞んだビル群が、水平線上に並ぶように延び、そこに知人たちが暮らしていることを思い出している。
窓を開け放っていれば強い風が吹き込む。ここは教室のような部屋で、一人用の机と椅子が規則的に並んでいる。
私はドーナツの袋を持っている。教室にいる人々は、顔も名前も知らない、声も初めて聞く人々だったけれど、私は彼らを見て、この人たちとドーナツを分かち合うためにこの階まで上ってきたのだと強く理解する。
彼らとドラゴンのことをひとしきり話し合う。
風はいつまでも吹き、なんて気持ちいいんだろう、なんて爽やかなんだろうと何度も思った。




20221206 トゥリ

詩を読むのには素養が要る、とたびたび思う。
他人の感情を茶化さずに受け止める態度だ。
自分の感情について、面倒がらずに取り沙汰する態度だ。
これらはある程度までなら、意識と繰り返しで手に入る。手に入れることを価値あると思う人なら、習得は容易ですらあると思う。それは詩によって、かつて何かを救われたり、導かれたり、得たりしてきた人たちだ。

最も大事なのは、詩を必要としない人たちに、軽蔑や拒絶を向けずに過ごすことである。
詩情がなくても生きていける。
「今・此処・私」で充足し、今まさに”ではない”場所に思いを馳せることが不要な人々はたしかに居る。そういった人たちのあり方を、想像力が足りないとか情緒がないとか言わずに、お互いそっとし合うことだ。
満ち足りてあることは、空想の世界とは折り合いが悪い。
満ち足りてあること自体が何よりも素晴らしいので、私は、詩を必要としない人たちを、一切どうでもよいという気持ちの下に愛している。

詩はほとんどの場合、曖昧である。
一個の答えが用意されていない。読み解く、という行為がある。
読み解くとき、解釈には視座が要る。あなたである。あなたはあなたの言葉で、あなたの過去で、経験で、知識で、曖昧な表現を切り分けてはほどき、あなたにとってはこうだという解を獲得する。
どうかこれをやめないで。
今これを厭わないあなたが、いつか悩んでしまうとき、かつて悩んでいたとき、あなた自身の複雑さに怯えないように。あなた自身をほどいていけるように。どうか投げ出さないでいてほしい。
これまで詩なんか必要なかったあなたには、どうかそのまま、行けるところまで手ぶらで歩いて行ってほしい。
ここまで読んでくれたことが、あなたの暮らしの、いつか何かの足しになりますように。



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