「死にたい」だけど画面の中の私は「死んでいる」

YouTubeとやらを始めて約9ヵ月が過ぎようとしていた。

始めはラジオをやっていた。

YouTubeでラジオ!?と思う方もいると思うが、実際のところ僕自身も多少の抵抗はあった。

基本は動画を視覚的に見て楽しむYouTubeでラジオとは酷な話かもしれない。それならそれで音声配信のところでやればよかったのだが、使い方がよく分からず、ポピュラーなYouTubeでラジオ配信することにした。

基本的には流して聴いてくれればいいし、作業用のBGMにでもしてもらうのがベストだ。

そんな気持ちで始めたYouTubeですが、やはり魅力的な何かや、人をひきつけるような何かがないと生きていけないことをYouTubeを通して理解させられた。

思い切って始めたラジオ配信も聴いてくれる人がいなくちゃ意味がないし、成果を待っていても何も変わらない。自分から行動を起こさないと成果は達成できない。

少しだけでいい。5分。いや、3分でいい。

気がつけば当初の気持ちとはかけ離れていて、何としても成果を出す方へとシフトチェンジしていた。

名前も知らないし、話題にすらあがらない人の放送なんて誰も興味を示さない。

最初は公共電波で乗せられるラジオ同様に30分の放送をしていたが、ここはYouTube。リアルを求める人もいれば非日常の世界を求める人だっている。

放送時間を30分→20分。20分→10分とコスパ良く聴いてもらおうと時間調整をした。さらには文字起こしとやらも挑戦してみた。

だけど結果は何も変わらなかった。すぐに結果はでないというが、僕のメンタルはもう壊れそうだった。

今振り返ってみると吐き気がする。それは黒歴史に近い感覚で僕の心の中にずっと残り続けるのだろう。そして自分自身を後悔した。

「もう少し考えてやればよかったのかも。」

「ラジオ以外で普通にゲーム実況でもしていれば、もしかしたら登録してくれる人や見てくれる人もいたのかもしれない。」

そんないやらしい考えばかりが自然と浮かんでしまう。それと同時にYouTubeを続けることも嫌いになってきた。

「もういいや!もうどうにでもなれ!」

そして僕は顔出しでスマホカメラに映ることを決めた。かっこよくもない顔を晒し、関西出身の両親とは思えないようなトークの下手さを見せながら。

死にたい死にたいと言ってるなら、一度死んだと思って全てを見せようと思った。

そして画面の中の僕は死んでいる。

女装もしては死にたいとばかり言っている。

もし、誰かを安心させることができるのなら、これからも死にたい気持ちと付き合いながら生きていきたい。

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