見出し画像

天才の対義語を知ってる?


君の将来はフリーター

小学生の時、将来の夢を作文に書いた気がする。
そういう課題だったのだ。

その時は確か……
バレリーナだったか、ピアニストだった。
習っていたからなれると思っていた。

箱を開けてみると、24歳の私はフリーター。

中学受験に失敗して、高校受験も失敗、
大学受験も浪人もうまくいかなかった。

よく母親に「逃げている」と言われてきたけれど
今ようやく私も私が逃げていると感じるようになった。

普通に大学に行っていると思っていたし
普通に就活して普通に就職している予定だった。

あーあ。普通ってなんだろう。

特別になりたいと思う時点で特別じゃない

バレリーナやピアニストになりたかったのは
特別になりたかったから。
一流の大学に行きたかったし
一流の企業に就職したかった。

特別ってなんだよ…。一流ってなんだよ…。薄いね。

24才になって未だ私は特別になりたがったまま、
作家として生きる道を選んだ。

本当は私は特別なんじゃないか
何かの才能を持っているんじゃないか

私は、天才、であってほしい……。

こういう考えはとても窮屈で息苦しい。
願うほど、信じたいと思うほどに首が絞まっていく。

そして気づいた。私は天才じゃない。

憧れた文豪のような文才はないし
売れてるアーティストのようなセンスもない
自分の世界に没頭する芸術家でもない

「ああ、そっか、私、普通の女の子だったんだ」

天才の対義語は?

天才の対義語は?ってGoogleに聞いたら「凡才」って言われた。
凡才とは平凡で特に優れたところのない「才能」らしい。

天性の才能と無の才能か…。

この世界でどれだけの人が天才なんだろう。
神様に愛されているなんて表現までされて、
じゃあ凡人は誰が愛してくれるの?

でもね、最近気づいたことがある。

天性の才能と後天性の才能の違い

ゴッホは生前から天才だったのか?
それとも死後「天才」になったのか

彼らは、私たちが「天才」にしたのかもしれない

時間と労力と精神をすり減らしている
多分そのほとんどが努力でできている
依存に近いような継続力、つまり「夢中」

それが彼らを後々「天才」にしたのかもしれない

天性のものは医学的な証明ができるような
脳の回路から違うような気がする。

わたしが求めていたのは
後天性の才能だったと気づいた。

それから、これはもうひとつの答えなんだけど、、、

「天才じゃない=特別じゃない」わけじゃない

天才と特別はイコールだと思ってた。

フリーターになって税金を納めて過ごす一年のなかで
私は私が天性の天才がないと理解し
実は落ち込んだりもしたけれど

だけど、私は私自身が特別じゃないとは未だ思えないのだ。

私の周りにいる友人はみんな個々で違って
みんな違う輝き方をしてる。
それって、特別なんじゃないの?

私は自分を肯定するのがものすごく苦手だけど
最近はそんな素敵な友人たちのおかげで
肯定できるようになってきている。

だからわかる。

私は天性の才能こそないかもしれないけれど
言葉の魅力に気づけて幸せだし
書くことと出会ったから生きている。

私はその特別や魅力はどんなに小さなことでも良いと思っている。

たとえば、水が好きとか。
雨が好きとか、顔にほくろが2つあるとか、ね。

「普通に、特別」

これが私たちという存在なんじゃないだろうか。

愛せるのは神様だけじゃないもんね

タイトルの答えは
凡才だけど、凡才だって才能だし
天才を神様が愛すなら、凡才は私が愛すよ。

いつか、凡才が好転して死後にでも天才と言われたら。
そんなことを願いながら書き続ける。

私に出来ることはそれだけだから。

ここまで生きてきた。
今日まで生きてきた。

そういう自分を才能がないだけで叩き割るのはやめる。

一度割ってしまった鏡も愛せるように生きていく。


全ての天才じゃなかった大人へ
凡人のユエるより







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?