見出し画像

初めまして。

自己紹介

こんにちは、こんばんは、おはようございます。初めまして。夜冥、と書いて「よる」と読みます。
精神疾患を抱えながら、少しづつ、少しづつ、生きてみることにした者です。
実を言うと、私の友人は一人同じような病気で自殺してしまいました。未だに彼女の死が信じられず、帰ってこないかな、と待っていたりもします。
また、私の親友も同じような病気です。歳は離れているけれど、毎日LINEをして、時には会って遊ぶような仲です。彼女のことが大好きです。
そして、Aと呼びますが、彼は私にとって欠かせない存在です。Aと私は結婚しています。彼がいなければ私は今もまだ絶望の淵に立たされ、いつ落ちてしまうかわからなかったでしょう。

私の半生

私は生まれてから幼稚園に入る前に幼児知育教室に通っていました。それから音楽教室にも。それはとても楽しくて、けれど後になって母に聞くと「あんたは昔から周りと同じことをしない。」と言われています。
周りと違うことで絶望したのは小学校に上がってからのこと。毎晩のように、「私はみんなと何が違うの?どうして仲良くなれないの?」と泣いていた記憶があります。どの大人に聞いても「あなたは少し大人びているから。大人になればその気持ちはなくなるよ。」と答えられました。
結局その思いは大学に入っても変わらず、大学では友達ひとり作らず教授とだけ仲良くしていて、2年の後半を迎える前に中退しました。
小学校、中学校、高校はほとんど不登校でした。行きたくない、と母に訴え、「休んでいいよ。」と言われると家に引きこもり、「今日は行きなさい。」と言われると大抵保健室登校か早退をしていました。
小学校1年生から中学校3年生まで塾に通っていたのですが、(これも個別指導でグループは無理でした)学校の出席日数よりも塾に行っていた回数の方が多い気がします。
学校では勿論のこといじめられ、散々な目に逢いました。
両親が優しかったかと言われると微妙なところだとしか答えられません。母は少しヒステリックな所があり、父は多分あれは気分変調症です。そんな家庭で、一人っ子の私はいい所も悪い所も独り占めして、父と母の板挟みになることもありました。
今となっては両親とは和解しましたが、2年ほど音信不通にしていた時期もあったくらい、両親から受けた影響は大きかったです。

私がこれから伝えたいこと


私は、これから何を目的にこのノートを書いていくのか。
それは、人生に絶望した青少年たちに、そう、あの時の自分のような彼らに、今こうして大人になった私がいるんだよ、と伝えたいからです。その為にこのノートを執筆させて頂いています。毎日更新できるといいな、と思いますが、私のことだから時折滞るかもしれません。
どうか、生きて。大人になれば、少しづつ、少しづつ、自由になっていくから。
今ある沢山のしがらみ達から逃れることが出来るから。
ただ、生きてさえいれば。
死んでしまった友人はこんな言葉を残しています。
「生きてるだけで花丸。」
この言葉が私にとってどんなに支えになったかわかりません。
今これを読んでいて、気持ちが辛い青少年、もしくは、私が参考になるかはわからないけれど、もっと歳上の、もしくは同い年くらいの、働きに出ていたり働くことが出来なかったりする人たち。
そんな、社会に上手く適合出来なかった人たちへのメッセージを残して行けたらなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?