【思うこと】最終的には、ありがとうで終わりたい。
どうも。ふへ歩です。
読者様はどんなときに「ありがとう」と口に出しますか?
小さな出来事やコロナで変わってしまった日々の日常にも、感謝できるように、と考えると何気ないことにも気づいて「ありがとう」と思えるようになれると「幸せを感じ取りやすい性質」に近づけるのではないか、と思い始めております。
個人はどうしたって時代に流される
読み進めている「20代にとって大切な17のこと」(本田健)でも同じような文章が出てきていたんですが、やはり「人一人の力は小さい」んだな、と。
人は、大なり小なり環境に左右されやすい動物なのではないか、とも思う。
職場環境、家庭環境、世間、毎日の天気にすら左右される。
適応能力うんぬんではないという気もする私です。
個人の力ではどうすることもできないことが、日々にはコロコロ転がっているわけで。問題は、「それについて日々、どう向き合って乗り越えていくのか」であるとも思います。
そしてさらに思うのは、「日々ふりかかって来るそれらについて、深く後悔しない」のも大切だと思っています。
自ら決定できる力を、個人は持っている。
なら、なるべく「自分が幸せになる決定の仕方」を選ぶべきだと思うのです。
人生という道を歩いていると、たくさんの選択に迫られます。
突然の雨に傘を「買う」のか、「濡れて歩く」のか。「普段からカバンに折りたたみ傘を入れておく」のか。
人に言われて傘を買うのと、自分で決めて傘を買うのとでは、気持ちの面で大きく変わってくると思います。
ご飯を食べるのか、パンを食べるのか、麺を食べるのかでもきっと違うでしょう。
ご飯。パン。麺。お菓子。飲み物。お弁当。
お昼ごはんならどうするか。夜ご飯だったら?朝ごはんだったら?
家族というシーンと、独り身というシーンでは大きく違ってくると思います。年齢でも変わってきそうですね。
「幸せ」を感じられれば、自然と「感謝」が出てくる。
幸せを気づけないと、本当に多くの場面で損をしてしまうと思います。
日頃の小さな出来事も、当たり前ではないはずです。
今日、ふと思ったのは「人間も、進化の過程で猿からホモ・サピエンスになったわけだが、宇宙という括りから見れば地球人という宇宙人なのでは」と。
宇宙人。
始まりは皆、アミノ酸だったのだ。
そんなことをふと、一人で思っていました。
「人間なのになんで……」とか。
「周りはできるのに」「なんで自分は」とか。
底なし沼みたいにズブズブ考えそうになったら、こう考えてみてはどうですか。
「宇宙人なのに、すごいな〜。地球人って」
って。