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人生をあきらめない

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 みなさんの夢は何ですか。やりたいことはありますか。それは実現できそうですか。それともまだ道半ばでしょうか。私はいまデザイナーという仕事をしています。ずっとこの仕事がしたかったし、最初の一歩を踏み出せたときは震えるほど嬉しかったのを覚えています。でも本当は、私にはまったく別の夢がありました。
 大学に入った頃の私は、多くの若い人たちと同じように、自分が何をやりたいのか、何が自分に向いているのか、まったくわかっていませんでした。まわりがみんな大学に行くから自分も大学に行く。ただそれだけでした。
 しかし、ある先生との出会いが、私を決定的に変えたのです。その先生は一般教養の哲学の先生で、私はたまたまその授業を履修しただけでした。しかし、その先生の講義を聞くうちに学問の奥深さを知り、猛烈に本を読み、猛烈に勉強しました。そしてその年が終わる頃には、卒業後も大学に残って勉強を続けることを心に決めていました。
 ところが四年生の夏、私は神経症に陥ってしまいます。神経症はストレスやショックなどによって生じる精神的不調です。詳しい原因はわかりません。始めはちょっとした神経質のような感じでした。教室で講義を受けていると、後ろの学生が私の噂話をしているような気がするのです。もちろん顔見知りではありませんし、気のせいに決まっています。でも、誰かが自分のことを話しているという考えが止められなくなり、授業に出られなくなりました。妄想はどんどん悪化して自分ではコントロールできなくなり、やがて電車に乗れなくなって、ついには自分の部屋から一歩も出ることができなくなりました。
 それからの二年間、私は絵に描いたような文字通りの引きこもりでした。精神科に通院し、社会生活を取り戻すまでには、さらに何年もの時間がかかりました。社会生活に復帰してからも、大学の敷地には入ることができませんでした。電車で最寄駅を通過するだけでも心臓がどきどきしました。大学に戻ることは、あきらめざるを得ませんでした。
 私はただ、目の前のことに集中するより他にありませんでした。アルバイトや非正規の職を転々としました。幸い、仕事を通じて自分が誰かに必要とされているという実感は、傾いていた心のバランスをしだいに正常に戻してくれました。
 そんな私がデザインに興味を持ったきっかけは、広告の会社で働いていたときです。私はデザイナーさんが制作したデザインデータを、入稿前にチェックする仕事をしていました。デザインのデータは「レイヤー」と呼ばれるいくつもの層によってできています。私たちが平面として眺めているデザインは、ときには何十ものレイヤーによって構成されているのです。これは、絵画における遠近法とはまったく異なる表現方法です。どちらかというと、日本の伝統的な絵巻物に近い発想です。これを発見したとき、私は世界が私たちに隠してる秘密を覗いてしまったような気持ちになりました。デザインの虜になったのはそのときです。
 もちろんいまでも、学術の世界に未練がないわけではありません。目を閉じれば、黴臭い書庫の匂いをありありと思い出すことができます。誤解のないように言っておくと、私は「たとえ夢をあきらめても、生きていればまた別の夢が訪れる」と言いたいのではありません。夢をあきらめるのは、とてもつらいことです。その傷を癒す力は、私にはありません。でも、もしあなたが人生をあきらめないでくれたら、それによって私の人生も報われるのです。夢をあきらめた私の人生も、無駄ではなくなるのです。

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