見出し画像

麻雀に興味を持って思うこと

今年のお正月にプロ野球選手とMリーグの交流戦を観たことがきっかけでMリーグ含めた競技麻雀に興味を持ち始めてから約半年が経ちました。
最近は観るだけではなく、アプリで麻雀を打ったりしています。
本記事では、今、私が麻雀を通して思うこと・感じていることを書いていきます。

HSPと麻雀

私個人はHSPは麻雀に向いているのでは?と感じています。
それもアプリなどではなく実際に打つ方です。それは、他の人のクセなどを見抜いたり、表情の変化を察知したり出来るような「観察眼」がHSPにはあると思うからです。
その一方で、他の卓の音や同卓している人のマナーが気になったりなどして集中できない可能性もあります。(マナーについては強い打牌禁止など厳しい雀荘もあったりするようです)
私もいつかアプリではなく実際の卓で楽しく麻雀をしてみたいなぁと思っています。(でも、今はまだ考え込んだりすることが多いのと点数計算が全く出来なかったりアプリの補助機能頼みだったりするので、卓デビュー(?)はずっと先になりそうですが)

執着が手放せる‥?

プロ歴の長い方たちは経験してきた場数が違うのか、色々な割り切りが上手だなぁと感じます。
その1つに選択肢の割り切りがあります。麻雀では自分の都合で色々な選択をしていきます。ときに、同卓している人が嫌がる選択を積極的にすることもあります。(これは他のボードゲームなどでも同じですね。辛さがすぎると友達をなくすやり方などと言われたりします)
その割り切りの上手さゆえ、場合によっては批判などに繋がることもあるのかもしれません。でも、それは「~~するべき」という固定観念を自分自身が持っていないか?を試されているような気がしています。

そして、もしかするとMリーガーに限らず一流と呼ばれる人たちは、割り切りが上手いのではなくその固定観念を超えた先に居るのかも?なんて考えると面白かったりする今日この頃です。

「いざ」というとき、人間は1人であるということ

Mリーグでは多くのファンが応援をしています。そして、選手はチームメイト同士で励まし合って戦っています。
しかし、いざ卓につけば1人です。当たり前すぎることですが、全て1人で決定していきます。同じチーム同士で意見を交わし合って技術の研鑽をしていたとしても、最終的に決定するときは1人であり自分自身なのです。

私は十代の頃、学校行事でこのことに気付く体験をさせてもらいました。
人間は孤独ではない。仲間が励ましてくれる。でも、いざ戦うときには1人。自分の力を信じて前に進むだけで、たとえ人間の無力さや敗北感を味わったとしても誰のせいでもないということを知る体験でした。

そんなことを卓上のMリーガーと私の体験が重なって思い出しました。

Mリーグで選手が戦っている姿は、他のスポーツを含めた競技よりも人生の縮図として私の目に映ったのでしょう。
そして改めて、私は十代の守られたなかで幸せな体験をさせてもらえていたのだなぁと実感した次第です。

最後に

真面目に重苦しく最近思うことを書いてきましたが、普段からずっとこんな感じで麻雀を観ている訳ではありません。
Mリーグで推しの選手が快勝したら小躍りして喜んだり、ツモが噛み合わなかったりしてうまく行かないときにはもどかしく思ったり、一喜一憂、ギャーギャー楽しんでます。

リーチ麻雀、観ても打っても楽しいですし、2025年には日本で第4回目の世界大会もあるらしいので、この機会に是非、私と一緒に卓デビューを目指しませんか?

よろしければ、サポートをお願いします。いただいたサポートは、児童虐待の防止・撲滅のための活動資金に使わせていただきます。