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eスポーツにおける、「損得感情」と「娯楽の世界」。

こんにちは、よろずです。

最近ゲーマー’s POSTさんとか、RATELでお仕事をしていて、なかなかnoteが書けないなあと思うと同時に、これらの仕事で書けない、書きたくない、でも発信したいと思った時に、考えを話せる場所があって本当に幸せだなあと感じる今日このごろです。

さ、最近noteを書けていない理由なんですが、正直に話すと「稼げない」からです。
あんなに純粋無垢にひたすらに頑張っていた男子校時代の僕はどこに行ってしまったんでしょうか。

とても悲しいです。

というのも、お金が欲しいという気持ちは誰しもあるわけで、本来「働かなくちゃいけないから働く」のではなくて、「お金が欲しくて仕事をする」ですからね。
そこは美化できません。

ただ現代そういうわけにも行かなくて、「お金が欲しいけど、働かないとお金を得られないから、仕事をする」、そういう時代にあるわけです。

そう考えた時にですね、好きなことを続けたいと思った時、自分にとってはゲーム、そしてそれが発展したnote、これに何かしら続ける理由が欲しいなと考えた時に、「お金にできないか」と、そういう考えに至ってしまったわけであります。

そう、人間というのは常にそういう「損得感情」で生きているわけです。
だから大人になるにつれて、ゲームをやらなくなるのは、本当は忙しいとか時間がないとかそういうことじゃなくて、「やっても得にならないから」ゲームをやらなくなります。

月に一本程度しか出せていないnoteなので、出す時は常に新しいネタを発信したいと思うわけですが、世の中は「コロナ」しか頭にないので、僕の出すnoteは今年に入ってコロナ関係ばっかりです。同じことは書いてて正直楽しくないです。

ただこんなにも追い込まれた世界になりますと、「娯楽」というものの存在価値について改めて考え始めます。

例えば。
リモートワークが出来る人だったらこれからもSTAY HOMEで生活費を稼げるので、なんら危機感はないと思うのですが、それこそ医療の最前線にいる人たちや、数が多すぎて書ききれませんが飲食店を始めとした自営業者、業者たちは本当に苦しい生活を強いられているわけです。

ほんま外でられへん辛い〜とか言うとる場合ちゃうんです、外出たくないのに出なあかん人何人おると思ってんの。あほか。

そんな中で国のトップが星野源の歌聞きながらお茶でもしてた暁には「なにしとんじゃボケ―――!!!」とも言いたくなる気持ちも分かるんですが、正直僕みたいに学生とか、コロナの影響をそこまで受けていない人から見れば、なんで政治がこんなに叩かれてるのか分からないはずです。

僕はおもろかったです

大丈夫だと思うんですけど、最近Twitterを見ていると政治に過剰に反応する人たちがたくさんいるので、僕のきゃりあーがぱみゅぱみゅしないように政治の話はここまでにしておきたいと思います。

多分このnoteを読めている人はかなり生活に余裕がある人だと思うので、そういう人たちに少し想像してもらいたいんですけど、生活があまりにも困窮している状態で、「eスポーツに3000億円政府が投資する」というニュースを見た時にどう思うでしょうか?

僕らはeスポーツ、ゲームが大好きなので、いいニュースのない、暗い世の中を照らす明るいニュースだとしていい印象を持つかと思います。

いくら困窮していようと、そういう世の中を明るくしようというニュースを目にした時に、「何をふざけたことを言ってるんだ」とは"まともな人"は言わないと思うんですが、それだとしても、「まずは飲食業の我々にその資金を投じてくれても良いんじゃないか?」と思うのが普通だと僕は思うんです。

それは流石に否定できませんよね。
最近だと僕の好きなONE OK ROCKのTAKAさんがインスタグラムを使ってテイクアウトを紹介するという企画をやっていたので、その苦しさだとかを理解しているつもりではいて、自分でもなにか出来ることがないか探してます。

というのも、飲食業とか、ご飯、ご飯の材料を提供してくれるところがないと僕らは死んじゃうんで、素直な気持ちで応援できます。

ただしかし、「映画」や「ライブハウス」のような娯楽施設も飲食業と同じレベルで今かなり苦しい状況を強いられています。

物凄いことを言うんですけど、もし自分が一兆円を持ってて、どちらかにしか資金を割けないとした時に、どちらに投資したくなるかという話を今回したいと思うんです。

最近大学のオンライン授業が始まって、せっせと勉強を頑張っているんですけど、その中に「スポーツの語源」について学ぶ授業がありました。

都合でかなり省きますが、本来スポーツというのは「娯楽」という意味を持っていたのだけれど、それが日本に明治の初期に輸入された際、体を使う活動や競技的要素は追加されたものの、「遊び」という要素がなかったそうなんです。

人材育成の「明治の三育」として、「知育」、「道徳」、そして「体育」が導入されたので、日本人にとってスポーツ=体育という印象が根付いていったのだと学んだわけです。

つまりスポーツにはこういう「学ぶべきメリット」がある、遊びという印象が無いため、日本人にeスポーツが受け入れられなかったのだと僕は学んだわけです。
僕学ぶのがちょっと遅いですよね~すみませんほんとに~

こういうことを学んで、「健康」というものは簡単に言うと"最強"のメリットなんだなということを学んだんです。

飲食も一つの意味では最強です。
食べなきゃ僕らコロナ関係なく死にます。

これがもしただ味わって美味しいと感じるだけの「娯楽」であった場合には、ここまで飲食に対する気持ちは生まれていないと思ってしまいました。

映画という文化は素晴らしいです。初めて彼女と映画に行った帰りくそ大雨の中〇〇〇〇公園の橋の上でキスしたのを忘れられません。
未だに高2の時必死こいてベースを練習して、ライブでぶっ放す時の楽しさを忘れられません。
そして今、eスポーツに魅せられて僕はここにいるわけです。

一生忘れることのない思い出をこれら娯楽は僕に提供してくれました。

娯楽は素晴らしいです。
リモートワークで退屈している大人たちの楽しみを提供しているんだなあと、日々Twitterで体感してます。

それと同時に、これからは娯楽、eスポーツの必要性を考えていく必要があります。
我々人間は、利益なくして支持できないのです。

そして、存在意義のないものは淘汰されてしまうというか、あってほしいけど優先度として物凄く低い位置に存在しているのではないかと思いました。

もしかしたら来年、何も変わらずコロナが流行していたら、映画やライブハウスは無くなるかもしれません。

eスポーツも分かりません。ただでさえ市場の小さい業界です。
他企業が危機にさらされた時、「eスポーツに投資する価値」について改めて問いただされます。

書き方に問題がありますが、これはコロナの不安を促したいわけではありません。
そう考える、このnoteを読んでくれてる人がeスポーツ、娯楽の存在について考える「時期」だと思っています。

災害というものは10年周期でやってくるそうです。今から約10年前には東日本大震災がありました。

その約十年前でしょうか、もう少し前ですが、僕の住んでいるここで阪神・淡路大震災がありました。

コロナが収まるのを待っているのでは無く、待ってる間に「次」に備えなければなりません。




ちょっとずつ頂いたサポートを貯めて、色んな場所に行って色んなeスポーツの人とお会いしたいと思っています。 良ければ協力して頂けると幸いです。