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途上国ベンチャーで働いてみた:PCR検査室をゼロベースでつくろう!(通算390日目)

バングラにやってきて1年が過ぎ、当初はバックオフィス担当だったはずがCEO代理になり、気がつけば私は引いたこともない臨床検査室の図面とやらを引いていた

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上図はほぼ最終形に近いレイアウト図で、面積もわかるように実際の床タイル(2フィート×2フィート)の数に合わせて製図されたものだが、初めはとりあえず白紙に手書きで動線を書くところから始まった。

あらためて書くが、私たちは2019年からバングラデシュ現地の人向けに健康診断サービスの提供を行っていて、血液検査や尿検査を実施するための基本的な検査機器と検査室スペースは有していた。しかし、PCR検査を行うとなると話は変わる。COVIDのように感染性のある検体を扱う検査を行うには、一定の安全性基準を満たす設備を整えなければならない、というのが、WHOや米国CDCをはじめとする国際基準であり、日本では国立感染研がその基準を公示している。PCR検査を行いたいのならば、そのために他の検査および健診オペレーションエリアとは隔絶されたスペースを確保しなければならない。

日系法人向けにコロナ対応病床の確保に走り回っていた最中、一部の病院に対してはPCR検査のスペースを間借りさせてもらえないだろうかという交渉も走らせていた。既存の検査室および健診オペレーションエリアを改装し一からライセンス申請に動くよりも、PCR検査室に投資する余力のないよその病院に間借りさせてもらうことで、投資額を抑えつつ病院ライセンス取得済である病院の交渉力をもって早期にPCR検査室の開設が可能になるのではないかという算段があったからだ。

しかし、その路線は早々に諦めることにした。どの病院もPCR検査室の運営には投資額を上回る旨味があるのではないかと目を光らせている中、信頼できるパートナーを探すよりも自前で動いた方が圧倒的に事が早く進むだろうことがすぐにわかったからだ(このあたりの感覚は時と場合によるし、博打みたいなものだと思う)。信頼性という点でいえば準政府系の大学病院との交渉が一番可能性を感じたが、さすがダッカ市内指折りの大学病院、白い巨塔さながら政争が激しいらしく、理事長にまで面会にこぎつけたもののなかなか話は進まなかった。

外部提携の路線を捨てた私は、もともと健診オペレーションのためにあった検査室とオフィスのスペースをPCR検査室に改装することを決め、冒頭のレイアウト図を引き始めた。肝は、検査スタッフの動線だ感染性のある検体に触れる可能性のあるスタッフが、その他のスタッフとかち合う場所をつくってはならない。しかし、使えるスペースは限りなく限られているため、効率的な動線にしなければならない。また、検査の工程はExtraction(ウィルス核酸の抽出)とAmplification(ウィルス核酸の増幅)の大きく二つに分けられるが、検体の感染性が保たれた状態で行われる抽出作業部屋と感染性が失われた後に行われる増幅作業部屋を分けたとしても、各々の部屋で作業するスタッフ同士は連携を取り合わなければならない。それぞれの状況に応じて、準備したり量を調整しなければならないためだ。また、検体採取部隊と抽出作業部隊、検査結果レポート作成部隊と顧客対応部隊は密にコミュニケーションを取らなければ一日に数百件の検査を効率よく迅速に回転させることができない。若手日本人スタッフに、各部屋のPCを通じてオンライン上での情報連携が速やかに可能なオペレーションを組んでもらい、緊急連絡用のチャイムも用意した(チャイムは結局すぐに壊れてしまい、お払い箱になったが...)。

動線に次いで課題になったのが、水回りとエアフロ―(気流)だ。検査に入る前に、スタッフは手を十分に洗ったうえでPPEを着用しなければならない。しかし、水道を引くことができる位置は当然限られていたため、手洗いとPPE着用スペースは検査室全体図からみて最奥に置かざるを得なかった。入口側に置ければベターだったのに、と思ったが、結果的には検体の動線とスタッフの動線がぶつかることなく、良い配置になった。また、抽出作業部屋では感染性のある検体が飛散しないよう、一定の基準を満たした「安全キャビネット」(写真↓)と呼ばれる機器を設置し、その中で作業を行わなければならないが、機器の設置だけでなく部屋全体の空気の流れにも注意を払わねばならない。エアコンの位置を付け替え、さらに各部屋の温度差で気流を起こさないよう、各部屋にエアコンを設置した(気流の問題を抜きにしても、PPEを着用して長時間作業を続けるスタッフにとってエアコンの有無は死活問題である)。

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PCR検査機器の販売代理店員にスペースとレイアウトを見てもらい、既に保健省傘下の認証機関DGHSから承認を得ている他の医療機関・検査機関のレイアウトと齟齬がないか、複数の視点で確認してもらい、大学病院の微生物検査・ウィルス検査専門の教授の助言も得たうえで、改装工事は業者に一任した。前年にこの健診オペレーションのフロアを工事した時に全員が粉塵まみれになった反省と教訓から、現地スタッフもわれわれ日本人も誰一人として工事を業者に任せることに否を述べる者はいなかった(笑)。

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そして、現地スタッフが工事業者のお尻を叩きに叩き、この工事はおよそ2週間半で完了した。その間、WHOが定める安全基準であるバイオセーフティレベル(BSL)の要件、日本のPCR検査を行っている実際の検査室が備えている要件、バングラ保健省(DGHS)が掲げている要件等々をくまなく調べ、必要な機器を揃え、PCR検査の知識及び経験のある検査技師を新たに4人雇い(やはり既存の検査技師スタッフたちだけでは立ち上げられないと判断した)、検査の手順書をつくり、トレーニングを開始した。なにからなにまで、このコロナ渦に共にバングラに残ってくれた日本人エンジニアが、偶然にも学生時代にバイオインフォマティクスを専攻していたためにPCR検査への知見を有していたことの恩恵に他ならない。彼無しにはPCR検査室のオペレーションを始めるなどどう転んでもできなかった。

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また、現地スタッフの中でも検査部門のリーダーを務める検査技師が、PCR検査室の開設に大きな情熱を燃やして取り組んでくれたことが私たちを前進させてくれた。はじめは、コロナに対する恐怖心から全身PPEで生活していたような現地スタッフたちも、社会全体の経済環境が悪化し、閉鎖に追い込まれる医療機関や給与の遅滞・未払、解雇のニュースを目にするようになるにつれ、次第に「需要のあるサービスをつくらなければ」「PCR検査にかかわるのは怖いなどと言っていられない」「正しく理解すれば、手洗いの徹底で感染は防げる」といった前向きな姿勢に変わっていった。コロナ騒ぎが始まった当初ストライキを起こした医者たちよりも、日々のオペレーションに関わる検査技師やコーポレートスタッフたちの方が自分たちの生活がかかっているせいか意欲的に新しい挑戦に賭けてくれた。

こうして、2020年8月の頭にDGHSへ提出したPCR検査室の運営ライセンス申請は、承認されるまでに結局ここから4ヵ月もの期間を要することになる

PCR検査室をオープンできなかったその間、事業を支えてくれたのは、肩書や役職にこだわらず職場や自宅でのコロナ検体採取要員として走り回ってくれた検査技師たち、そして法人顧客を開拓し続けてくれた営業およびオペレーションチーム全スタッフの挑戦と努力だった

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(続)

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