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現代詩を読んでる(2024.7)

 暑中お見舞い申し上げます。毎日毎日心身を蝕むような天候が続きますね。
 今回は最近読んだ現代詩の詩集の話をします。思潮社の「現代詩文庫」シリーズのうちの二冊です。

『岩佐なを詩集』(現代詩文庫178)

眠れないのですね、
眠れる方法を伝授いたしましょうか。
目を瞑って。ひとの貌を浮かべてはいけません
この世に降りてから見てきた中でとても
好きな景色を想い起こして(ほら、いいきもち)
ゆっくり深く呼吸すること
浦上玉堂の山水の内に入りこんで
再び戻ってこなかった男もいましたね
まれに帰れぬ散歩もあって
それはそれでいいではありませんか

「夢の景観」、現代詩文庫『岩佐なを詩集』、p51

 文庫の表紙に書かれた「夢の景観」の一節に惹かれて読んでみたら大当たり。序盤に収録されてる「霊岸」(実在した地名らしい)を読んでしまったらもう引き返せなかった。
 岩佐さんの詩は比較的易しく人懐こい口語体でごく当たり前のことのように怪異との交感を語るものが多い。お蕎麦屋さんのトイレから続く隧道を通って四季を展望できる部屋にたどり着いたり(「地下茎への誘ない」)、通夜の主役に「はやくきてね」と言われたり(「通夜回廊」)、目を凝らすと蒼くすきとおったひとが見えたり(「水域の絵」)。こっちとあっちの境目はいつでもあいまいだ。だから好き嫌いは分かれるにしても誰でも入っていきやすいと思う。

 とてもオープンで愛想の良い言葉たちだが、時々急にドキッとするような言葉を繰り出してきたり、散文詩だと思っていたら行分けになったりして油断できない。怪異とは仲良く交流できるとは限らなくて、うなじから生気を吸いとったりしてくる。でもこちらを怖がらせるだけではなく、雰囲気たっぷりな語りのあとに突然冗談みたいな言い回しが顔を出すこともある。

とある一駅員が
正直に言わせてもらうなら、と前置きして喋る
この駅舎の柱に塗られた蜜蝋は
臭すぎ。

「陽気な廃駅」、ibid.、p75

そして傘もなく萎れた気持ちを濡らし
薄ぐらい歩道に立ちつくして
一睡もできない
ゆくえ知れずの「わたくし」
こと、岩佐は、
誰ですか。
わかんないですっ。
たわしは、
いや、わたしは、
いったい、どこですか。何ですか。
もう、間に合いませんか。

「夜気の乱れ」、ibid.、p59-60

よろよろのおいぼれ犬が路上で倒れたし。
(犬寺縁起)

「西北西」、ibid.、p62

 語尾の「っ」とかカッコの使い方も面白い。少し年配の人が日記とかメールとかで日常的に使う言葉遣いって感じだ。個人的にはカッコの感覚が特にしっくりくる(ちょっとニコニコ動画のコメントっぽい)。「騙し絵」とか「お茶碗」の、凝ったつくりも好き。「ある島」は格闘場が出てくるから好き。

 性的な言及は(岩佐さんの詩に限らず)あまり好みではないのだが、境目のない、あるいは非常にあいまいな世界に触れるなら、確かにそれは粘膜的、内臓的な側面を含むだろうし、性的なものもそのひとつだよなあと納得させられてしまった。
 全体として、初めて訪れたのに何故かすごく馴染んで愛着を感じてしまう場所という感じで、文庫を通していつでも気軽に「そこ」に出かけられるとわかっているだけで嬉しい。

『広瀬大志詩集』(現代詩文庫230)

「詩のモダンホラー」という惹句が気になって読みはじめたら、初期の作品にはあまりホラー要素がない。どちらかというと清浄で神聖なものに向かっていくような感じで、しかも言葉の並びかたが難解。惹かれるものがあるとはいえ、現代詩の読みかたがよくわからない私は戸惑ってしまった。
 ホラー的なものが取り入れられるのは『喉笛城』あたりからだろう。相変わらず難解で、詩の中で何が起こっているのかもよくわからないのだが、不吉な気配がただよってくる。

遠い遠い国では昔から
幾千もの人が割れています

「冬の美果」、現代詩文庫『広瀬大志詩集』、p24

(生きている証に死んでみせろ)

「剃刀食い」、ibid.、p26

隣の人は
頭ごと持っていかれた

「ガス燈」、ibid.、p28

 一篇ごとにひとつの世界を感じる岩佐さんの詩とは違い、広瀬さんの詩は一篇まるごとよりもフレーズ単位で刻み込まれるように印象に残る。「宇宙のワイルドカード」とか「善か悪かは悪が決める」とかタイトルもビシッと決まってる。
 でもそれだけではなく、文庫で一気に読んでいると、詩集ごとに貫かれるテーマやイメージのようなものが見えてきて、全体にちゃんと意味があるのが心から納得できる。音楽のコンセプトアルバムのような感じ(そういえば広瀬さんの詩は音楽的だし、歌詞にもなりそうなリズム感だ)。それまで私は一篇ごとに完結したものとして詩を読んでいたので、こういう読みかたに気づいて視野が一気に広がった。

 広瀬さんの詩の中でいつも意識されているのは時間の感覚だと思う。個人の日常的、感覚的な時間と、それとは別に世界に流れるシステム的な時間。朝が来てしまう。

二度と
目覚め得ぬための
一度限りの遡及を傷に
浄められし夜を吐き

「浄夜」、ibid.、p18

ここからも私には
ずっと夜が続く

「ガス燈」、p28

あとでもとどおりになるあとでもとどおりになる鏡

「ゴシック」、ibid.、p48

ただ
おばあさんの
ふくささばき

これは時間ではない

「袱紗捌き」、ibid.、p44

取り返しのつかないような感じ。「ドキュマン」にはデジタル時計のような表記も使われている。
 その感覚がホラーを愛する気持ちと同じところからきているのかはわからないが、非常に相性の良いものだとは思う。ホラー映画の映像として進む時間と映画内に生きている登場人物の時間のズレとか。あるいはゲーム『SIREN』のように世界はループしていくのに個人単位では取り返しのつかないことが起きてしまう感じとか。朝が救済とは限らなそうなのも面白い。

 ホラーから連想するなら、広瀬さんの詩はふと迷い込んだ恐ろしい世界で差し出された謎の文書の断片みたいなところもある。ホラーゲームに出てくる文書がみんなこうだったらいいのにな。ヤバいけど。

現代詩文庫いいよ!

 詩集ってなかなか書店で見かけないし、何から読んだらいいか分かりづらいけど、現代詩文庫なら手当たり次第に好みの詩人を探せて楽しいです。巻末に他の詩人への評論とか逆に他の詩人からの評論が載っていることも多いので、芋づる式に好きな詩を見つけられる可能性もあるし。古いのは品切れも多いけど(絶版ではなく時々増刷してくれる)、まずは図書館などで探してみてはいかがでしょうか。

 それでは、今月はこの辺で。皆さま体調に気をつけてお過ごしください。

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