蛮行を許すまじ!が気持ち悪い。

事件に対するコメントがなんか気持ちが悪い。


何が気持ち悪いのか、こういうときに感じたことを
しっかりとして言語化しておかないと風化してしまうと思い書いておく。

政治家含むメディアやそこにコメントを寄せる人々のほぼ全員が、「蛮行」「許されざる行為」「民主主義の根幹を揺るがす」と連呼している。
確かにそうなのかもしれないが、
口を揃えて一様に同じことを大合唱しているのが気持ちが悪い。

「蛮行」という言葉のコピーが気持ち悪い。


「蛮行」なんて言葉を、昨日以前、過去10年に使ったことがある人が
どれほどいるのだろうか?
普段みんなが使わない言葉を一斉に言い出すのが、気持ちが悪い。
みんな、それぞれに感じることがあるし、
その表現の仕方も様々であるはず。
なのに、みんながみんな「蛮行を許してはいけない!」と言う。
なんだか同調圧力をかけられているような連呼に見える。

同調圧力から煽動へ が見えるのが気持ち悪い。


「蛮行だよね。だめだよね。」はみんな分かっている。
でも、
「そう感じてないのはおかしいよね。だから私も言うよ!」
的なシュプレヒコールの横並びコメント、
なんだかそれが見ていて気持ち悪いと思ったのだ。

みんなが自分の言葉を持たないのが気持ち悪い。
簡単に扇動されそうな感じに見えるのが気持ち悪い。

極端に言うと、隣のおばちゃんに
「あんたもそう思っているのなら大声で言いなさいよ!」
「何?言わないの?じゃあ、許すの?」
「すいませーん、この人がコメントしてませーん!」
「この人はあの人と同じ考えの人かもしれませーん!」
と通報されてしまいそうな感じがするのである。
もちろんそんなことはないが
テレビを見ている限り、テレビの出演者も
テレビで使うコメントを編集している人も
そう言っているように見える。

今回は、単独のようだし、自作の武器だし、
政治的な主張があったようでもないし、
個人的に壮絶な恨みがあったわけでもないし、
自暴自棄になって、でもなさそう。

やったことがもたらした結果は、確かに蛮行だし、
民主主義の選挙の場で、その声を封じるにとどまらず
一人の影響の大きな政治家の命を絶ってしまった。
その結果がこれからの政治に多大な影響を及ぼす
多分歴史の教科書にのる大事件である。

それは本人が「制裁してやる!」と強く思った結果ではなく
自作の武器を使いたいと思っていたらチャンス到来!だった。
で、やってみたら、できちゃったのである。
それがこんなに大騒ぎになるとは!
多分、本人は「いま」気がついているのだろう。

これに対し人々が
「許さない!」と口を揃えて言っている。
単独犯行だから犯人個人に対して「許さない!」と
言っているのだろうが、それはこれから警察や司法が裁く。

「許さない」の先にある行為が見えないのが気持ち悪い。


個人の感情である「許さない」が向く先がよくわからない。
これは政治団体など、今後もその意志を継ぐものがあるのであれば
そこに対して時間的に長いスパンの「許さない」になり、
気持ち悪さはなくなる。

この「許さない!」はすごく瞬間的な感情でそれを言うことは
自分の中にあるわだかまりをスッキリさせるための発言に見える。

みんな許してはいけないよね!と思うのは構わないし
私も許しちゃダメでしょ!とおもっているが、
皆の気持ちをスッキリさせる発言が
メディアやSNSで盛り上がり日本全体のムードを作り
「公開処刑で首吊にせよ!」
「そしたらみんなで石を投げに行こう!」
というような盛り上がりになる構造が見え隠れするのが
恐ろしく見えるのだ。

蛮行、許さない ということで
思考停止になっているような気がしているのである。

内田樹さんが早速自分の言葉で書いている。
同じ許せない!というのもこのように考えてから
発言したいものである。

http://blog.tatsuru.com/2022/07/08_1344.html?fbclid=IwAR2gKLNHnz6xDrjggE3fKgT4Zr5MVsa8qiQdE0ryNpE5hkbCXWXce-Ciy_whttp://blog.tatsuru.com/2022/07/08_1344.html?fbclid=IwAR2gKLNHnz6xDrjggE3fKgT4Zr5MVsa8qiQdE0ryNpE5hkbCXWXce-Ciy_w


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