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「結婚しよう」

気づいたら結婚することになっていた。

とはいえ、いまは婚約段階。しかも指輪も同棲もまだ。年内に指輪、年明けに同棲をはじめられたらいいかなぁくらいに緩く考えている。
結婚しようとなったきっかけは私の失恋だ。前回と前々回の記事を読んでくれた方にはおおよその流れは伝わっているんじゃなかろうか。あの怒濤の失恋どたばた感情ジェットコースターのゴールが「結婚しよう」だったのだ。

相手は大学生の頃から根気強く私のことを好いてくれていたひと。
実は小・中学校の同級生で実家も近い。当時は共通の友人がいたってだけで互いの交流はほぼないに等しかった。
二度目の出会いは大学生の頃で、彼の失恋話を聞いていた時期だった。当時の恋人に浮気されて同棲解消という最悪な別れ方をしていた彼は、雨に濡れた子犬のようにしょげていた。そんな子犬の気分転換のためにぱーっと遊ぼう!ということで押上駅で待ち合わせたとき、彼は私に一目惚れしたらしい。気分転換ってそういう意味?そこからずっと今日にいたるまで、紆余曲折ありながらも彼からラブコールが届いていた。

結婚の決め手は、付き合う前に「結婚しよう」と言われたから。
そこに彼の本気度を感じた。私も彼を本気で愛そうと決めたのだ。彼には最悪な部分(一度、彼から向けられた好意から逃げて音信不通になったことがある。躁鬱の鬱期だったとはいえ最悪の対応だった。その後謝罪して仲直りしてもらった)もすでに見せているし、いちばん良いのはいっしょにいて気負わなくていいこと。無理して良いところを見せようとしなくても勝手に毎日好きを重ねてくれているし、まあそれは彼の愛情深さと私の好かれるための努力が実った結果であるが、そのうえ互いに親に対して”ただしい”愛を向けられないという共通点がある。ある意味での罪悪感での繋がりが将来を見据えるうえで心地よいのだ。親に対する感情の複雑さを事細かに説明せずとも大体伝わるから。結婚前の顔合わせ(食事会)どうする?気が重いよね、しなくていいかぁ、みたいなことも簡単に決まる。それがうれしい。


結婚するにあたって、私の精神疾患や現状について話すときが来た。
彼が私の家に泊りに来たとき、頃合いを見て話した。
彼は相づちを打ちながら最後まで黙って聞いて、ひとこと「ありがとう」と言った。「話しづらいことだっただろうにきちんと伝えてくれてありがとう」「俺との将来を考えてくれているからこそ話してくれたんだと思ったら嬉しかった」「病気があるから、仕事を辞めたからって依が依じゃなくなるわけじゃないから」「支えさせてください」
翌日も精神科に行くと伝えたら「問診票の緊急連絡先に夫(俺の名前と電話番号)書いといて」と笑ってくれた。やさしいひとだ。改めて結婚しよう、このひとを幸せにしよう、このひとと幸せになろうと思った。

今後、ライフステージが進んでいくにつれてなにかしらの壁にぶつかることもあるだろう。そのときはこの夏のことを思い出そう。彼がどんなにやさしいひとか、あたたかく大きなひとか、私がどんなに幸せな思いをしてきたか、どんなに彼を好いているか、安心して身を任せられているか、ぜんぶぜんぶ忘れないように。あわよくば、この夏だけじゃなくてずっと、こころの底に眠る愛を抱きしめつづけていこう。


来週末はいっしょに熱海旅行に行く。熱海の海鮮丼を最高感度でたのしむべく、一ヶ月以上前から互いに海鮮系のたべものを控えていたことを最近知って、なにやってんだろうねと笑い合った。考えることがいっしょだねと。
これからもそんなふうに笑い合っていけたらいいな。
いや、笑い合っていこう。
「またね」の挨拶が「ただいま」「おかえり」になる日はもうすぐだ。


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