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私の「結婚したい」の実態

ジューンブライドの季節が過ぎましたね。
「結婚」の2文字を見ると
無意識的に焦りを感じる年頃になりました。
結婚とは何かを検索すると、
戸籍法に則った届け出をした男女が
お互い協力し合って生活することだそうです。

令和になってもう6年目だというのに、つい
結婚していないことを欠損だと感じてしまう。
そして結婚できない自分は欠陥品だと感じる。
時代遅れも甚だしいですが、
コンプレックスの塊みたいな私には
そんな風に自分を恥じる気持ちがあります。
他人に対しては別に
なんてこと思わないんですけど。

ところでみなさん。
6月に新シーズンが完結した
ブリジャートン家はもう見終わりましたか?
私はシーズン3もスピンオフも観ました。
どのシーズンも好きですが、
スピンオフに続いてシーズン3も
お気に入りの話となりました。

ブリジャートン家、特にスピンオフの
クイーン・シャーロットでは
愛とはそれ自体が覚悟と強さであること。
シーズン3は、自分の強みによって
自分に自信を持って生きることができ、
そしてその傍らに愛する人がいるだけで
もっと強くなれる
ということが学べます。

現在病み期真っ只中のわたくし、トマト。
もうあと数年で三十路に乗っちゃうぞという
そんなタイミングなのに、未だにドラマを観て
「結婚っていいなあ」なんて幻想を
抱いてしまう夢見る夢子を続けています。

恋人にすらちょうどいい甘え方ができず
ことごとく失敗してきたわたくし。
(言っても経験なんて大してないのですが。)
人に受け入れてもらえた実感があまりないまま
大人になりました。
まあ他人を全てを受け入れてくれる人間なんて
そもそも存在しない訳ですから、
私はユニコーンを探しているようなものです。

結婚っていいなあっていうこの気持ち。
考えてみたんですが、要するに
自分を受け入れ、支えてくれる人が欲しい
と思っているだけなことに気が付きました。
しかもなんとそれは法的拘束力付き。
こんな心強い味方はなかなかいません。
自分を支えてくれる人が離れないよう
法的に自分に縛り付けたいだけ
なんですよね。
冷静に考えると自分の欲深さが怖すぎます。

絶対に私を裏切らなくて信用できて
ずっと変わらず愛し続けてくれる人が欲しい。
「結婚っていいなあ」という言葉の裏にある
私の願望はきっとこれです。

あのね。いないからね、そんな人。
変わらない人も変わらない愛も
この世に存在しませんよ。
仮にそう見えたとしたら、それは
変わっていく様も受け入れられる2人であり
全く変わらないものなんて
この世に存在しない。
祇園精舎の鐘がそんなこと求められたら
足生やして泣いて逃げ出します。

そして私の1番の問題は
支えてもらうことしか考えていないこと。
お互いが協力し合うことが結婚の定義なのに
自分がああしてほしいこうしてほしいばっか。
焦っていい段階にすら立てないよ、そんなの。

人とは常にギブアンドテイクでできています。
金八先生の言う通り支え合ってできてます。
つまり、互いが互いの需要と供給を満たす
ことで成り立つものなんです。
利害が一致しなければ人と人は
やっていけないでしょうが、このバカチンが。

この「利害の形」こそ人それぞれですけどね。
金だったり外見だったり愛されることだったり
一緒にいて楽しいだったり落ち着くだったり。
何にせよ自分の需要を相手に満たしてもらう。
そして、相手の需要にもきちんと応える。
愛ってお互いを満たし合うことだと思います。
つまり究極の利害の一致だということです。
あくまで個人的見解に過ぎませんが。

シャーロットもジョージもお互いがいるから
それぞれの職務を全うすることができた。
S3もお互いの存在がお互いの力になりました。
そうなれたのは、お互いがお互いを支え合い
どうしてほしいのかきちんと話し合えたから。
つまり需要と供給を満たし合えたからだと
私は思うのです。

全てを受け入れただただ甘やかされたいなんて
そもそも親にやってもらうことですらないし、
親に満たしてもらえなかったからといって
パートナーに求めることではない。
なんだか最近noteを読んでいると
「この人も頑張っているのだな」と思ったら
家族(パートナー)が支えてくれて…
みたいな話に出会うことがあまりに多くて。
自分を受け止め支えてくれる人がいるのって
羨ましいなと思っちゃったのです。
結婚に求めるものが幼すぎることに気付いて
自分の未熟さをまた痛感させられました。

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