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信長 日輪の生 二

日輪の生

「むしろは要らんか。むしろは要らんか」
来る日も来る日も売り歩いた。
一軒一軒訪ねてみたり、寺の前に棚を広げて声をあげる日もあった。
日吉のむしろは一向に売れない。

百姓が、農閑期に細々とやっていたむしろ織り。
腰が曲がってもう田へ出られぬおばばばかりを集めて織らせれば、
商売になるのではないかと日吉は閃いた。
遠江から帰ってからというもの、日吉はいくつか商売を思いついてはやってみた。
小間物屋から、針の行商、末はむしろ売り。
どれもうまくは行かなかった。
顔だけは市で売れるようになり、様々なうわさ話を耳にするようになった。

尾張で一番の勢力を持つ信長様は、まったく今までと仕組みを変えているとのこと。
百姓兵でなく、戦専門の雇い兵を重く用いる。
家臣団の合議を経ずに、自ら兵を率いて戦に出る。
なにより南蛮わたりの鉄砲というものを使うらしい。
えらく値のはる武器だということだが、弓矢ほどの飛距離もないという。
そんなものに大枚をはたく信長様を、民はみなやはりうつけと言った。

信長様はうつけなのか。

確かに尾張は支部五裂し、弱小勢力が戦を繰り返している。
だが信長様がうつけとは言い切れんのではないか。
尾張中の市をまわっているが、見てみろ。
信長様のこの市だけが、活気が違う。
物が集まり、おかげでこの街の物の値は落ち着いている。
税も安いから、遠くは播磨の商人までがここで商いをするほどだ。
商人が集まれば民が集まり、民が集まればまた商人が集まるよい巡りが生まれている。

信長様は違う。
違う光を、もっと言うならこの日吉に大きな空を見せてはくれまいか。

そんな折、正徳寺で、斎藤道三と信長が同盟の会見をすると商人仲間が伝えてきた。
話では、尾張の内乱に疲弊した信長が、舅の道三に尾張境まで来てもらい、同盟はいまだ固いと内外に示す催しらしい。

遠江の侍仕えから尾張に帰ってきたとき、信長様には馬で踏み殺されかけた。それ以来、お姿は見ておらぬ。もう一度、お姿をおがんでおきたい。そんな思いでむしろ売りを放り出して日吉は正徳寺へ向かった。

会見が行われる日、正徳寺の門前は物見遊山の民であふれていた。
その群れに紛れていたが、背の小さい日吉には遠めに人相の悪そうな頭が率いる一団が寺に入っていくのが見えただけだった。

見上げると、寺内の杉林が見えた。
猿と呼ばれた通り、杉の木にするすると密かに上ると、
立派な庭を眺める板敷に、さきほどの人相の悪い男が座っていた。
どうやら道三。あれがまむしか。
するとほどなく、門前からわっと歓声があがった。
度肝を抜くほどの長槍を持った兵と、黒い筒を持った一団をしたがえ、浅黒く日焼けした男。

信長様じゃ、とつぶやいた瞬間。

ごうっ。

天を突かんばかりの轟音とともに、黒い筒が次々に火を噴いた。あれが鉄砲か。しばらく腰を抜かしていると、寺の中に入ってきた信長の姿が見えた。

「信長、無礼であるぞ」
道三が一喝したが、信長はそのまま歩を進めた。
ばかりか素早く抜くと、切っ先を道三の鼻先で止めた。
「鳴海城の山口教継と天秤にかけるような真似はよせ。昨日密かに会ったであろう」
「勝ちそうな方に着く。それが乱世のならい」
「山口が勝つと思うなら、つくが良かろう。そのときはこの首はねる。それも乱世のならいじゃ」

暫時。
信長と道三の燃えるような視線がぶつかりあった。

瞬間。
道三が抜き、鍔を合わせて力相撲となった。

この寺は信長が掌握している。道三の家臣団は何もできなかった。力押しに押してくる信長の気迫に耐えかねたように、
「わかった」
と道三が言った。
「噂通りのうつけじゃ。舅との会見に、鷹狩でも行くようななりで現れて、 
表で鉄砲をぶっぱなしおった。
だけではない。鉄砲を買い集めるだけの財の集め方、百姓兵から雇い兵への切り替え、乱破をつこうて、よう山口のことも掴んだ。織田信長、うつけで周到な男よ」

はあっと声に出して笑うと、信長はどかりと道三の前にすわった。

「ばかしあいもこれまでじゃ舅どの。
 わしには今、尾張一国もまとめる力がない。
 しばしの間じゃ。そのうち、
 美濃までその首とりにゆくゆえ、
 今は稲葉山から尾張の様子をご照覧。」

そう言うと信長も道三も、声を上げて笑ったのだった。

杉の木に抱き着きながら、日吉は涙を流していた。
えらいものを見てしまった。
あれがお館と呼ばれる方々の胆力か。
えらいものを見てしまった。

同じことばかり、日吉はひとりごちていた。

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