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読書メモ2022/9/13

ユダヤの教え タルムード説話集

ユダヤでは教育そのものが宗教の重大要素であるとされていて、
教育熱心の母親が多いという。常に母親から「why」を投げかけられ、そうして子供は考えぐせがつくようになる。また、学校教育は役人や国の方針が入り込み、画一化されやすい。ユダヤ教は、人と違うことが最もユダヤ的とされ、ユダヤでは家庭教育が中心となっている。ユダヤの歴史を辿ってみると、常に迫害されており、金銭や住宅全て奪われ続けてきた、その中でも親が子に残すことができたのは、知恵であり、そういった形ないものにこそ価値があるという考えは、例え貧しくても文化資本(金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産)を残していけば幸せになれると信じているからだろう。

この本で最も印象に残った説話は「あるラバイの最悪で最良の災難」である。
この話は「最悪の事態はそれよりもっと悪いことから救ってくれることかもしれない」という話である。私は現在がもっとも辛い時期ではないかと感じている、だがそれは大学院を中退したときも、研究室で教授に詰められているときもそう思ったはずだ。そういった最悪の事態で私は幾度もパニックになり、逃げ出してきたが今こそがビジネスチャンスだとユダヤ人は考える。そういったユダヤ人の勇気に見習いたいと感じた。

教養悪口本

この本を買うまでは、毒々しいというか読み終わって後味の悪い本かと思っていたがむしろ逆で優しさに溢れた本であった。毒々しい、罵詈雑言にまみれたインターネットに対するアンチテーゼであり、インターネットに蔓延る罵詈雑言をユーモアに昇華することによって、ひいては世界中の人々を救うほんだと思った。言い過ぎか、ともかくあとがきに書いてある忌野清志郎の一節によると、「ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだ。」この一節は非常に気付かされたことが多い、ユーモアがわかるということは、精神的余裕が無ければできないことである。ユーモアがわかる人間は日々教養を貯金する時間があり、精神状態が良いはずだ。また、もしかすると教養というのは例えばムカつくことがあったりすると、教養のない人間であれば、一次元でムカつくことを単にムカつくと処理してしまう、しかし教養がある人間は一次元ではなく多次元で捉えることができる。「いやそれって~〇〇だよね」「〇〇じゃん」とユーモアに昇華することで自ら精神的余裕を作り出している。無敵である。私も無敵でありたい。

この本を通して知ったのが論理療法である。論理療法とはその思考を論駁(ろんばく)して他の考え方に修正するように説得することという。
その思考というのはいくつかあるらしいがこの本では"イラショナル・ビリーフ"を上げている。その思考はwikiによると"イラショナル・ビリーフ(非合理的な信念)は「~ねばならない、~すべきである」という信念から起こっており、これが人々を情緒的に混乱させている"と、書いてある。例えば完璧主義もそうらしい。論理療法という言葉を知って私は衝撃を受けた、なぜか?
それは当に私が論理療法を受けていることに気づいたのである。

私は会社に部署異動するよう勧められ、精神科医には休養してから部署異動するよう言われ、現在休養して二日目である。会社からうつ病の診断書もってこいと言われ、貰いに行ったら「いや普通に考えて休養してから部署異動だよね(笑)、精神が不安定な状態で部署異動しても同じことじゃない」と言われ、今に至る。また、精神科医と話したこととして

私「部署異動したらしたでまた仕事についていけるか不安です・・・」
精神科医「それもうどこの会社行っても同じだよ(笑)」

というのがあって、ちょっとショックだったが確かにそうである。これはまさに論理療法ではないだろうか、私のイラショナル・ビリーフに対して論駁して他の考え方に修正させている、論駁して私自身に気づきを与えようとしている。考えすぎだったら悲しいが精神科医が行っていることは論理療法だとわかったのでこれから論駁されても、私のために行っていることなんだと捉えられようになった。

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