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多少のロック

僕は自分の感覚を信じようと思います。

会いたい人に会いに行くし、行きたい場所に行くし、観たいものを観に行きます。だって俺の時間、俺の人生だから。
(これをもっと信じるべきだ。でした。)
(不特定多数に向けて、悪いね。)

世間と自分の感覚のズレとか、身の回りにおける感覚のズレとか、色々あるとは思うのだけど、「ああ自分ズレてるな」と思うまでは自分の感覚を信じようと思います。

必要以上に周りに気を遣う必要はないし、人それぞれがそれぞれの感覚の中で生きれば良いと思うし、何か伝えたいことがあるなら伝えてくれれば良いと思う。

それの一方で伝えたくないのなら伝えなくても良い。
それは僕自身も同じ。

でも最初から【伝えない】という手段を選ぶのではなく、ある程度の誠意を見せた上で【伝えない】あるいは【そこまでは付き合わない】という手段?あり方?を選択しようと思う。

いいじゃん、自由に生きれば。

この文章も無理やり800字書こうとしなくても良いし、「ああ自分のためにここは鬼になって800字書かなきゃいけないな」と思えば800字書けば良いし。

自分が自分の中で勝手に作ったルールを一個ずつ壊していきたい。
ルールを壊すって、無秩序を呼ぶ気がしてちょっと怖いけど、でもそこも自分の感覚を信じる。自分のモラル、自分の倫理観を信じる。

「まあ、いいっしょ」くらいで生きる。

多分、それくらいでいい。

人との関係の中でやっぱり感情は動く。
若干の怒りと呆れ?かな。そういう感情ってある程度、相手を信頼してないと出てこない感情な気がするから、というか相手に期待してしまっているのだろうね。

あまり表出しない感情だから面白く観察してはいる。

今日、自分のルールを一つ破った。自分の中の倫理観を一つ破った。
(自分が世間体を気にしながら作ったルールかもね。)
すごく久しぶりのこと。

でも自分の感情に嘘をついてその場に居続けることを選ぶのは違う気がするし、もしその場に居続けたら一体誰のための時間なのか、誰のために生きているのかという疑問が結局湧いていたと思う。

多少の罪悪感は持ち合わせているけど。

一個も具体的なことは書いてないけど、まあ夏だし、もうちょっとロックに生きるよ。
極楽とんぼのオールナイトニッポンを聴いて、その中で話題になった『ヤザワ語録』に影響を受けているのかもしれない。笑える。

とか書いてたら800字を超えた。
自分の中でのルール、今回は守っちゃった。

大丈夫、結局ロックじゃねえから、俺は。

ただ、もう一度。
俺は、俺の時間をもっと大切にする。

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