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【先生の自由研究】〜学校におけるリーダーシップの研究(2章)〜

時刻は午前3時。
昼寝をしすぎて完全に眠れなくなってしまい、何をしようかと迷った挙句、この記事を書き進めることに。(大学の卒論を書いている気分ですね…)
前回も少しずつ書き進めたので、投稿するのは時間が空いてからになると思いますが、眠くなるまで頑張ります。

こちらの記事からご覧いただいた方は、ぜひ「まえがき」と「1章」からお読みください。


2章 学校におけるリーダーシップ

1章では、リーダーシップの歴史と近年求められるリーダーシップについてまとめました。この2章では、私たちが働く「学校」というフィールドに焦点を当てながらリーダーシップについて考えていきます。

1.令和型の学校教育に求められるリーダーシップ

1章で書いた、近年求められるリーダーシップをまとめると以下の通り。

・「サーバント・リーダーシップ」(引っ張るリーダーではなく、支えるリーダー)のような、「公式なリーダーに求められる在り方」
・「シェアド・リーダーシップ」に代表されるような公式のリーダーによらない「集合的リーダーシップ」の考え方

要するに、管理職のような役割としてのリーダーの在り方と、職員一人ひとりがリーダーシップを発揮することが大切だと解釈できます。

また、学校で求められているリーダーシップについて考える上で、参考になりそうなのが令和3年1月に中央教育審議会から出された『「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと, 協働的な学びの実現~(答申)』だと考えました。

読み進めていくと、リーダーシップという言葉が使われているところが合計6箇所。その中でも特に重要なのが以下の文章だと感じました。

○ 教員養成,採用,免許制度も含めた方策を通じ,多様な人材の教育界内外からの確保 や教師の資質・能力の向上により,質の高い教職員集団が実現されるとともに,教師と, 総務・財務等に通じる専門職である事務職員,それぞれの分野や組織運営等に専門性を 有する多様な外部人材や専門スタッフ等とがチームとなり,個々の教職員がチームの一 員として組織的・協働的に取り組む力を発揮しつつ校長のリーダーシップの下,家庭 や地域社会と連携しながら,共通の学校教育目標に向かって学校が運営されている。

p.22 2020年代を通じて実現すべき「令和の日本型学校教育」の姿 (2)教職員の姿

リーダーシップという言葉自体は「校長の」に続いていますが、「個々の教職員がチームの一員として組織的・協働的に取り組む力を発揮しつつ」という文からも、言わんとしていることは上に挙げた近年求められるリーダーシップと同じであるように思います。

「まぁ、そりゃそうだよな…」という結果だったのですが、学校現場で働く身として個人的に感じているのが、教室での「学級担任としてのリーダーシップ」と「職員室の一員としてのリーダーシップ」の違いについて。

特に初任の頃なんかは、教室にいるときは「担任として一番リーダーシップを発揮しなければならない存在」であるのに対して、職員室にいるときは「何もわからず一番リーダーシップから遠い存在」であることに少なからず違和感を感じていました。

年数を重ねることで少しずつこの差が埋まってきているようにも思うのですが、この違いにはどんなものがあるのでしょうか。自分の体験などをもとに考えてみたいと思います。

2.学級担任としてのリーダーシップ

小学校では多くの場合、初任者からクラスの担任を持つことになります。
新卒の場合、つい先日まで大学生活を送っていた人たちが、仕事を始めて2週間目辺りからいきなり40人弱の子どもたちの学校生活を導いていかなければなりません。

日(時間)によっては初任者指導の先生が一緒に教室に入ってくださる場合もあるかと思いますが、基本的には教室に自分1人。自分自身、嫌でも「リーダーシップ」を発揮せねばという思いにさせられたのを覚えています。

教室における学級担任の「リーダーシップ」を考える上で、今回取り上げたいのが「PM理論」。
この理論については、自分が受けてきた学級経営についての研修などでたびたび目にしてきました。

こちらのサイトを引用すると、言葉の定義としては以下の通り。(理解しやすいよう、画像も引用させていただきます。)

PM理論とは、リーダーが取るべき行動に着目した行動理論の1つで、リーダーシップ行動を、「P:目標達成機能」(Performance)を重視するか、「M:集団維持機能」(Maintenance)を重視するかという、「P」と「M」の2軸で定義するものです。

上の図からもわかるように、P(目標達成機能)、M(集団維持機能)ともに高い状態が理想的なリーダーとされます。

個人的な体験談としては、リーダーシップの大部分をP機能として捉えてしまっていたために、「綿密な計画や管理、徹底した指示・指導」の側面ばかりが強くなり、徐々に子どもたちとの関係性、子ども同士の関係性が崩れてしまったという過去があります…

担任としての強み・弱みを理解したり、それらを補完するための行動を考える上でも、このPM理論から学ぶべきところがたくさんあるように思います。

一方で、先ほども引用した『「令和の日本型学校教育」の構築を目指して』では、求められる教職員の姿として、他にもこのように書かれています。

○教師が技術の発達や新たなニーズなど学校教育を取り巻く環境の変化を前向きに受け止め,教職生涯を通じて探究心を持ちつつ自律的かつ継続的に新しい知識・技能を学び続け,子供一人一人の学びを最大限に引き出す教師としての役割を果たしている。 その際,子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えている。

最後の一文に「伴走者」の言葉があることから、個人的には第1章で取り上げた「サーバントリーダーシップ」(グイグイ引っ張るのではなく、メンバーの支えになるようなリーダー)のような在り方も求められてきているのだという風に読み取っています。

この数年でもオンライン授業が可能になったり、AIがどんどん発達していったりすることよって、学校教育の形が大きく変わってきているように感じます。
そう考えると、学級において担任が求められるリーダーシップの在り方もまだまだ時代と共に変わっていくのかもしれません。

3.職員室の一員としてのリーダーシップ

さて、学級担任として子どもたちと過ごす時間を終えると、職員室に戻って様々な仕事を進めます。
個人的には先に述べたように、このタイミングで良くも悪くも「リーダーシップ」のスイッチのようなものが切り替わる気がしていました。

そのような考え方で過ごしてきた私は、これまで自分が分掌として与えられた役割(体育主任や研究委員)においてリーダーシップを発揮しなければという思いもありながら、職員室の一員としては全くリーダーシップを意識してきませんでした。

ここで重要な考え方は、1章で紹介した「シェアド・リーダーシップ」を代表する集合的リーダーシップや非役職者が発揮する「インフォーマル・リーダーシップ」。
管理職や教務主任はもちろん、そういった立場以外の人がいかにリーダーシップを発揮していくかが求められる時代になっていきます。

私の職場では、ちょうど「シェアド・リーダーシップ」の考え方を使って組織図が改変されていたところでした。(主に一つの分掌内におけるメンバーの数を減らして、よりスピーディーに、そしてより個人の意見が反映されることを狙っている)
実感としても、以前より分掌でのミーティングが活発になっており、学校運営に関わっているんだという気にさせられます。

また、インフォーマル・リーダーシップについて考える上で、大きな経験となったのは、非公式なところから始まった「働き方改革プロジェクト」。(詳細は割愛しますので、気になる方は下の記事をぜひご覧ください。)

分掌とは違い、希望者のみが参加して活動してきたこの「働き方改革プロジェクト」。
今考えると、非役職者がリーダーシップを発揮する手順「①まずは自分自身をリードし、②現状から変化をもたらすために目標を掲げて活動し、③他者と協働して他者が動きやすいような働きかけをする」をまさに実行していたのだと思います。

ここで得られたのは「当事者意識」。
「職員室にいる一人」から「職員室をつくる一人」に変わっていきました。

そしてそれは、そんなに難しいことではなく、「少し意識を変えること、小さく行動を起こすこと」で変わっていくんだと学んだ経験でした。


以上、この記事では、「学校におけるリーダーシップ「と「担任、職員室の一員としてリーダーシップの発揮の仕方にどのような違いがあるのか」をまとめてきました。

初任者に対していきなり「リーダーシップを発揮しましょう」と言っても難しいような気がしていましたが、このようにまとめてみることで、特に職員室でのリーダーシップを発揮する行動ってそんなに難しく考えなくていいのではと思えるように。(自分が初任者の時に知っておきたかったなぁ…)

リーダーシップは学習可能である」というのが最近のリーダーシップの考え方だと言われています。
そこで次回の第3章では、具体的にどのようにリーダーシップを学習していけばよいのかについて取り上げていくつもりです。次回の更新もお楽しみに!

結局書き始めて1週間弱かかってしまったこの記事。
今回も長い長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!!


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