見出し画像

息子たちの不登校が始まった

今から3年前の2017年が、息子2人とも不登校に突入した年でした。長男は5月から、次男は9月から。もう二人とも不登校4年目に入ってきます。

当時長男小5、次男小2。私は東京で働き、妻と息子2人は石川県金沢市在住でした。いわゆる会社都合の単身赴任でなく、逆単身赴任。これが6年目に突入しており、長男は5歳から、次男は2歳から父親無しの生活が普通になっていました。

逆単身赴任の話は別の機会にお話しするとして、、、

子どもたちと週末は一緒に公園で遊んで、家でワイワイやって、そこで子どもが親から何かを学んで成長して、、という私が描いていた家族の理想像は、この時点でも実現できておらず。加えて、不登校になることは、この先に私が描いていた理想像、具体的には学校卒業して、社会人になって、そして結婚して孫が産まれて、という理想の実現どころか、ずっと自立できない大人になってしまうのでは? という恐怖を感じました。

とはいえ、無理やり行かせるのは、会社で言えばメンタル不調の社員に出社を強要するようなものだし、勉強は後から追いつくことはできる。

ただ社会との接点が無くなり、母子3人の狭い世界だけで生きていくのは良くないと感じていました。

これは、自分自身も幼い頃に、友達からいじめられた経験があり、でも何とか頑張って、逆にいじめから学んだことも生かして、今社会人で仕事できている自負があったこともあるでしょう。

この「社会との接点」作り、これがフリースクール探しにつながっていきます。

とはいえ、私は逆単身赴任の身で、探すのは妻任せ、子どもたちの日常にも寄り添えず、月謝の算段もしないといけないし、、、といった感じで頭の中がグルグルしつつも、東京に戻れば、仕事は多忙なことに加え、家族が目の前にいないことが普通になってしまっていたこともあって、家族と真剣に向き合わない、深く考えない、悩まない癖がついてしまっていたのかもしれません。

実際にフリースクールが決まった時、妻と一緒に行って責任者の方から方針や考え方を聞く機会がありました。そこには真剣に耳を傾け、物わかりの良い父親を演じている自分がいた気がします。

あくまでここは社会との接点を維持するための場所であり、いずれ私の逆単身赴任状態が解消されて、普通の家族の姿に戻ることができれば、子どもたちも通常の道に勝手に戻ってくれるだろう、と勝手に考えていたのかもしれません。

今にして思うと、家族と向き合うことを避けていたことで、特に息子たちの本当の気持ちなど1ミリも理解できていなかったように思います。

(次回へ続く)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?