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陽炎。生と死と現在地。

陽炎(かげろう)~今見ている物語~

そこにあるのに、通り過ぎてゆく
あることが自然で、風景のようで
でも、たしかにそこにある
意味があってもなくても、何気なく、さりげなく、ただそこにある

今、なにが見えていますか?



先月からベーカリーで働きはじめた。

前職は、新卒のはたちから30歳まで、印刷会社でグラフィックデザイナーとして働いていた。

自分でも、デザイナーからパンをつくるお仕事をすることになるとは、全く思っていなかった。


今は午後から半日ベーカリーで働いている。

パンの成形をしたり、掃除をしたり。
仕込みや、翌日へのバトン渡しがメイン。

パンの成形は身体が喜んで楽しいし、掃除は割と好きなので苦にならない。

掃除はとても大事な工程なのだと教えてくださった。

パンの成形をしていたら指先が器用になったのか、箸の持ち方が綺麗になった。


たまに売り場に出て、お客さんと会話をする。職場の人とたわいもない話をすることもある。

ベーカリーでの日々は、お客さんの日常の安心とワクワクをつくっている実感をありありと感じる。

楽しい。


あーーー、

生きてる。


仕事を終えると制服から着替え、汗だくでロッカールームを出る。

駐車場にとめた車にたどり着くまで少し歩く。

濃い大きな影を歩く。

太陽はジリジリとアスファルトを照らしている。


ふと遠くに目をやると、濃い緑がゆらゆらと揺れた。

陽炎だ。

歩きながら陽炎を見ていると、

ふと、父方の祖父のことを思い出した。


子どもの頃、お盆に祖父母の家に行くと必ず祖父が温水プールに連れていってくれた。

プールでふわふわと泳いだり、はたまたぶくぶくとしたあたたかなお風呂であたたまるのも好きだった。

祖父はよく、横泳ぎをしていた。体力を消耗せず長く泳げる泳ぎ方らしい。

学校でもスイミングスクールでも習わない泳ぎ方で、どうやって進んでるのか理解できず、「すげえ」って気持ちとなんか面白いって気持ちが入り混じりながら眺めていた。




そう。

話は変わるけれど、5年前からなぜか「死にたい」という言葉が頭の中に現れるようになった。

全く死にたいわけではないけれど、なぜか頭の中にぽつんと存在する「死にたい」の文字。

嫌なことは何も起きていない。
いつもの日々だ。

向き合えば向き合うほど、苦しくなった。

「死にたい」という言葉はとてもインパクトがある。でもなぜ私の中にその言葉があるのかわからない。「死にたい」という言葉が私の中になぜかいる、そのインパクトに気圧されていった。



時を経て今は、私の心と身体が求めるものとは違うことをしていると「死にたい」は現れ、「ちがうよ」と教えてくれるものだと分かった。

「死にたい」は、健やかさを保つためのバロメーターになった。

今は「死にたい」が出現することはほぼないくらいには減ったけれど、生きている限り健やかではいられない時もある。

「死にたい」という言葉が湧いてきたときは、自分のまっさらな欲求や本音に耳を傾ける。

何が欲しい?


今は自分の一部として、仲間として迎え入れることができたけれど、3年くらいかな、たくさんの時間がかかった。


「何でこんな気持ちが私の中にあるんだろう?」と苦しくて荒れていたとき、助けてくれたのは、横泳ぎをしていた、今はもういない祖父だった。

偶然か必然か、父に家系図を見せてもらう機会があり、亡くなった祖父の話を聞いた。

祖父は生まれながらに辛い境遇にあり、たくさん悲しいことがあったそうだ。時代ゆえの苦しみもあったと思う。大切な人がみんないなくなることも経験したと聞いた。

この話を聞いたとき、

何もできなくてもいいやと思った。

生きてるだけでいいや。

今日も何もしなくていい。

生きていればそれだけでいい。

最悪、祖父が繋いでくれたいのちを繋ぐことができたなら、それだけでいい。



そんなこんなで、役割を終えた感じがしたのと直観で、前職を辞めるタイミングがやってきた。

自分でも辞めると思っていなかったし、頭では辞めたいと思っていなかった。

上長と丁寧に、何度も対話をした。

長年本当にお世話になった。

二十代のすべてをすごした会社。いろんなことがあった。

たくさんありがとうを伝えた。

ありがとうございました、これからも応援していますという気持ちを込めて、抜けのないよう引き継ぎをした。


退職してからはすぐに働くものだと思っていたけれど、1年半は無職だった。

しばらくぶりに、何者でもない自分を過ごした。

この1年半は、本当にたくさんの出会いがあった。

旅先では、何者でもない、そのままの私がいた。


ある日、「今日は朝ドラを見れるところまで見る」と直観したので、素直に見てみた。

朝ドラ『虎に翼』の主人公の夫、優三さんの言葉に泣いた。さらに、日本国憲法の意訳だという説を聞いて泣いた。


大きなものに守られていることに気づいた。

すると、心の中にどっしりとひとときの平穏が訪れた。


それから、

前職は長らくデザイナーだったけれど、今はベーカリーで働きはじめ、理想だった「半日働く」を実現している。


ベーカリーで働くきっかけは、いろんな人と話すことで、自分の中の仕事についての考え方がとっても固定的だったことに気づいたことが大きかった。

正社員でなければ。

デザインの知識や経験をどう活かそうか。

出来上がった履歴書と職務経歴書はキラキラしていた。真摯に取り組んできた10年が詰まっていた。

転職エージェントと話しながら添削をしてもらう。少しでも企業側が引っ掛かりを感じると書類選考は通らないと伝えられた。

いくつかエージェントと話す中で分かったことは、私がコーチングをやっていきたいことが書類から滲み出ていることだった。

エージェントと話す中で、偽りの希望と本音がクリアになってきた。だから応募ボタンが全く押せなかったのだと気づいた。


これから私はどうするのだろう。


そんなとき友達と話していると、「アルバイトをしてもいいのか」と視野が広がった。

それから、姉と話している時に「ふわふわもちもちのパンになりたい〜」ってねっころびながら潜在意識っぽいところから言葉にしている自分がいた。

私はミセスのファン。Mrs. GREEN APPLEの新曲「Dear」という曲が発表された。

これらの歌詞に惹かれた。

左胸の鼓動を感じている
右の脳で君を愛してる

なんて素敵な歌詞なんだ

幼さでパンを作って
大人びてジャムを塗ろう

何度聞いても印象的で
意味が分かるようで分からない

創造していきたいとなんとなく思った。


直観から、コーチングスクールの最後のコースを受講し始めていた。

「私は、ふわふわでもちもちのパンです」(比喩)というこれからのビジョンを描いた。

リラックスしてて寝てるような、ふわふわしてるけどもちもちしてるからなんか芯がある。

そしてこのパンのイメージの実物を探した。おしゃれなパン屋さんのパンじゃなくて、いつもそばにあるネオバターロールのレーズン入り。

レーズンはパンに合うのに存在がなんか変な気がする。でもいるとなんかいい。美味しい。ちょっと変で創造的でありたいと思った。


そしてある日家族と話していると、すぐ近くでパートのお仕事とかいろいろあるのかと、灯台下暗し的な視野がひらけた。

その数日後、「誰かの言葉で、合った仕事を教えてもらえることもある」「ここでしか働きたくない・この仕事しかしたくないというのは上から目線」という言葉を聞いた。

その数日後、今日はどんな日にしたらいいのか聞きたくなり、「今日は何をするべきでしょうか?」と問うてみた。

すると、「求人を見る」となんだか明確な言葉を直観した。

求人を見ても何も変わらないだろうと嫌々ながら、作業的に求人を見た。

自分の理屈や頭の考えに反していたとしても、直観は大事にしているので、直観したら、やる。

以前とは違い、いろんな出来事や情報から、小さく始めよう、人からもらう言葉も大切にしよう。という自分がいた。

肩の力が抜けた。

そこで、ベーカリーの求人が目に留まった。


これまでは、「フルリモートで」「デザイナー」これが今の私が一番世の中にコミットできること、コミットできる効率的な仕事の仕方だと仕事を探してきた。

でも本当は、1日の中で少しでもいいので誰かと対面で話す時間や、身体を動かす業務を心と身体が欲していた。

また、明らかな体調不良も出てきた。

仕事を辞めたことで、健康診断の形式が変わり早めに気づけたことはとても良かった。

人生でいつか叶えるんだろうと思っていたことが、いとも簡単に揺らいだ。

原因を知る。

先天的なものもあるけれど、後天的な原因も知ることができた。

これまでの生き方、考え方、日々を、変えなければならない。

私にできることは何か。
頼れることは何か。


マイコーチとのセッションの中で、自分の身に起こっていることを言葉にした。

いつか叶えたいと思っていたことは、人生で「これだけは叶えたいこと」なのだと気づいた。

叶えられなくなったわけではない。

本当に叶えたい生き方を実現しようよと、向こうからやって来てくれた。

人生で本当に叶えたいことから、「今、叶えるんだよ」と言われている気がした。



まだいろんなことに心が追いつかないまま、ベーカリーの求人を数日眺めていた。
本当にこれでいいんだろうか。

自分を亡くすほど疲れることへの恐さがあったので、悩んだ。


すると数日で求人がなくなっていた。

これまでは、「ここはご縁ではなかったんだ」と思うことが多かったけれど、求人がなくなっていることに大きなショックを受けた。

それだけ、もっと近くで働きたかった、そしてパンを作る仕事をしたかったことに初めて気がついた。

他の求人サイトでは求人を見つけることができ、ワンチャンあるかな?と応募してみた。

それから、ご縁がありベーカリーで働くことになった。

店長さんにはコーチングやカウンセリングをしていることも伝えた。


これまでずっとお世話になってきた地域に自分のリソースをお返しできていること、身体を動かせていること、人との繋がりを感じられることが、今とても嬉しい。

寒いのが苦手なので、寒くないことも嬉しい。笑

午前中は私にとってゴールデンタイムなので、リセットされたクリアな状態でコーチングをしたりしている。

午後からはベーカリーで働く。

印刷会社時代は「紙」、今は「パン」という「形」で確かにこの手に目の前に感じられるものが、喜びとともに手に渡る瞬間が好きなのだと気がついた。

体験したいことを体験できている毎日。


生きているだけでいい。


生きるを味わい続けたい。


そのためにコーチングをしているのだと、ふっと腹落ちした。



本日8月13日はお盆の入り。

祖父に今の私の報告と感謝を伝えたい。



お読みいただきありがとうございました。




この記事は、THE COACHの仲間と綴る『アドベントカレンダー』2024年夏のテーマ、「陽炎(かげろう)~今見ている物語~」に寄せて書きました。

みどりん、まほさん、ありがとう。

最近note書いてないな。ちょっと書いてみようかな。カレンダーに並ぶ名前の一覧を見たとき、マホさんのあとに書いてみたいと思った。

前日8/12のマホさんの記事とも繋がっている気がして、なんだか嬉しかった。

素敵なので、ぜひほかのnoteも読んでみてください。

明日以降も、毎日誰かが記事を投稿します。楽しみだね!




最近いろいろなことが言葉にできなかったのは、自分の安全を守るためだった。

インテグレーション・コースが8/31に終わる。旅路の中で、「自分の安全を守れているだろうか?」と時折考える。

しかしこの記事の言葉は、断片的に、曖昧だけど伝わるように言葉にされたがっていたような気がしていて、言葉にするご縁あるタイミングだった気もしている。

ありがとう。

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