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恋愛|運命の人

スピッツの「運命の人」を聴いています。

この歌詞に心を傾けながら、今の自分が思いつくことを書いておきます。

歌詞は、「バスの揺れ方で人生の意味が 解った日曜日」で始まります。

バスの揺れ方で人生の意味が 解った日曜日
でもさ君は運命の人だから 強く手を握るよ

この「でもさ」で、受ける印象の全てが、右から左に変わる気がしたのです。

それで、何度か聴きながら最初のひっかかりを整理して、この歌全体はこんな意味じゃないかなと思いました。

日常はとてもシンプル
人間もそんな感じ
バウンディングする中で繁殖する自然の一部
でも、だからこそ
自分から手を結んだ人とは
運命を信じて、転げながらでも
永遠を生きるつもり
だから神様よろしくお願いします

神様にお願いするならそれは、ここだろ?って感じでしょうか。

この歌は、青春真っ只中くらいの若者をモデルにしたメッセージソング。だから、盛りへ向かっていく繁殖が前提なのだろうけれど、そこは置き換え可能で、どうとでも読めますね。置き換えられるかどうかで、生き方もきっと変わるというか。置き換え方で、変わるというか。広がりがある歌です。

この記事のタイトルに「恋愛」とおきながらなのですが、恋愛でなくてもいいと思いました。恋愛・結婚・子孫繁栄の方が、人と人とは絆が深くなりやすいので実感しやすいのですが、何もそれに限らない。肉体があるうちの人と人との出会いは多様で、その関係性から生まれてくるものが魂にまで響き、永遠に遺るものであれば、どんな関係でも構わないと思いました。

とりあえず、ここでの恋愛観は階層的になっていて、構造がわかりやすいです。

コンビニ
 ↓
選 択
 ↓
運 命

だけど、人間ができるのは「選択」までです。

コンビニ =有るか無いかの世界
 ↓
選 択  =人間の自由意志の世界
 ↓
運 命  =神様の世界

そして、この歌から感じるのは「選択」=「運命」を願って、神様に手を合わせているということです。なぜか。

反対に、「選択」≠「運命」ならどうかを考えるとわかります。

それは、初めての交際であったとしても周囲を見れば、失いたくなければないほど、失う怖さを感じる。どこかで「俺、サルだな」と悟りつつ欲まみれになっても、運命を感じて「手を強く握」っても、ダメな時はダメになるのがわかる。ま、そうなんだろうなという覚悟はする。いや、そうなんだけど! だとしても、最初から適当なのも、神様に委ねるのも、やめようよって言っている気がします。

言い方を換えて見ると。
歌詞にある「日曜日」というのは、めちゃめちゃ盛り上がった週末の後のこと。そのとき、たとえばホッコリした相手から、

わたしたち運命だよね(ハート)

という表現での多幸感を呟かれたとしたら、それには、なんだか共感できなくて、どこか興醒めになったりすることもあるのではないか。
で、思わず思うのは、

いや、待て。俺は神様に従ったつもりはない
(ここに神様だってなんだって、さし挟むなよ)
俺は選んだんだ

という意思を漂わせてしまうかもしれません。
男性だけがそう思うとは限りません。

社会人になってしばらくした頃に、同級生と再会し、積もる話があって気心が知れて話しやすくて、飲み友達になったことがありました。結局、居酒屋で、バーカウンターで、フレンチレストランで、最後は焼き鳥屋で聞かれ続けたのは「どうして好きだって言ってくれたの?」「どうして急に嫌いになったの?」でした。学生時代に、付き合っていたといえばそうなのですが。

ただ、どうしてって…、8才くらいですからね。

その頃の「スキ」に理由はあるのかなぁとか、一度は真剣に考えて、何かしら答えました。が、本当の答えは出ていません。でしたし、何度か尋ねられることへの対応だっただけ。きっと、彼の方に当時、決まった答えがあってそれを聞きたい理由があったのではないかと思っています。それが、もしも「運命」だったとしたら、それは違う気がするのです。

それは、このスピッツの「運命の人」を聞けば聞くほど、まさに逆さまだと思うわけです。

つまり、幼いながらも、その時の「選択」は済んでいて、双方にとっても期限切れ。で、神様の決めた「運命」というのは時間をかけて別の様相をあらわにしていき、すでに簡単に変えようがない設定のなかです。たとえ、幼い恋物語に決着がついていないとしても、そこまでであって、自分以外の誰かの答えを知ったところで、どうすることもできない。つまり、再会は、新しい出会い=別バージョン、番外編です。8才で出逢ったかもしれないけれど、社会的に成功して週末に息子のスポーツ観戦に出かける彼は、別の選択をして生きている、幸せな人。それでも何かあるならば、そこで考えて自分で答えを出した方が、早く何かにたどり着ける気がするのです。

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一時期は気ままに飲めて楽しかったけれど、今ではご時勢もあり体調もあって、外での飲酒もしなくなり、疎遠になってしまいました。

そうやって、知ることで先に進む運命もあるだろうし、逆に、知らないまま先に進めた方がいい運命もあるかもしれないのです。

追記:2020/11/21修正



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