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世界が緊急事態のときキッチンの片隅で咲いた「ネギ坊主」

2週間に一度のスーパー買い出しを率先するなか、キッチンの片隅で長居していたネギが花を咲かせました。

この記事にある3枚の写真は同じ「ネギ坊主」です。

そのときの食材ストック事情から、私の緊急事態(急にすき焼きとか)のため一本だけ残しておいたネギが、機を見てやる気を出してしまった結果を記念撮影。今回は加工しましたが、加工しなくても美しく咲き誇ってました。

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というのも、はじめは食べるための野菜の失敗した姿という認識だったので発想として撮るつもりがありませんでした。それでも、見ているうちに瑞々しさが発光しているようで、身体が動いてカメラに手を伸ばし何枚も撮ってしまったからです。

オーストリアの画家エゴン・シーレが好きなのですが、彼を知った最初の一枚は、大きな美術館で開催された特別展の「ひまわり」でした。ゴッホの比じゃないくらいに魅了されました。そこで立ち止ってしまい「誰?これ書いたの…」って思ったのを思い出します。その「ひまわり」は枯れています。白い背景に茶色に腐ったようなgagigagiの線が崩れ落ちそうに一本で起立している姿です。永井荷風に「つゆのあとさき」という短編があったことを思い出すような、そんな耽美なのです。下の写真は、トイレという1人用の密室に10年くらい飾ってあるエゴン・シーレのポストカードです。

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枯れたあとでもキレイな花はキレイ。枯れかけた側面もそう。人間も同じです。二十歳の私はそれをよく知っていましたから、最も浮かれていい時を過ごし損ねています。20代というのは(今はもう完全に20代ではありません)、本来なら呆れかえるほどに開いたチューリップが枯れる前に花びらを落とすような時期ですね。枯れても落とすものは落とすわけですが。


だから、このネギが不思議なのはキレイに咲いたあと。

しばらく気づかなかったので、長いことそこにあったと思うのですが、腐ったりせず本体もおいしくいただけました。もちろんすき焼きです。ふつうは、芽や花に栄養分をとられた本体というものは、役目を未来へ移したことからエネルギー不足で、それこそgagigagiのへにゃへにゃになります。

いま家のキッチンでその状態なのが「インカの眼覚め」。これは目覚めやすいジャガイモだけあってのネーミングか、本当は相当シュールな存在なんだと感じたくらいに容赦なく芽が出ます。だけじゃなくて、本体が哀れなほどgagigagiのへにゃへにゃなってしまっています。

ネギがあった場所というのは、シンクの左下あたりです。お花を買うと入れてくれる長いビニール手提げ袋がありますが、それにゴボウとかネギとか、大根も。ちょっと長持ちする少し土のついた縦型の根菜類を入れて、シンク下面の扉にひっかけるフックへ吊るし保管しています。見た目も実用も、根菜類が土の中にいるときの姿勢を保つように常温保管しているわけです。初夏を過ぎると、カビの危険がありますから新聞紙で包むとか工夫が必要でしょうが、できればこれからの季節にはおススメしません。冬を挟んだ半年間くらいがベストの、手軽な保管方法です。シンクのあたりは湿気が多いのでしょうね。

それにしても、こんなに野菜をまじまじと見る機会はいままでなかったと思います。何十年も料理をあまりしませんでしたから。この自粛生活で確実に外へは出ず急に自炊料理だけで生き延びることになったおかげで、食材のストックや調理について明るくなりました。

数カ月前にデビューしたミラーレス一眼(OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅡ(M.ZUIKODIGITALED12-40mmF2.8PRO)で撮るのは、目の前にあるものばかり。はじめてすぎる撮影では、特に食材や食事を気ままに撮ることが多かったのですが、そのなかでも野菜がとても美しいことに気づきました。「誰が?」に思いをはせるときは、極上のものに出合った瞬間なのでしょう。美しく仕上がるほどに丹精込めたものは、どうでもこうでも輝きながら語ってくるので困ります。引きずり込まれて時間を忘れてしまうのです。

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追記:2020/06/20
以下は、はじめてのミラーレス一眼での撮影記録記事です。

突然の自粛生活で屋外撮影が出来なくていろいろと習熟が頓挫したままです。が、もともと初撮りの被写体が豆苗の元気な姿というミクロコスモス。この時から植物や野菜、食物の美しさに魅了されていたと思います。




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