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第1章 みんな弟が好き【2/12】

確信

ガス炊飯器のアルミ製の丸い外蓋には、その外周に沿って菊の花びらのような模様がパンチングで施されていて、それと弟のミニカーの幅はぴったりだった。それを道に見立ててミニカーを走らせるとタイヤがガタガタと音を立てる。幼いころの弟はそうやって遊ぶのが好きだった。母が目を細めて言う。

「うまいこと見つけたねぇ。」

弟は車が大好きで、母が掃除機をかけ始めると、真っ赤なそれに乗っかってついてまわる。

「ぶーん。ぶーん。」

とろけそうな笑顔で弟を見つめる母をわたしが呼んだ。振り返った母の顔は険しいものへと変化している。

「やっぱりお母さんはわたしのことが好きじゃないんだ…」

そんな場面に何度も出くわすうちに、それが確信に変わった瞬間だった。わたし4歳、弟2歳、母29歳の時のことだ。


かわいげのある弟

思春期を迎えるまでの弟は、姉であるわたしから見てもかわいらしかったと思う。愛嬌があって人なつっこく、笑顔を向けられるとこちらもつられて思わず笑みを返してしまうような子どもだった。

母はよく、わたしの前で弟を褒めた。弟はごはんを食べた後に「あー、美味しかった」と満足気に言うことがしばしばあったのだが、それがとてもうれしいと何度も言っていた。確かにかわいらしいし、作りがいを感じられたのだろう。

「よく気が利く子だ」ともよく言っていた。周りの状況をよく見て適切な言動をするので、これは母だけでなく家に来られたお客さんからもよく言われていた。

また母は彼の咀嚼音が好きだったようで、
「いい音をさせて食べるねぇ」
といつも言っていた。

対して、黙ってごはんを食べるわたし。ぼんやりしていて気が利かないわたし。責められずとも、自分の前で弟だけが褒められるといい気はしなかった。

わたしが4~5歳のころのある日、母と3人でお昼ごはんを定食屋さんでいただいたことがあった。弟は2~3歳のかわいい盛り。お店の大将も従業員も、皆が弟のことばかりに注目して「かわいい」を連発し、わたしのことには誰ひとりとして目もくれない。
「お母さんだけじゃなく、みんな弟のことが好きなんだ…」
そう感じてとても悲しく寂しい気持ちになったことをよく覚えている。


病気だった伯父

わたしの家の隣には祖父の家があり、そこには跡取りである伯父一家も同居していた。その伯父は40歳のころに脳梗塞で一度倒れていて、それが原因で体に麻痺が残っていた。病気になる前は前衛書道家として活躍していて、自宅で書道教室を開いていたらしいのだが、それはわたしのものごころがつく前のことだった。だからわたしが知っているのは、働くことができず言葉をうまく話せず、麻痺が原因で時々よだれを垂らしてしまう伯父だった。

その伯父は、わたしたちきょうだいに時々お菓子を買って持ってきてくれた。田舎あるあるで家の玄関の鍵は開いているのだが、親戚やご近所さんは勝手口や部屋の窓からやってきたりする。そして伯父はいつもわたしたちが過ごしている居間の窓をトントン、と叩いてやってくるのが常で、それに続く言葉はいつも決まっていた。

「まさくんよぉ。ええもんやろう、ええもんじゃ。」

『まさくん』とは、弟まさきのこと。そして、この呼びかけの部分がわたしの名前に置き換わったことは一度もなかったことで、わたしはこの言葉にずっと引っかかりを覚えていた。
「やっぱりおっちゃんもわたしより弟のことが好きなんだ…」

実はこの伯父の話は、「悲しかった」で終わらない。それはここのテーマから外れる余談であるし、罪悪感と羞恥心で身を切られる思いがするのだが、わたしばかりが被害者ぶるのも公正に欠けるとの考えから、思い切って書くこととする。

その時のわたしは5~6歳だったと思う。お菓子を持ってきてくれる時にわたしの名前を呼んでくれない悲しさ・寂しさの感情に攻撃性が乗っかった瞬間があった。祖父の家の庭で遊んでいた時に、伯父がよだれを垂らしたのを見たのだ。

わたしは伯父に向かって「よだれマン」とはやし立てた。そして、あろうことか傍にいた弟をあおって同じようにはやすように仕向け、自らの罪を薄めるための共犯者をつくりあげたのだ。

伯父は黙っていたが、悲しそうな目をしていた。わたしだけではなく大好きな弟にまで言われたことが相当なショックだったのだろう。

そして自分もやり返したからと言ってちっともいい気分なんかにはなれず、「悪いことをした」と感じ、以来ずっと気味が悪くてずっしりとした重いものを背負わされている感覚がある。さらに話がそれるが、わたしが人に仕返しをしなかったり、とどめを刺すような言動をしないようにしていることの原点はここにあるのだと思う。差別の構造について関心を持っていることも、また然りだ。

小学校に入ってすぐにわたしは習字教室に通い始めたのだが、お稽古初日の前夜、玄関のインターホンが鳴った。ドアを開けると、伯父が赤いお習字セットを持って突っ立っていた。無言でそれを渡され、わたしはぼそりと「ありがとう」と言って受け取った。

ものすごくうれしかったことを覚えている。『まさくん』としか呼んでくれなかった伯父が、わたしがお習字を習い始めることを聞きつけてわたしのためにお習字道具を揃えてくれてわたしのためだけに家に来てくれた。あんなことさえ言ってなかったら、もっともっと素直に喜ぶことができたのに。

習字教室の先生は複数のお弟子さんを持っておられたので、子どもに教えてくれるのは主にお弟子さんたちだったのだが、どの先生からも口を揃えて「いい筆を使っているね」と言われた。伯父は初心者であるわたしに最高の道具を与えてくれたのだと知った。

それから3年ほど経ってから、伯父は再度脳梗塞で倒れ、わずかな入院期間を経てそのまま還らぬ人となった。享年49歳だったと思う。

わたしは今でも筆を握るのが好きだ。無心になれるあの感覚と時間がいい。きちんと反省をして少しは分別がついて筆も嗜んだ大人のわたしを、伯父に見てほしかったな。おっちゃん。謝って済むようなことではないけれど、本当にごめんね。

さて、以降は「みんな弟が好き」とは少しテーマがずれるが、わたしよりも弟が大事にされていたという家庭内のエピソードについて触れることとする。


カルビーのTシャツの当選

幼い頃、日本を代表するスナック菓子メーカーであるカルビーのキャンペーンで、Tシャツが当たるというものがあった。当時大人気だった理由の一つとして、ローマ字表記された名前のアイロンプリントが無地のTシャツとともに届き、それを自分の好みの配置でプリントできるという、ちょっとした手作り感を味わうことができた、ということが挙げられると思う。

家族でせっせとカルビーの商品を食べ、両親はわたしたち子どもの名前で平等に口数を割り振って応募してくれたのだが、それが弟だけに当たった。当選確率がかなり低かったらしく、両親は大喜びで家の中はお祭り騒ぎだ。2人でアイロンを奪い合うようにしてプリントの配置決めをし、仕上がったTシャツを愛でて満足気だ。そしてそれを弟の意思とは関係なく着せて外出し、それを見た人に「なかなか当たらないのにすごい」と言われて得意満面。

わたしはそんな様子を子どもながらに冷ややかに見つめつつ、置いてけぼり感を味わっていた。


デジロボ(?)と目玉焼き

その数年後、全く逆のことが起こった。とあるキャンペーンの応募にわたしだけが当たったのだ。景品は『デジロボ』みたいな名前で、一見デジタルの時計なのだが、中に折りたたまれて収納されている頭・手・足を引き出すことであ~ら不思議!ロボットに変身するというものだったとうっすらと記憶している。

なぜ記憶がおぼろげなのか?
それは、すぐに捨ててしまったからだ。

けれども、母から当選の知らせとともに景品を渡された時のことははっきりと覚えている。

仕事から帰った母がわたしのところに来て、「これ、あんただけに当たったんよ。まさきが知ったらまたうるさいから、黙っといてな。」と、ひそひそ声で言って景品を押し付けて去っていったのだ。

部屋に残されたわたしはとりあえず景品を開封し、ロボットの手足を出したり入れたりしながら数年前のカルビーの一件のことを思い出していた。わたしの場合は当選を喜んでもらえないどころか、この事実をなかったことにしようと思われていることがとても悔しかった。

しばらくこのデジロボは机の引き出しに入れていたが、わたしの目に触れる度に心をかき乱されるので、ある日思い切ってゴミ箱へと放り込んだ。

両親は、弟が自分の思い通りにならないと大騒ぎするのを嫌い、彼の要求を呑むことでしか解決させなかったし、デジロボの件のように予防線を張ることがしばしばあり、そうやって何も言わないわたしに我慢を強いていた。

フルタイムで働いていた母は常に忙しく、食事の支度もバタバタとするからか、わたしたち子どもに作る目玉焼きのうちの一つの黄身をつぶしてしまうという失敗をよくやっていて、その失敗作は決まって私のところにやってきた。
「まさきがうるさいから、ごめんな。」
そんな言葉が添えられることも時とともになくなり、つぶれてパサパサになった黄身がぺちゃんと白身の中に収まった代物は、いつしか当然のようにわたしの前に置かれるようになった。


見過ごしていたわたしへの好意

このように愛に飢えていたわたしなのだが、よくよく振り返ってみると、時々わたしに好意を持って近づいてきてくれた人たちがいたことに気付く。

小学校2年生のころ、友達の友達の女の子と遊ぶ機会があった。初対面だったがとてもはきはきとしていて気持ちの良い子で、遊んでいる途中に急に
「私、あんたのこと好きじゃわ。」
と言ってくれた。

高校では、家庭科の調理実習の班が一緒になったのが縁でちょこちょこと話すうちにわたしのことをおもしろがってくれて、
「やぐちさんはまるでスルメのよう」
と言ってくれた人がいた。

また、少しの間外国に住んでいた時に知り合いになった現地の女の子と何度か会ううちに、
「雰囲気が好きだわ」
と言ってもらえたことがある。

ここには挙げないが、他にもある。

このような時にわたしの心がどのように反応してきたかというと、こうだ。
「今は好きだと言ってくれているけれど、本当のわたしを知ったらきっと嫌われてしまう。嫌われたくないからこれ以上近づかないでおこう。」
自己肯定感が低いとこのように後ろ向きに考えてしまうのだ。

自分で自分が嫌いなくらいなのに、人に好かれるなんてそんなことがあるはずがない。それでももし好かれたとしたら、その人は表面上のまやかしのわたしを見てそう感じているだけで、本当の自分を知ったらきっと自分から離れていってしまうであろう。だから傷つく前にさっさとわたしから身を引くべきなのだ、と。

今から思えば、もったいないことを沢山してきたと感じる。時、すでに遅し。それでも、実際にはこんなわたしと長く心を通わせてくれている友だっている。本当にありがたいことだ。

「みんな弟が好き」から翻って「みんなわたしが嫌い」だと信じきっていたが、そんなことはない。世の中はそんなに簡単にできていない。




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