見出し画像

みんなで、一つ。


バンドって、なんだろ。

中学の時、友人が貸してくれたブルーハーツに心を持っていかれた。
まあまあ演奏も歌も下手な彼らは、誰が聞いてもわかるような言葉だけを使って、まあまあ誰でも出来るような演奏で圧倒的な自己表現をしていた。

当時僕はそれが上手いのか下手なのかも全くわからなかったけど、熱狂した。今思えば、ブルーハーツは上手くなくて簡単なことも、多くの人に刺さった1つの理由なんだろうと思う。

誰かのルールはいらない 誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない 真実を握りしめたい
僕らは泣くために 生まれたわけじゃないよ
僕らは負けるために 生まれてきたわけじゃないよ
(THE BLUE HEARTS/未来は僕等の手の中)  

ともすれば誰にでも馬鹿にされてしまいそうな彼らは、自分達をしっかりと愛していた。それも、必死に言い聞かせるように自分たちを愛していたわけではなく、当たり前に自分達をしっかりと愛していた。
だから、僕みたいにそれをちゃんと出来ない人間のことを心配してくれて、愛を届けるところまでしてくれていた。
僕はリアルタイムを知っている人間ではないけれど、きっと「こうあらねばならない」が今よりもずっと当たり前だった時代に、どうしても何かになれなかった人達にとって、「あなたであればそれでいいんだよ」は、大きな救いだったのだと思う。

★★★

友人がみんなバンドをやり始め、僕もしっかり音楽の沼にはまっていった。
くるり、RADWIMPS、Blankey Jet City、APOGEE(超懐かしい、知ってる人いたら友達になってほしい)、色々な音楽にのめり込んでいく中で、JETと出会った時、天啓の様なものを受けた。

聞いた瞬間、「あ、俺はこれだ。これが欲しかったんだ」という確信だけがスッと頭に浮かんだ。後にも先にもあの感覚はあの時しかない。

友達に聞いたら、これがロックンロールらしい。
ああじゃあ僕は、これから、もうこれだ。ロックンロールなんだ。それだけだった。

余談だが、この「ロックンロールに頭を撃ち抜かれた瞬間」があるバンドマンは、なんとなく感覚でわかりあっていたりする。
大学で二人ロックンロールな親友が出来たが、そうした経験が各々の中にあるのは話さずともわかっていた。お前はどれで出会った?なんて会話で聞いた記憶がある。

この感覚、ヒロトも言っている。
ドアがどこかは人それぞれどこでもよくて、中に入って出会った人とは深いところで楽しくなれる感覚がある。

もっと言うと、別にロックンロールじゃなくても、バンドじゃなくてもいい、何かしらかの表現にぶっ飛ばされた経験のある人間は、どこで何にが共通していなくても、心の深い所で向き合って話ができる。

★★★

そんな感じでロックンロール育ちな僕は、大学に入ってベースを弾き始める。
足元、10年目と言う感じだ。5年くらい弾いてない時期もあるし、もっぱらカバーばっかりだし趣味でゆるくやっているだけだが、これが不思議で一生楽しいしむしろ年月が経つほど楽しくてしょうがない。
僕という人間が絶えず変わっていく以上、触れている音楽も日々変わっている。
あれだけロックンロール育ちだった僕も、最近もっぱら聞くのはvulfpeckだとか山下達郎だとか、ファンクだったりシティポップだったりする。

バンドって、なんだろ。

プロのカバーばっかりやっている僕は、別にアーティストと呼ばれる様な活動はしていない。(ちょっと反論したくなるけど)
技術的に優れているわけでもない。耳が特別良い訳でもない。(むしろ音感は相当ない)
その中で、最近、「バンドが、うまくなったなあ」と思う瞬間が確かにあるのだ。
楽器が、とか、演奏が、ではない。バンドが、なのだ。バンドは確かに生き物なのだとずっと思っていたけど、きっとその呼吸の仕方が、段々とわかってきたのだと思う。

技術的に掘り下げて話すこともできる。リズムのブレを可能な限りゼロにすることだったり、全体で鳴っている音域を広げる様にそれぞれの楽器で如何に隙間を埋めるかを考え抜いたり、そうしたトライアンドエラーの精度があがっているからこそ、どんどんバンドが楽しいのだろう。

ただそれより最近になって思うのは、バンドって、「解釈と感情と呼吸を合わせる」ことだ。

表現とは、概ね何かを伝えるための行為だ。
だからこそ、どう伝えるか、というところに個性があらわれる。
I love you=月がきれいですね がいい例だ。
バンドは、複数人でやる表現だ。全員でなるべく近い感覚を共有することが、とてつもなく大事になってくる。
やるせなくて悲しい時にベースだけがやたらに陽気だったら、みんな悲しめないのだ。
何かに怒っているときはその怒りを増幅させなければいけない。4人が共に怒れば怒りは100倍にだって何倍にだってなるのだ。人に響くのは、それだ。全員が楽曲に対してアンプにならなきゃいけない。

もう少し掘り下げると、何を伝えたいかまでいかなくてもいい。僕はバンドはもうちょっとプリミティブなものだと思っていて、「何を伝えたいかをさておいても、どの様な思いがあるかを共有する」ことが鍵だと思っている。足元でそれぞれが自由にやることはむしろ尊重したくて、ただ大きなエネルギーだとか、何に向かって自分たちが突き進んでいくのか、ということを共有して爆発させることが、僕らを非現実の世界に連れていく鍵になっている。

★★★

バンドって、なんだろ。

音楽なので芸術だ。でもロックバンドなんてだいぶいい加減だったりする。暗くなっても外で遊び続ける子供みたいなものでもある。いつでも思い出せるあの頃の気持ちにもなれれば、人の未来を変える瞬間にも立ち会っていたりする。

つい先日親友に、自分はバンドマンであると言ってもらえた。
それは、自分のことを言葉で正しく伝えられるところ、という点で言ってもらえた様なのだけど。多分それは曲を解釈し共有する、を徹底していく中で身につくことなのだろうな、と思っている。
でも、もう少し言うと、ベーシストとしてバンドをやる以上は、言葉を使わずに正しく伝えなければならない、と思っている。
今でも自分で詩を書いたり歌を作ったり、ということについて憧れはあるしいつかやりたいな、と思ってはいるんだけど、僕の言葉は事実を正しく伝えるがあまり情緒に溢れてはいないので、僕はどちらかというと音色の世界で何かを伝えていきたいのだ。
言葉と誠実に向き合って、言葉に感謝しながら、音の世界において僕はいつか言葉から独り立ちして生きていきたい。


☆☆☆

本当に少しだけエピローグを。
最近色々なものに触れる中で、「個性とは何を伝えるか、ではなくどう伝えるかに生まれる」ということを実感しているのだけど。(それに気づいてから自分で文章を書くたびに情緒のなさに落ち込んでいるのもまた事実)

このアカウント、もう随分大人になってから見つけてフォローして。
僕はあまりインタビューとかも読むタイプの人間じゃないので、ヒロトやマーシーの言葉をしっかり聞いたのはこのアカウントで初めてだったのだけど。
僕が生きていて大事にしていたい言葉に溢れていた。
つまり、曲しか聞いていなかった僕に、ちゃんと彼らが伝えたい言葉は届いていたのだ。
これこそが愛すべき表現なのだろうなと、振り返って脱帽した。


バンドって、愛だな。



この記事が参加している募集

音楽の記事にいただいたなら音楽に、その他の記事に頂いたなら他の人のサポートに使わせていただきます。