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にがくて、いとしい


小さいとき、子供のお手本の様にピーマンが嫌いだった。なんで口の中にあんなに不快感が残るものを食べなければならないのか、あれだけ野菜があるんだから、わざわざピーマンじゃなくていいでしょう。他の緑色のものでいいじゃない。心からそう思っていた。

中学生くらいになってから、初めてレバーを食べた時も同じ感想だった。口の中にまとわりつく不快感は軽く飲み物を飲んだ程度では消えず、なぜこれが焼き鳥の盛り合わせを頼んだ時に堂々とレギュラーを張っているんだと納得がいかなかった。

成長していくにつれ味覚も成長するというけれど、それは本当だと思う。
ピーマンもレバーも、気づいたら何も気にせず食べられる様になっていた。本当に、思い出深い体験もなく、気づいたら、その苦みに何かを感じることはなくなっていた。嫌いがドラマチックに好きになる瞬間もなく、ただただ、あれほどマイナスだと思っていたものが、気づいたらゼロになっていた。

☆☆☆

くたくたになった時に飲んだ瓶ビールの味を、今でも覚えている。
よくわからない安い居酒屋だった。チェーンでもなく、学生街に残る個人経営の店。まだあまり慣れていない人たちと一緒に行き、狭い座敷でかくあぐらにおさまりの悪さを感じながら、進められるがままにつがれたビールを軽く飲んでみた。
その前にも飲んだことは一度あったのだけど、その時はおいしいと思っていなかった。でもその居酒屋の瓶ビールは、腹の中まですぐに落ちていったその冷たい液体は、どうしようもなく爽快だった。
耐えられず、手酌をして飲み続けた。家族の全員が下戸の自分が、そんな風に酒を飲むなんて、想像もしていなかった。舌に残る苦みと裏腹に、体中が清涼感で満たされ、でもいい感じに視界も思考もぼやけて。なんだかとても嬉しかった。ビールをおいしいと思えたことも含めて、とても嬉しかった。

苦いものが好きになったのは、明確にそれからだった。
焼き鳥屋に行けばレバーは必ず注文する。毎月通うお気に入りの居酒屋では、カワハギの肝あえを仕入れる様いつもお願いをしている。お酒は殆どビールしか飲まない。アテがなくなって、お酒だけで飲みたい時にレモンサワーを飲むくらい。
あの時と変わらず、段々とぼやける頭の中で、舌の上に残る苦みをいやに心地よく感じている。どんどんお酒を飲む僕の中で、ちゃんと働いてくれる五感は、いつも最後には味覚だけになっている。

☆☆☆

飲み会が好きだ。週2~3回は飲んでいる。でも僕は、多分お酒自体はそこまで好きじゃない。ワインも焼酎も苦手だし、日本酒もたまにしか飲まない。ウイスキーはよっぽどいいのじゃないと口に合わない。背伸びしてラムを飲み進めた時期もあったけど、その後にビールを頼むなんてかえってかっこ悪いことばっかりしていた。僕が好きなのは、あの苦みと炭酸以外ない。

人の目を気にしがちな僕にとって、飲み会はコミュニケーションの場所として最適だ。お酒が入ることで、僕は少しだけ人の顔色を気にしなくなる。勝手に色々なことに気づいて、気を遣おうとして、でもそこまで気づいてるんだと相手が思った時に、かえって気味悪がられるんじゃないかとか考えて、思ってても言わなかったりして。そんなひとり相撲を勝手にしている僕は、お酒が入ることで、思ったことを人に言おうとようやく思える。

愛には、いつだって毒が混ざっている。
いびつだったり、欠けていたり。でもなんか、そんなこと関係なしに魅せられて。それは相手にも、自分にもあって。その足りないを埋めたいと思った時に、愛しさは湧き上がってくる。素直に愛を伝えようと思った時、逆に僕はそこに毒を混ぜてしまう。言ってもいいのかなとか、少し思ったりもしながら。
でも、舌が苦いと、あんまり気にならないのだ。いびつなものも、欠けてるものも。苦さだって。それ自体がどうかじゃなくて、それがあるから、むしろもっといいのだ。その先にあるものが、もっと素敵に感じるのだ。


幸せなことも辛いことも、同じくらいがちょうどいいんじゃないかしら。

どうせ最後は、全部泡になる。




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