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「結果は出さなくて良い、挑戦と努力することが大事」という理想を掲げた企業の失敗

とある会社の話。

その会社は「とにかく挑戦と努力することが大事だ、結果は出なくても良い」という主義を掲げていました。

それ自体は素晴らしい目標ではないかと思っていたのですが、結果、社内がどうなっていったか?本日はそちらをご紹介します。
例によって全ての企業がこうなるとか、こんな主義はダメだとか言う気はありません。ただ、一例として「こういうこともあるのだ」という風に聞いていただければと思います。

挑戦と努力をすれば、結果はどうなってもいい

まず最初に出てきたのが、この問題でした。
「挑戦と努力をすれば結果はどうなってもいい」という捉え方をする人々が出てきたのです。このこと自体は一概に間違いではないかも知れませんが、結果として社内には「とりあえず始めたものの、結局途中で放棄されたプロジェクトの残骸」がアチコチに生まれました。

そのプロジェクトの残骸や後始末は、結局誰かがしなくてはなりません。例として言えば、「営業部の誰かさんが突如『AIを主軸にした新たなサービスをやろう!!』と言い出した」とします。

ところが、そもそもAIだの機械学習だの、そもそもプログラミングも統計学も知らない営業部の誰かさんは「気合と情熱」だけでサービスなり商品を作り上げようとします。社内の空気として「誰かが挑戦しようとしてるんだから周りも盛り立てて、協力しよう」という風潮がありました。
結果、営業部の誰かさんと共に、社内IT部がそのサポートに入ります。

営業部の誰かさんは理想的なサービスの骨子を語り、顧客らに営業を掛けます。例えば「今までは数日掛かっていた、法務書類の作成が、AIを使ってわずが数時間で終わります!しかも法務知識がある人でなくても、誰でも作業ができる!」などなど。営業された相手企業のうちのいくつかは「それはスゴイ!是非販売してほしい」と好意的な返答をくれます。
かくして、「営業部の誰かさんが立案した挑戦的なサービスは『見込み客○○‼見込み売上○○‼』として、素晴らしい手柄!」という扱いになります。

だ が し か し
当然賢明なる読者の皆様はお分かりでしょうが、
IT部としては「そもそもAIを作るにしてもそんな簡単にはできない」「仮に法務的なAIを作るのであれば、専門家の知識と多くの教師データなりが必要になる」「それらを勘案すると、計画として最初の数年は赤字になるし、今の販売予定数では黒字化は難しい」等の問題が噴出します。
しかし当の「営業部の誰かさん」はそこに叱咤を飛ばします。
「だめな理由ばかりを上げるんじゃない」「熱意と情熱でカバーができないのか」「俺は必死に知恵を絞って拠点を回って結果を出してる、何故ソレがお前たちには出来ないんだ」。
かくして、プロジェクトは道半ばで息絶え、冒頭でお話した「残骸」となって残ります。そして、ココからが今回お伝えしたい問題点の1つ目です。

責任の所在は誰の手に?

プロジェクトが頓挫した報は、当然上層部、社長の耳にも達します。
報告会を兼ねた、プロジェクトに対する評価の場が設けられます。
さて、皆さんであれば今回のこのプロジェクト頓挫の責任はどんな分担になるでしょうか?
1️⃣ 営業部とIT部の合同プロジェクトなので責任の所在は半々
2️⃣ 事前にIT部は問題点を報告しており、改善しなかった営業部が悪い
3️⃣ 挑戦をした成果なので、失敗という結果は不問である

答えは
営業部の何とかさん、は挑戦的なサービス立案を行い、更には自らの実務として、売込を行いの営業見込みという成果も出している。よって評価は+2。
一方で、IT部は自ら挑戦的なサービスも作らず、依頼されたサービスの完成にも至らなかった。営業部が作った機会損失を招き、自社への不利益を出した。よって評価は-2。
でした。

+2、-2、というのは便宜上の説明ですが、端的に言えば
「前年度対比において、±0は前年と同じ評価。+1,+2は昇進、昇給対象。
逆に前年度に比べて、-1,-2は降格、降給、場合によっては訓告等対象」
となります。
しかも、ここまでの評価を見ていただいて分かる通り、評価対象は個人ではなく「部署単位」での評価となります。よく言われる連座制、連帯責任ですね。結果として、IT部内においては、このプロジェクトに一切関与していないにも関わらず給与が引かれたり、処分対象となった人もおりました。

人がいなくなる社内

さて、今回の例は一例ですが、注意していただきたいのはコレが、単純に営業部とIT部だけの話ではない、という点です。よくある「世渡り上手な人間がウマいことやった」というような、各個人の話ではなく、どの部署間でもありうる評価制度でありました。

そのため、結果として「どの部署も評価を下げられたくないので、必死に思いついただけの案を提案して『挑戦目標』として掲げては、そのどれもが次々にポシャっていき、残骸だけが残り、その尻拭いを何処かの誰かの部署が行い、それに伴う懲戒的な処分を避けるために、更に新たな『挑戦目標』が生み出される」という、無限の負のループが巻き起こっていました。
社内では既に「とりあえず言うだけ言う目標を出しておいて、結局残骸が残るだけだろう」という空気が漂っており、入社して間もない社員が「挑戦目標を書いて」と言われた際にも、「どうせ残骸になるよ」と先輩らが教えている姿を見掛けたことがあります。

当然上層部も「コレは思い描いていた状態と違う」と考え、「出てきた挑戦目標の中で社長や上層部が『イチオシ』と思ったものにお墨付きを与える」といった施策を打ち出し、「優先順位を設けることで、玉石混交の中から、イケそうなものを選び、そこに資源を集中させて成功率を高める」といったこともしていたのですが、一度根付いてしまった「挑戦への(誤った)モチベーション」は払拭できない状況が続いていました。

そうこうしているうちに、どこの企業・団体でも同じでしょうが「優秀な人から辞めていく」現象が起きはじめました。実際に価値のある提案や挑戦を描ける人でありながら、上記のような理由でよそから邪魔が入ったり、納得できない理由で査定が低くされてしまうのです、他社に行ったり自ら起業した方が、少なくとも精神的安定は図れるでしょう。結果として社内からはポツポツと、キーマンから先に抜けていきました。

挑戦と努力によるフレキシブルな人事

一方で、この企業にはもう一つの特徴がありました。それがフレキシブルな人事と配置転換です。具体的に言えば、誰もがどの業務でも出来るようになること、真の意味での「ゼネラリスト」を目指していました。
そこに「スペシャリスト」「専門職」というものの存在は考えられていません。かくして、足りなくなったキーマンの存在を埋めるべく、組織内でのフレシキブルな、流動的人事が開始されました。
私の知る限りにおいても、経理部の人が突如、営業部になり、代わりにこれまで事務担当をしていた人が異動になりました。更にIT部の人間も何人か営業へと転属しました。要は「バックオフィス部門から直接売上に繋がる部署に人を増員しよう」ということだったのでしょう。社の屋台骨が傾いている状況においては、理解はできる采配であったかもしれません。

しかし、結果としてこの件はさらなる人材難を呼び込みます。
当然といえば当然ですが、前期までは数値の計算をExcel等でやっていた人間を突然営業にして契約を取ってこいと言うのです、しかも状況的にイチから教育をしていけるだけの時間も人員もいませんし、何より本人のモチベーションも「別に営業をやりたいわけではない」状況です。成果を期待できる条件は何もありません。しかし、それでも売上を立てなくてはならない、上司からは「もっと結果を出せ」「営業職へのやる気がないのか」という叱咤が飛びます。結果として、経理から奪った人間は、営業部に数ヶ月転属した後に、退職していきました。人事が慌てて経理に戻すと掛け合ったものの「そんな会社の方針についていけない」と決意を変えることは出来ませんでした。
一方、IT部から営業に転属させられた人間は、「まずは現場を知らないと商材開発や販売もできないよ」と言われ、数ヶ月後には原料生産を行う工場に派遣となっていました。IT部の社員からしたらまごうことなき「左遷」なのですが、営業部からすれば「工場派遣から工場長を目指して、ゆくゆくは現場統括への第一歩、素晴らしい栄転だよ」と花束まで渡す始末です。
当然こちらも長続きはせず、社内からは更に人材が離れていきました。

人材の流出を引き起こした営業部は上層部から苦言を呈され、IT部や法務部といった人間を集めて集会を開きます。当然といえば当然ですが、やはり売上に繋がる営業部は他の部署に比べて権力も強く、また所属する人たちの性質も「イケイケドンドン」「声がデカい」という営業マンらしい(というと語弊があるかも知れませんが)人たちでした。
彼らは、そのバックオフィスの人たちに檄を飛ばします。

「キミらの部署から来た人間は営業に来ると次々に辞めてしまう」
「今までの業務と、勝手が違う、やり方が違う、内容が違うことはある」
「だが、それで辞めてしまうなど、子ども同然、社会人として恥を知れ」
「そんなんじゃどこに行ってもやっていけない」

などなど、令和のこのご時世では確実にNGになるワードの数々が並びます。

そして更に次の一言が決め手でした。
我々は営業部であり、成果も出しているからこうして営業にとどまっている。だが、もしも我々の部署からそちらのIT部や法務、経理に転属となれば、我々は一切の怠慢なく、それらの業務を完遂してみせる
もちろん、私に限って言えば、ITも知らない、プログラムも書いたことがない。だが、もしIT部に入れば、必死で全力で持って努力をして、君達に追いつけ追い越せの精神で仕事に取り組む。AIもやる、ブロックチェーンもできるようになる。今仕事をしている君達を即座に追い抜くだけの覚悟がある。君達にはそういう危機感がない。だからいざ、本気で仕事をする部署に来ただけで即座に音を上げる。性根からして間違っている。

お分かりいただけるでしょうか。
「努力と情熱があれば、結果にはこだわらない」という考え方は、新サービスの企画立案や人事評価だけではなく、業務そのものについてすら追随する考え方であったのです。
つまり、仮にこのITを一切知らない社員がIT部に来た場合、「作成したプログラムが動かなくても、設定が間違っていて業務に影響を及ぼしても、努力して情熱を持って頑張っているのだから結果は不問である」という話であり、更には「努力して情熱を持って頑張っているのだから結果がどうあっても、その当人の評価は+2であり、その尻拭いをさせられる周囲のIT部の人間は、残業等での対応になったとしても努力もしておらず、成果につながっていないので-2になる」ということになります。

結果として、この演説を以て、僕は周囲の人間と共に会社を抜けました。

退職の意思を伝えた際にも、直属のIT部の上司は「まぁ…ねえ…」という反応だったものの、別件の営業部方面の部長からは「人として間違っている」「簡単に転職するなんて人間はどこでもやっていけない(※ちなみにこの人は新卒からこの会社にいて、他企業経験はない)」などのありがたい御言葉を頂戴いたしました。
そんな言葉をいただけばいただくほど「ああ、この決断は間違っていなかったなぁ」としみじみと感じたのですが、
その場に同席していた人事部の人が終始(あーぁ…)と言う顔で下を向いていたことには心底同情しました。きっとコレまでに抜けていった人達の場でも、同じようなことがあったのでしょう。

その後、その会社がどうなっているのかは知らないのですが、風の噂では今も同様に「フレキシブルな目標を立てて」「フレキシブルな人事考課を行い」「フレキシブルに人が流動している」と伺いました。いまや完全なる別業種の別企業にいる身ですが、どうか頑張ってほしいと思っております。

まとめ

さて、ここに至るまで実に5000文字弱の文章を書いてきましたが、ありがたくもココまで読んでくださった読者の皆さまの感想はいかがでしょうか。
「全部が間違っている!」という方もいれば、「人事考課の方法だけでも変えれば、主張自体は良いのでは」という方や、あるいは「何ひとつこの会社の方針は間違っていない、弱音を吐く社員が悪い」と思われる方もいるかと思います。是非とも皆さんからのご意見・ご感想を聞いてみたいと思いますので、思ったことがある方はコメント欄にてお聞かせいただきたいです。

それでは今回のnoteはココまで、4.5Pでした。

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