募金活動に意味はあるのか
10/1 にポートクイーンとして赤い羽根共同募金をしました。
さて、募金活動に意味はあるのでしょうか。
実際に募金活動をして、集まった金額の少なさに驚いたのが正直なところです。携わる人数はとても多く、皆さんが大きな声を張って一生懸命になって募金を呼びかけていたのが印象的でした。
でも・・・。
これだけ多くの人数が集まって募金活動をするならば、その時間に我々が働いて稼いだお金を募金した方がよっぽど効率的ではないか?という考えに一瞬陥ってしまいました。
募金活動の主な目的は「社会に役立たせるための資金集め」なのかもしれませんが、それだけなら募金活動以外にも手段はあるはずです。インターネットでの資金集めが発達した現代に、わざわざ物理的に人間を介して、時間をかけてお金を集めるという手段(=募金活動)は失礼ですが非効率に感じてしまいます。
実際にこのような考えは少なくないのかもしれません。だからでしょうか、募金に協力的な人が多いとは言えないのが現状です。
おそらく、そんなの赤い羽根募金の皆さんは分かりきっていることでしょう。それでも募金活動をする理由は何なのか。私は考えてみました。
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机上の空論かもしれませんが、募金活動は「世の中に社会問題を提起する活動」という考えにたどり着きました。
目の前で生身の人間が「ご協力お願いします」と発している姿を見て、人々は何を思うのでしょうか。
たとえ、募金箱にお金を投じなかったとしても「社会のために動こうとしている人がいる」という現実を目にすることができます。募金活動をしている人々の姿は、少なくとも我々に問題意識を投げかけてくれます。
誰もが募金活動に協力的ではないのはあたりまえのことです。「社会のために何かしたい」という思いを100人が持っていたとしても、その手段は全員一致するわけではないから。
「社会のために」という思いは、おそらく誰もが少なからず胸に抱いている思いだと信じています。その思いを、湧き上がらせる一つのきっかけが、募金活動なのではないでしょうか。
星の数ほど解決すべきことがあるこの社会で、限られた資金と手段で何に手を差し伸べるのか。決して募金活動が全てではないですが、それに意味があることは明らかでした。
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