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STEM教育の実践~日常は知恵の宝庫

はじめまして、yonnieです。Makersideという駆け出しブログの中で、身近なデザインや技術の面白さについて発信しています。
はじめましてに代えて、なんでこんなようなブログを発信するに至ったかについて書きたいと思います。

ものづくりは奥深い

私は新卒で、縁あってとある電線メーカーに就職しました。正直、電気は一番苦手な分野だったのでなぜ電線メーカーに?という感じですが、本当にただの縁です。

当然電線なんかまるで興味がなかったわけですが、興味があろうとなかろうと、新人はまず工場実習というものに駆り出されます。どこに配属されるにせよ、技術系だろうが営業系だろうが、メーカーなんだから当然ものづくりの現場をまずはその目で知ってしかるべきということです。まあ、当然ですね。

「電線の絵を描いて」と当時の私がもしお題を与えられていたら、まず間違いなく電柱を2本描いて、その間に垂れ下がる放物線の単線を何本かちょちょっと描いて、「ほれどうだ」とやっていたでしょう。
工場実習は、そのような愚か者を開眼させるには十分すぎるくらいのイベントでした。

まず第一に、電線が金属むき出しとは限らないということに驚きました。普段電線といえば、やはり電柱の間にかかってるアレですよね。当時の私はその認識でした。ところが、その工場で扱っていたのは「ケーブル」。金属の上に樹脂層などがいくつも重なっていました。こんなに層いる??という感じでしたが、必要だからあるわけです。その層にも意味がありました。単線で描いててごめんなさいという感じでした。

そして、断面構造に何層もあるということは、それだけ製造工程数もあるということでした。正直電線なんて、スイッチ1つ押したらあとは自動的にしゃしゃしゃっと金属を引き延ばしたりなんだかして一瞬で出来上がるようなものをイメージしていました。
全然違いました。工程の進みもゆっくりだし、それぞれの工程に担当者が付いていたりして、思ったよりはるかに手間がかかっている感じでした。

モノが一見単純なだけに、意外と手間ひまかかって色々な知恵がつぎ込まれているという事実は、結構ショッキングでした。それ以来私は、身の周りの一見単純でつまらなさそうなモノにこそアンテナを張って観察してみるようになりました。

デザイン=意図

私は設計部門でキャリアを築いてきたので、自然とモノの構造や機能について思いを馳せる機会が多くありました。それも手伝ってか、身の周りの一見つまらなさそうなモノが、一体どういった意図でデザインされているのか?という目で観察する習慣がつきました。

なんでこんな形なのか。
なんでこの大きさなのか。
なんでこの硬さなのか。
なんでこの材質なのか。

・・・などなど

「デザイン」というと色々なイメージが想起されると思いますが、私は端的に言えば「意図」だと思っています。デザインには常に、明確な目的、明確な意図があるのです。

Lady GagaのBad Romanceという曲のフレーズに"I want your horror, I want your design"というものがあります。ここでいうdesignを「私はあなたのデザインが欲しいの」と訳しても、全く意味が通じませんよね。ここは、「あなたが何を考えてるのか知りたいの」と意訳されます。「考えていること」つまり「意図」です。これと一緒です。

モノやシステムのデザインに当たっては、どういう形にするのか、どういう大きさにするのか、どういう硬さにするのか、どういう材質にするのか、そういうものは全て「意図的に」決めています。

モノの背後にある意図を読み解く

モノやシステムの背後にある「意図」を読み解くことができれば、毎日が面白くなると信じています。

たとえばすごく単純な例で、TVのリモコンの大きさについて考えてみます。もし長辺の長さが1mもあったらどうでしょう。ちょっと片手で操作するのは難しそうですね。重さはもしかすると、より軽い材質を使うことでクリアできるのかもしれません。ですが、内部の電子回路を守らなければいけないことを考えると、綿のような材質では困るわけで、必然的に使える材質は限られてきます。そもそも、1mもあって何の意味が・・・?となりますね。「片手で操作できる」というのが、TVのリモコンを作る上での「意図」で、強烈な制約になってくることがわかるかと思います。

このような話をすると必ず思い出すことがあります。それは、2013年に21_21 DESIGN SIGHTで開催されていた「デザインあ展」での、ある展示です。「ちょうどいい」というお題で、いくらの軍艦とまぐろの握りが、1cm立方程度の大きさのものから40cm程度の大きさに至るまで、連続的にいくつも並べて展示されているというものでした。

これは秀逸だと思いました。まず、回転寿司屋に一度でも行ったことがあれば、ちょうどいい軍艦や握りのサイズというのは見ればすぐにわかります。子供でも、「あ、これだ!」という風になるわけです。その次です。その両脇には、下は1cm、上は40cm程度に至るまで、大小の軍艦/握りが並べられているわけです。それを見て、「いやいや、こんなに小っちゃかったら・・・」とか「こんなにデカかったら・・・」とかいう会話を誘発したり、そういう印象を与えたりすれば、それはもう制作者の術中にハマっているも同然です。制作者は、そういう効果を狙っていたのだと思います。「こんなに小さかったら全然腹いっぱいにならない。だったらいっぱい食べればいいのかもしれないけど、小っちゃいのいっぱい作るの面倒くさい。だから、これくらいのサイズがちょうどいい」
これは、立派な「意図」であり、「デザイン」です。デザインあ展には、そのようなことに気付かされるような仕掛けが他にもいくつもありました。

こんな風に、目に見えているモノを観察して、「なんでそうなのか」ということに思いを巡らすと、新しい発見をすることがあります。普段からそういう目で観察する習慣をつけていると、色々なことに気付けるようになります。そして、そこには多くの人の知恵が隠されていることにすぐに気が付くでしょう。日常が、多くの人とその知恵で支えられているという気付きは、何物にも代えがたいと思っています。

デザインを深く読み解きたいなら、数学は必須

先ほどから、ちょいちょい「小さい/大きい」とか「硬い」とかいう表現を使ってきました。こういった表現は「定性表現」といい、曖昧です。人によって、同じ小さいでもイメージする具体的なサイズは違ってきます。

これに対して「定量表現」は、数字で誤解ないよう表現されたものです。たとえば、車を設計する場合は空気抵抗を減らすための形状だったり、飛行機を設計する場合は揚力を得るための翼の断面形状だったりが重要です。この微妙な曲がり具合を表現するのに、なんとなくの口語表現を使ってやっていたら、ある時はうまくいったり、ある時はうまくいかなかったりしますね。それじゃ圧倒的に困るわけです。なのでこの場合は、形状設計に当たって必ず「曲率」というパラメータを扱うはずです。車を運転していると、カーブの曲がりのきつさを表現するのに曲率が使われたりしていますね。あれです。

このように、ものを正確に表現したければ、数的な表現が必要になってきます。そして、その背景には必ず数学が潜んでいます。電線では、どれだけ電流を流せるかが大事です。「導体がこれだけ大きいから、これだけいけるっしょ」では通らないわけで、どれだけの電流を流せるかは、もちろん計算して求めるわけです。数学です。エンジニアリングの世界では、どこもかしこも数学です。

Makersideが目指すこと

そういうわけで、私がMakersideというブログで目指したいことを端的に言うと「エンジニアリングリテラシーを広める」ことです。要は、エンジニアリングのセンスを磨くための材料提供という感じでしょうか。そうすることで

  1. 気付きが増えて、日々が面白くなる

  2. 当たり前が当たり前じゃなくなり、感謝の気持ちを持てるようになる

  3. つくることの楽しさに目覚める人が増えて、Makerの社会的地位があがる

といったことになることを期待しています。


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