4歳の息子のお小遣いをどうするか?〜これからの時代のお金教育を考えてみる〜
この番組を視聴しながら、いま4歳の息子に「いつからお小遣いあげるのが良いのか?」を全然考えていなかったことに気が付いた。
息子はまだ「お金」というものについてほとんど知らない状態。
お買い物に行った時にパパやママがお財布から現金を出してお店の人に渡したり、カードでピっとやったり、ケータイでシャリンとやったり。
それを見て家でおままごとの時にマネする程度。
金額の意味がわからないので何でも「100円です。」これが現時点。
そんな子供に対してお小遣いをあげるとしたらいくらが良いか?
いつからあげるのが良いか?
いや、そもそもお小遣いって必要か?
それで言うとクリスマスプレゼントやお年玉ってどうなんだろう?
など色々と改めて考えてみる必要がありそうだと感じた。
ということで、これからの時代のお金教育も含めて2021年12月時点の「こうやったら良いのかもしれない」という考えをまとめてみた。
◆「お金」の価値や意味を知らなかった子供時代
まず、自分自身が子供の頃、「お金」や「お小遣い」、「プレゼント」事情はどういう状況だっただろうか?(1980年~1990年代の頃)
・お小遣いは毎月定額。歳を重ねると額が少しずつ増える。
・おねだりや交渉をするとたまに追加でもらえることがある。※たいていの 場合は「友達も持ってるから欲しい!」みたいなダダをこねた結果。
・家庭によってお小遣いの額はまちまち。どうしても友達と一緒に駄菓子屋に行きたくて親のお財布からこっそり300円抜き取るみたいなこともしばしば。
・お小遣いは高校生になったらなくなった(そしてマクドナルドで時給650円のバイトを始めた。)
・お小遣いの使い道について何か言われることは特になかった。
・クリスマスは小学生の頃は欲しいものをお願いするとそれがもらえた。よくあるファミコンなどのおもちゃが基本だった。
・中学生くらいになるとサンタがいないことが判明し、親が現金をくれた。その時欲しいゲームソフトなどを買った気がする。
・お年玉は親戚の数次第でもらえる額が左右された。親戚の多い友達は毎年数万円以上もらった!と自慢していた。お年玉の単価は歳とともに少しずつ上がるようになっていた。理由は特に言われなかった気がするが親からお年玉の一部は貯金しなさい!とよく言われた。
・高校に入ると年末年始の親戚同士の集まりが減り、お年玉をいただくという経験が自然消滅していった。
・子供の頃の「お金」に関して言えば、それとは別で親が将来用に積み立て定期預金をしててくれており、大学に入ったときに通帳とカードくれた。
基本的に「お金」に関するリテラシーは非常に低く、お金の意味や価値を知る環境は整っていなかったと思う。いただけるものをいただき、その範囲で欲しいものを買う、それ以上でもそれ以下でもない子供時代だった。
当時は日本社会全体は終身雇用が基本であり、退職金や年金がもらえる前提、国民皆保険で衣食住やインフラもある程度整っていた前提であり、稼いだお金は原則貯金。リスクマネーとして投資することは全く一般的ではないし、お金や経済に関して学ぶきっかけも非常に少ない時代だった。(ということが今ならようやくわかる。)
◆これからの時代は子供の時から最低限の「お金リテラシー」を。
・・・それから30年~40年が経ち、色々なことが変わった。
これからの時代の子供にとってのお小遣いやクリスマスプレゼントやお年玉は、どういうスタイルが良いだろう?
終身雇用ではなくなり、退職金や年金も崩壊しているであろう未来においては人生設計とマネープランはこれまで以上に切っても切り離せないものになる。「お金」や「投資」や「経済」について子供の頃から楽しく・カジュアルに理解して、うまく付き合っていってほしいと思う。
では具体的に日々の生活の中で子供に対してどういうお金の教育をしていくのが良さそうだろうか?
◆お小遣いは「投資」
まずお小遣い。
これは親から子への「投資である」ということをちゃんと伝えたい。
お小遣いを是非有意義に使ってもらいたい。
お小遣いを「遊び」や「ともだちとの付き合い」や「好きな子へのプレゼント」などに使って自分自身の経験や成長に投資していってほしい。
そう考えると、できればお小遣いは毎月定額ではなく、その都度「使い道をプレゼン」してほしいとも思う。
ゲームを買いたい。その理由が「友達が持っているから」ではなく、
「友達とそのゲームを通じてコミュニケーションを取って、もっともっと仲良くなりたい」とか、
「習い事の帰りにみんなでコンビニで買い食いしながらくだらない話をするのが最高なのでそのためのお金が欲しい」とか。
そういう継続的に必要なものがあれば結果的に毎月の定額小遣い+都度プレゼンという形態も良いかもしれない。
プレゼンとか言うとビジネスライクで堅苦しい印象だけど、実際はもっと柔らかく、あくまでも普段の会話の中で自然とそうなるように持っていって、とにかく「親からもらったこのお小遣いは、いったい自分の何に投資されているのか?」を感覚的にでいいから知っていてほしいというのが主旨である。
◆クリスマスは第三者からの提案型ボーナス
クリスマスはサンタさんという第三者からのボーナスだと思う。
その子の1年間の頑張りや成長、これからのことを踏まえ、世界中の他の子供たちのことを色々知っているサンタさんが、その年のその子にベストなプレゼントを客観的に提案してくれるのだ。
欲しいものを買ってもらえるのは誕生日。クリスマスはそれとはちょっと違う、何がもらえるのかわからないワクワクを愉しんで欲しいと思う。
ちなみに2歳・3歳のクリスマスにサンタさんから届いた絵本やパズルなどは今のところ息子に受け入れらてれいるようでホっとしている。
◆お年玉は家族や親せきからのボーナス
例えばじぃじ、ばぁばからは既にお年玉をいただいている。
1年間の成長をお祝いして、あるいは今年や将来への期待・備えのために。
お年玉を手渡しするときにそういう想いをちゃんと伝えることが大事だと思う。
それがないままなんとなく「おめでとう!」だけだと、年末年始にチラシやテレビ、ネットなどで大量に接触する広告の影響ですぐに「ゲームを買う!」みたいな超短期的な使い方のみに終始してしまう可能性がある。
もちろんそういう使い方も刹那的には楽しいが、ちょっと先の自分にも使ってあげて欲しいので、
短期で自分に投資するお金(≒今まさに欲しいモノを買う)
と、
長期で自分に投資するお金(いつか欲しいもの、やってみたいことのためにコツコツと貯める)
を分けて管理するという考え方を知ってほしい。
◆お小遣いは自分でも稼げる
どうしてもお小遣いがもっと欲しい!場合は、労働や奉仕の対価として稼ぐことができる、ということも経験してほしいと思う。
例えば家事の手伝いをしてくれたら単発でお小遣いをあげる、というのは基本的には良いアイデアだと思う。
ただし、「いつでも手伝えば必ず一律でお小遣いが手に入るわけではない」ということも同時に伝えたい。
手伝えばお金がもらえる、働けばお金がもらえる、チップがもらえる、逆にお金くれなきゃ手伝わない、働かない、にはなって欲しくないからである。
大前提として理解してもらいたいのは「需要と供給」である。
今、まさにこれを手伝ってほしい!というような需要が発生した際のお手伝いに限ってお小遣いが発生したり、あるいは相手が困っているから助けてあげた、というような「価値提供」に対しての承認であり、その対価としてのお小遣いがもらえるのである、ということが経済の原理原則なんだ、ということを体験してもらいたい。
◆家族を経営する一員であるという意識
最後に、ちょっとプライスレスな感覚だがとても重要だと思うのがこれ。
日常の中で家族みんなでちょっと贅沢して美味しいもの食べたり、お出かけしたり。これは家族全体の経営が順調な証拠といえる。パパに臨時収入があったのかもしれない。パパとママの何かの記念日なのかもしれない。自分(子供)が何かを頑張ったからそのご褒美なのかもしれない。
そういう家族全体が明るく、楽しく過ごすことに対する貢献の意識。
応援すること、お手伝いすること、元気で健康でいること、仲良くすること、ちゃんと挨拶したり感謝の言葉を伝えること、時にはガマンをすること。そういう一つ一つが何と結びついてるのか?を感覚的に理解できると良いと思う。それが家族を経営する、ということの一部であり、そこに自分が主役の一人として参加している実感を持ってほしいと思う。
モノの価値、コトの価値、シェアリング、仮想通貨、NFTなど、お金や価値に関わる考え方が変わってきている世代に対して、親ができることは最先端知識のインストールではなく、人と人の価値交換の仕組みやその営み、原理原則だと思う。
ぜひこれからお小遣いをきっかけにお金と楽しくカジュアルに、でもしっかりと向き合っていってほしいと思います。
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