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【読書メモ】その「決断」がすべてを解決する

1. 読もうと思ったきっかけ

こちらのノートを読んで

2. 全体の感想

逆張り(逆側から)の自己啓発本という感じもあるのだけど、近年、流行しているポジティブ思考の否定から入っていくのはおもしろくはあった。英語の原題だと、もっと勢いがあるような主張なのかもしれないが日本語のタイトルは、大人しくまとまった感はある。
タイトルには「決断」とあるが、私には「責任」とは何かを考えさせらる本になった。特に科学的な知見が背景にあるのではないので、説得力とか自分にも当てはめることができるのかというと、いろいろう〜んと考えたくもなるが、そういう些細なことは気にせず、読んでみればいいというのが著者の主張なのだと思う。

3.メモ

序盤はポジティブ思考にこだわるのはネガティブなことで、ネガティブな経験を受け入れることこそ、ポジティブな経験だと言ったり、がんばるなとか、「もっともっと」をやめた方がいいと言っていて、心地よく読んでいたが、徐々に、著者の自分の人生に対する責任を受け入れる態度に、こちらの心がしくしくと突かれる感じがしてきた。(PART1)

全体を通していっていることは、私たちの人生は痛みや苦しみがかなりあって、そこからは逃れられないし、「問題のない人生はない」と言っている。自分(の価値観)を疑え直感はロクなことがないといった逆張りのアドバイスが出てくる。この辺りは、元の性格がどのあたりに位置するかで鵜呑みにはできない気はする。
一方で、納得というか、私も似たことを考えていたなというところでは「人生でどんな苦しみを味わいたい?どんなことなら苦労してもいいと思ってる?」と言っていて、「痛み」があることは大前提で、どの苦労ならやっていけるかを自分に問えと言っている。幸福には苦労が必要だ苦労が人生の成功を決定づける等々、ハード路線で人生とぶつかっていく感じが徐々に出てくる。(PART2)

人は自分の抱える問題に対して無力感を抱くと、「僕はすごいが、他の人はダメな人間」か「僕はダメな人間で、ほかのみんなはすごい」といったように「自分は特別な人間」にしがちだが、どちらも正しくなく多くの場合、私たちは「特別じゃない」。何かに秀でることがすばらしい、それを見つけることが大事で、「平均」でいることは「失敗」になるような現代の風潮は、危険だという。「誰でもピカイチになれるし、立派なことを成し遂げられる」なんていう話は、人間のエゴをくすぐっているだけ、口当たりはいいけれど、腹の足しにならないカロリー・ゼロの食べ物と同じで、そんなメッセージでは心の栄養にならない、と言ってのけるのはなかなかスカッとする。(PART3)

じゃあ、どうしたらいいんだというところで、「責任」という言葉がよく出てくるようになる。
あるひとつの問題が苦痛になるか活力になるかの違いは、それが自分の選択したものか、そして、それに責任を負うかどうかによって決まる。僕らの身に降りかかることをコントロールすることはできない。しかし、それをどう解釈するか、そしてどう反応するかはコントロール可能だ。このあたりは、頭では理解できるが、実際やるのは難しい話だとは思う。

責任は取るのは、かならずしも自分に非がある場合とはかぎらない。重要なのは自分の問題に対して責任をもつこと。この後の例で、理不尽な出来事の被害者、精神的な疾患を持つ患者の話が出てきて、そういった状況により、責任をもたない人もいるという。

「確かに、そうした状況になったのは彼らのせいではない。でもやはり彼らに責任はある」という。続いて、ポーカーの話が出てきて、要は与えられた状況において、その都度、もっともよい選択をし続けた人が、ポーカーでも人生でも、やがて人より優位に立つ。かならずしも最高のカードを配られた人ではないという。

問題をかかえながらも前に進み、自分の置かれた環境のなかで自分のできる一番よい選択をする責任は決してなくならないのだ、という。この辺りはそうだよなと思いながらも読むのが苦しい部分ではある。(PART4,5)

「自分は正しい」「気分よくいたい」「復讐してやる」という価値観よりも、「正直でいる」「透明性を大事にする」「疑いを歓迎する」という価値観を優先させるべき。
究極の「正しい」答えを見つけようとしてはいけない。それよりも、今日の自分の間違いを少しずつ削り落とそうとするべきだ。明日の間違いを少しだけ減らせるように。この辺りの考え方は共感できて、ポジティブを生み出すというより、ネガティブを減らすことの方が大事だと言うのは現実的だと思う。
ポジティブ/ネガティブについての自分の概念を信用してはいけない。終盤に向かい、「不確かさ」との向き合い方の話になっていく。「確かさ」を追求すると、それが「不安」を引き起こす。そうではなく、「不確かさ」を受け入れ、「知らないでいてもよい」と思えば、他人を裁かなくてもすむし、自分自身を裁くことからも解放される。目標に対して「不確か」であり続け、視野を広くもち、経験を重ねていくことが大事だという。(PART6)

行動第一主義の主張で、とにかくやってみることが大事だという。それは小さくてもハードルが低いことでもいい(PART7)

自分の価値観をひとつ選ぶには、ほかの価値観を拒否する必要がある。何を拒否するかによって自分が定義されるという。このあたりポジティブ思考文化の延長として「拒否することも拒否されることも回避するという風潮」と表したところは、多様性万歳の話にモヤっとする感覚と似ているかもしれないと思った。

他人の問題に首を突っ込んではいけない。この辺りは対人関係の話になってきて、人間関係が健康的か不健康かの違いは①それぞれがどれくらい自分の責任を受け入れるのか、②それぞれが相手を拒否したり拒否されたりすることを怖がらないかどうかに集約されるとしている。パートナーに限らず家族関係においても健康的な関係においては、ふたりの価値観のあいだに明確な「境界線」があるとしている。境界線を設定するということは、パートナーを助けたり支えたりできないと言う意味ではない。お互いに支えあうべきだが、それは自分がそう選択した場合だけであって、そうする義務や特権があると感じるからであってはいけない。

耳が痛い。誰かのためにしている、我慢しているみたいなことをする自分がいて、それは不健康なのだというは、渦中にいると気づきにくい。(PART8)

最終章では、人はいつか死ぬものだし、いつ死ぬかもわからないのだから、自由に価値観を選んで恐れず進んでいけばよいと言っている。(PART9)

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