70.「働く」ということ
ヒジュラ暦1441.2.19 (2019.10.18)
仕事柄、企業から「よい学生さんを紹介してもらえませんか」という依頼が来る。
基本的に私は学生を「推薦」することはせずに「紹介」するに、とどめている。つまり、「〇〇さんという学生がいます。とても素晴らしい学生です」ではなく、「〇〇さんという学生がいます。」と言うことだ。
私としては就職が簡単ではないご時世なので、学生がどんどん企業に勤めてもらった方がうれしいのだが、むやみやたらに推薦するのは無責任になるし、選んで推薦することが、何か可能性をつぶすこともあるのではないかと思っているからだ。
なぜかと言うと大学ですばらしい学生が企業にとってすばらしい学生かどうかはわからないし、その逆も然りで、それほどでもない(成績がふるわない)学生が企業にとって役立たない人材になるかどうか、予測ができないからだ。その逆転率が日本より高いのかなぁと思っている。
私の感覚として、成績のよかった学生は卒業後、好条件の企業、組織を迷いなく渡り歩いていく。所謂、組織に対する忠誠心みたいなものは、持ってないようだ。当然、辞められた企業としては、うれしくはないだろう。一方で、成績がふるわなかった学生は、その後、企業から「彼はよくやってますよ」的な話を聞く。
予測と結果が全然、当たらないのだ。この原因は何なのだろうと考えてみた。
◆短い時間で、多く稼げるのがいい仕事
最近の日本人の若い人がどう考えているか、よくわからないけど、「好きなことを仕事にする」とか「自分の長所を生かす」とか「やりがい」みたいなことが、仕事選びや仕事のモチベーションに、つながっている気がする。そういうことが満たされていれば、多少の苦しさはがんばれますみたいな感じではないかと思う。
しかし、こちらの学生や卒業生を見ていると、それらのプライオリティは低く、いかに少ない労働時間で負担が少なく稼げるかということが重要で、常に良い条件を渡り歩いていくのが当然だと思っているようだ。労働の価値は低めで、仕事で自己実現をしたいという感じではない。
◆既に完成された自己像
日本なら「新入社員」と聞けば、まだまだスキルも低くて、これからいろいろなことを学んで、数年(数ヶ月)かけて、一人前になっていくというイメージを学生側も企業側も持っているだろう。それを前提として、人間関係、給与、システムが作られている。野球で例えるなら、初めは2軍からスタートということだ。彼らは教わる立場で、自分の要求は言いにくく、給与も低めの設定だ。
しかし、こちらの人を見ていると、初日から「一軍の4番打者」で入社している感じがするのだ(みんな総じて自信がある)。実際は、アルバイト経験もほとんどなく、定時に出社といった生活リズムも初めてだったりする学生もいる。当然、最初からうまくできるわけがない。そうなると、教わらなければならないし、残業も出てくる。しかも、給料は低い(4番打者としての給料を期待している)。本人としては不満が出てくるだろう。
そうなると、大学で成績が良かった学生は、"なんか、ここ俺の居場所じゃない”と思い、成績が良くなかった学生、それまで不遇だったのが"ようやく、俺を評価(給料をくれる)してくれる場所を見つけた”みたいな印象を持つのではないかと考えている。
後者の学生に関しては、求められるスキルが大学と企業で異なるということもあるだろう。評価軸が変われば、彼らは評価され、本当の自信も持てるのだ。
私は日本の企業に長く勤めたことがないのだけど、それでも終身雇用や年功序列の考えは、どこか私に刷り込まれているのだなと思うし、日本国内でこそ、こうした考えは最近は古くなってきている認識があるものの、外国にある日本の企業では、こうした考えが意外と残っているような印象も受ける。
個人的には、サウジの国としての難しさは、人々の労働に対する価値が低いということに起因していると考えている。土地からお金が湧いて、国家がそれをいかに国民に分配するかという場所に生まれたら、汗水たらして働くことに価値を感じにくいのは、不思議ではない。むしろ納得がいく。だから学生にその考え方がどうのこうの言うのは、傲慢な気もしている。
ゲームの種類が違う感じ。私の中で、働くことはRPG(レベル上げの作業がある)なんだけど、彼らの中ではレーシングゲーム(コース取りとスピード勝負)なのかなと思いはじめている。
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