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L:22 いつの写真を残すだろうか

2023.2.18

東京に来てから、友達に会う機会が増え、その時に一緒に写真を撮ることが増えた。一つには、前にいつ会ったか忘れてしまうので、記録として撮っておくというのがある。もう一つは、何気なく撮った過去の写真を見るのもよいものだなと最近思うようになり、以前よりも写真に残そうという気持ちが強くなった。


今週は3日ほど実家に帰省していた。8ヶ月ぶり。特にこれといった用事があったわけではなく、時間に融通がきく間に帰っておこうと思っていた。

帰る前は父の写真や犬の写真を撮ろうかなと思っていたのだが、結局撮らずに帰ってきた。何となく気が進まなかったのだ。

父も歳をとって、すっかり髪が白くなったし、以前に比べると体に痛いところが増えてきて、歩くのも昔よりゆっくりになった。
犬は11歳になり、ボール遊びも追いかけはするものの、ぽとっと落として拾ってこなくなった。毛並みもボサボサっとした感じで、目も少し白く濁ってきている。

そう、父も犬も老いたのだ。それは急に始まったわけではない。ここ数年で老いを見ることは増えてきていた。それは至って自然のことなので、それを嘆いているわけではない。

ただ、それを写真に撮りたいと積極的に思わなかったのだ。頭ではわかっている。こういう写真でも撮っておけば、後々、よい思い出になるだろうと。しかし、今、現在その写真を見れば”老いたなぁ”という事実を見せつけられるだけなのだ。きっと、それがある種の寂しさのようなものを感じさせるから、写真を撮らなかったのだろうと自分では思っている。


そう言えば、母の晩年の写真は、ほとんどない。今、父の机の上に置いてある母の写真は、亡くなる5年ほど前ぐらいの写真ではないだろうか。私に至っては、手元に置いてある母の写真は30歳ぐらいの時の写真だと思う(笑)鹿を怖がっている3歳ぐらいの私と写っている写真だ。

晩年の写真がないのは、父や犬の写真を撮らないのと似たようなことだったと思う。特に母の場合は、抗がん剤の副作用などもあり、辛い時期もあったので、写真に残したい気持ちにはならなかった気がする。

別に何か正解があるわけではないし、写真に撮ろうが撮るまいが、個人の好きにすればいい話だとは思うが、自分自身については、いつの写真を残したいだろうか。

時々、芸能人の宣材写真で10年以上前ではないかと思われる写真を使っている人がいる。一方、履歴書や資格試験などで添付する写真は「3ヶ月以内」のものと指定されたりする。

先ほどは、父や犬が老いてきたと書いたが、当然、私も老いている。いつの間にか額のしわがデフォルトになった。深い思索をめぐらしているわけでもないのに。

じゃあ今の自分の写真を残したくないかといえば、まだそんなことはない。父や犬には失礼な話だ(笑)

そのうち、私もだいぶん前に撮った写真を使いたくなる(使ってほしい)時がくるのだろうか。ただ、友達と会って、撮る写真に関して言えば、いつだって、いいものなんじゃないかとは思う。

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駄々こね太/ Essayist
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