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Y:45 共感性羞恥(あぁ、見てられない)

今週、新しい言葉を覚えた。その名も「共感性羞恥」

このpodcastを聴いていて、1時間49分ごろ出てくるのだけど、映画の「Joker」の話をしている中で人が恥ずかしい感じになるのを見てられない人共感性羞恥の傾向の人は見るのが辛いかもしれないというくだりがあって、私自身、映画も見てないし、ふ~んという感じだったのだけど、人が恥ずかしい感じを見てられないというのが、すごく、それわかるわぁ~と思って、「共感性羞恥」という言葉に興味を持った。

日本語で検索してみると、wikipediaにもないので、それほどまだ知られてはいないのだけど、以前、テレビで取り上げられた様子。いくつかのブログを見て、これがよくまとめられてるように思った。

共感性羞恥というのは何かというと

他人が恥をかいたり、怒られたり、失笑をされたり、非難される恥ずかしい場面を見ている時に、自分のことのように羞恥心を感じる現象

例として、よく挙げられているのがアニメやドラマで主人公が確実に恥をかくだろうというシーンや、ドキュメンタリー番組が見られない人の話。

私の場合、いわゆる“どっきり”系の番組を見るのが辛い。父は食事の時など楽しそうに見ているが、私は見たくないので、ひたすら食べることに集中することになる(笑)あと、ニュース番組とかで、若いタレントがコメンテーターをしている時や、若いアナウンサーが司会をしている番組も見られない。

例えば、残忍な犯罪や複雑な政治のニュースに関して彼らがコメントを求められ、おそらく浅薄な知識の中で(誤解なら申し訳ないけど)、的外れなコメント見ているのが耐えがたいのだ。自分なら絶対にやりたくない(頼まれもしてないのに思っている)。

まさに、これって「共感性羞恥」なんだと。私が特定の番組が見られないことに説明がついてすっきりした。


そして、私が職場で毎日のように感じているちょっとした居心地の悪さも「共感性羞恥」で説明がつくような気がした。

教室で学生に質問して、答えてもらう時

私 :〇〇さん、問3の答えは?
学生:……………

教師をしていれば、こういう場面は多々あると思う。学生がなかなか答えられない場面。ここでいくつかのことを考える。

1.  時間切れとし、別の学生を当てる
2. 時間切れとし、教師が答える
3. ヒントを与えて、答えを促す。
4. 何かしら答えるまで待つ

私の場合、時間が経てば経つほど、学生がこの状況が恥ずかしいんじゃないかと思い、胸が苦しくなるのだ。そして、どれだと学生の自尊心を傷つけないのだろうかと考え、”2”を選びがちな気がする。

でも、最近のトレンドと言っていいのか、学生自身が答えを出すのを辛抱強く待つというのが大事なんだという話もある。そう思って、じ~っと待つようにしてるんだけど、こんなに、放っておいてもいいのかと、内心そわそわしてしまう。それを表に出すことはしないが、彼らは今、恥ずかしいんじゃないんだろうか。こんなにさらし者にしていいのかと。そんなことを考えると私がいてもたってもいられない状況になる。

これこそ、「共感性羞恥」じゃないかと。そうか、もしかしたら、私は過剰に学生の恥かしさを見積もっているのかもしれない。確かに他の学生に当てても、気にしてないようにも思うし、ヒントをあげて、半ば答えが出てる感じでも、答えられてうれしそうな学生も多い。

そういう意味では、私は待つ我慢が足りないのかもしれない。もっと、じっと待っても、学生はそこまで恥ずかしくないのかもしれない。個人差はあるだろうから、一律待てばいいってことではないと思うが、私の感覚よりもっと待ってもいいのかなと、「共感性羞恥」という言葉を知って思った。

学生がスピーチコンテストに出るとか、面接に行くという時も同じような感覚になる。当の学生の方がケロッとしていて、私の方は、その日、一日、気が重くなることがある(笑)ただの心配性なのかと思ってたけど、心配というより、勝手に自分がその場面に行って羞恥心を感じているんだなと、自分の中で腑に落ちた。

それにしても、ふだん何気なく起こる感覚に名前がついてるか、ついてないかで、世界の捉え方が大きく変わるものだと思う。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!