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喜怒哀楽


感情を全て素直に出せる人はすごい。

子どものうちはどんな感情も出せていただろうか。

子どもの時でさえ、出せていない、出していなかったような気がする。

他人の顔色をうかがって、いつの頃からそうなったのかな。

感情のどれかに突出している人、いつもニコニコ、楽しい感じの喜と楽、いつも何かに文句を言っている怒、いつもネガティブな哀。
 
この感情の割り振りで性格が変わってくる。

感情をそのまま表に出す人はわかりやすいけど、それが全てでもないし、自分が知っている自分と他人が見ている自分には多少の差がある。

素のままがいいとか悪いとかでもない。

この感情の振り分けは生まれた時から変わらないのか。

変えることは可能か。

怒りの感情や哀しむ感情は不要か。

怒りや哀しみの感情を消したり、抑えることはいいことか。
 
ない方がいいような気もするけど、怒りや哀しみの感情を他の感情に変化させることもできる。

怒りや哀しみのエネルギーは強い。

変化することで爆発力のあるものに変わらないだろうか。

お笑いはこれらが詰め込まれていると思う。

怒り、哀しみを笑いに変え、楽しいことはより楽しく。

最後に笑えれば全てOK。

喜怒哀楽+笑。

怒ったままは楽しくない。楽しく変化させる。

すぐには無理かも。

イライラして、何が原因か考えて、誰かのせい、何かのせいにして、さらに怒りが増す。

よくある。

他のことをして紛らわそうとして、スッキリすることもあれば、やっぱりまた思い出して怒りがわくこともある。
 
なぜ怒りの感情がわくのか。

自分の思い通りにならなかった、またはなっていない。

自分ではどうにも出来ないことで怒る。

どんなに相手が悪いと思っても、謝ってもらっても自分が納得しなければ、やっぱり怒る。

結局は自分で怒りをコントロールするしかない。
 
怒りは他の人にも悪影響を与える。

誰かに八つ当たりして、またそこで新たな怒りが生まれる。

負の連鎖。

どこかで、誰かが断ち切らないと。

誰かに八つ当たりして、その人自身がスッキリしても、周りはどうだろう。

怒る人に対して、この人はこういう人だと認めてくれる人ばかりならいいけど、心が広い人ばかりとは限らない。

怒りのぶつける先がなくて、全く関係ない人に矛先が向くこともよくある。

そういう事件もニュースで見る。

そして、またそのニュースを見た人が怒ったり、哀れんだりして、関係ない家族に怒りを向ける。
 
さて、悪いのは一体誰なんだということになる。

怒りの感情が悪いのか。

では、その感情は必要ないのか。

怒りのない世界。

怒りがあることで生まれたことはないか。
 
いつも怒っている人は悪い人か。

悪い人とも言い切れない。

でも近くにはいて欲しくない。

怒ってるな〜、よく怒れるな〜、エネルギー有り余ってるな〜って遠くから観察できるくらいの距離感でいたい。

そして自分は、なんでも楽しめる人になろう。


読んでいただき、ありがとうございました。

良き日でありますように。

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