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「罪悪感」を捉え直すことで自分らしいコンパスを手に入れられるだろうか。

2020.7.13.月 #355日目

充実したと言い切れない週末を過ごしたとき、週末の罪悪感をどう処理するかという話を思案していきたいと思います。

「あー、この週末が終わって、仕事の日々に戻るなぁ」

なんて、遊びの帰りに街灯の下を歩きながら思ったり、自宅の布団を被ってスマホを見ている1日の終わりがありませんか。


ボクもあります。
「やりたいことをやりきれなかった」
「あー、また眠くなって寝てしまった」
というようなことが…。

週末の全てを充実させるのは不可能かもしれません。
だけど、自分で少し変えることはできそうだと思うんです。

例えば、モヤモヤで感情的になっている場合は、それを素直に書き出してみるとか、やるべきことを可視化するようにすると落ち着きを取り戻してやることに手をつけることができたりします。


「もっと、週末を充実させたかったのに」
と願うばかりでは充実させることができないのが実際のところです。

そこでできることはシンプルです。
どうすれば充実した時間を過ごせるのかを書き出すこと!

ただ、それだけでも順番に充実させるための要素が揃っていきます。

だんだん手をつけたくなります。

「書き出すことすらダルいしヤダー!」
という日はもう休息日にしてしまう方がいいと思います。

それを何日も何日も「ヤダーヤダー」ってやって休息日にすればいいんです。
気がつけば、「ダルいからヤダー」が上等文句のめんどくさがり屋さんになるだけですし、それでいいならそれでもいいのです。

だって、それが嫌なら動いているはずで、心のどこかでそのめんどくさがり屋さんで居ることが心地いいと思っているなら、それが正解だとも言えるのです。


なにも、サボり魔を肯定するわけでも、否定するわけでもなく。

それを自分自身が受け入れるのか受け入れないで行動するのかで正解が違ってきますよね!


ボクもこうして毎日noteの更新をしていますが、時々負けてしまうことがあります。

書かずに寝てしまって次の日は罪悪感に浸ります。というか心を侵されます。

だけど、それでも、続けたい気持ちが勝っているから続けられる。

言い換えます。

罪悪感というのは、自分を自分らしい道に戻してくれるための感情ですから、受け入れるべきなのです。


罪悪感と自己否定を一緒にしてはいけないという方向性で人生を進めていく方が「充実した日々」を過ごせると思うのが今のボクが思うことです。

「充実させられなかった…」

罪悪感を自己否定にせず、
次の行動に活かすのが良いと思うのです。

罪悪感は自分を自分らしく導くコンパスであると知り進めるといいなと思います。

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