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ペイシェント(小説)

「作戦を説明します。ペイシェントは抗体生成が間に合わずイクリール侵攻の排除に失敗、現在炭酸ガス交換システムセンターを侵食され、現在全方面での発熱反応で全体の活性が急速減退中です。作戦目的は特殊戦闘機MAMトルネードによってイクリールの脅威からこのペイシェントを解放することにあります。作戦の成功を祈ります」

 戦術作戦AIの音声でそう告げられるのだが、彼はそれにいい気はしなかった。
 搭乗する特殊戦闘機MAM(マイクロ・アサルト・メディカル)トルネードの制御は脳磁デバイス制御から量子干渉デバイス制御にアップデートされ、より鋭敏に操作することが可能になったのだが、そのパイロットである蛇窪3佐は憤っていた。
 守るべきペイシェントの行動追跡をしていた衛生情報本部の情報は、その彼がハイリスクな行動を重ねていたことを明らかにしていたからだ。こんな自業自得野郎のために俺は命をかけて、このひどく小さな特殊戦闘機を駆ってイクリールと戦わなければならないのか。隊の同期は「それが使命だ」という。確かに命ぜられれば拒否はできない。でもこの命令はあんまりだ。こんなものが作戦というに値するのだろうか。立案した幕僚たちを信頼していないわけではないが、これでは場当たりすぎる。

 そう思いながらも蛇窪はイクリールを排除する戦術を考えていた。この配置について以来、思うことと考えることが違うのはよくあることだ。

 イクリール。今、戦場をその猛威で圧倒している敵高速自己複製戦闘体であり、ペイシェントとペイシェントの間を飛沫や接触によって移動し侵入を繰り返す忌むべき敵だ。だが侵入しても活動をすぐにしないのが奴らの非常に狡猾なところだ。活動せずにペイシェントの循環システムや炭酸ガス交換システムのACEジョイントをもつシステムユニットのジョイントに結合、それを利用して動作機構に侵入し、システムを何らかのアルゴリズムでクラックして自身を複製させる。そこまではペイシェントへの他の侵入体と同じだ。だがイクリールはその複製によって数を増やすと、上陸船団を構成して他のペイシェントへの侵入作戦を実施し、そのあとに突如ペイシェントの物理システムを一気に占領し破壊する。そうやって既に多数のペイシェントを崩壊撃滅してきているのだ。

 対イクリール作戦ではイクリールのアルゴリズム解析が必須なのだが、まだそれは果たせていない。いずれ成功すると考えられているが、まだそれが成功していない。そのためにイクリールの増殖破壊アルゴリズムがわからないまま、マイクロ火器を使ってイクリールと戦わなくてはならない。増殖する相手にただの火器の火力で勝てるわけはない。与えられたMAMトルネードはもともとペイシェント・システムユニットの暴走増殖体を叩くために配備されたものだが、暴走増殖体とイクリールはあまりにも増殖速度が違いすぎる。
 そのために今回トルネードには追加火器として最高段階に強化されたフォースシステムが搭載されたのだが、その程度でイクリールに勝てるとは思えない。増殖する戦闘無機生命体にはやはりアルゴリズムを解析してのクラック戦術が一番なのだ。それが今回使えないのはあまりにも不利だ。

 どうしたらいいのか。砲兵の火力支援、航空火力支援を呼ぶにしても、その戦場にもなるペイシェントごと破壊してしまっては意味がない。システムのなかに巣食い、増殖する奴らを精密に排除し撃滅するのはどうすればいいのか。結局使えるのは炸裂弾頭ミサイルMPBM、戦術レーザーシステムTLSとその誘導破壊性能を強化してくれるフォースシステムだけが頼りだ。
 蛇窪は思いを切った。行くしかない。できそうにないからといって投げ出して逃げるのは職業軍人ではない。それが使命というものだ。

 母艦で戦術立案の作業を終え、出撃に艦載機格納庫に向かう。使う機体はすでに用意されていて、自分で機体機能の最終確認を行う。動翼、スラスター、エンジン。すべて目視に手を添えて確認する。そして機体のノーズに愛おしむように手を添える。入隊して武器を扱うときは『愛撫するように扱うべし』と教育されていたが、その意味を身にしみてこれまで理解する危機が何度もあった。それでも生き延びることができたのは僥倖だったなと思う。

 母艦のクルーにチェック終了を告げ、コクピットに入る。機体はエレベータに乗り、射出甲板に到達する。補助動力、全システム、エンジン1番から3番と起動していく。すべて正常位置。整備クルーのいい仕事だ。再び動翼動作のチェックを行う。クルーたちの動きはいつもながら無駄がない。錬成度の高さがわかる。

 そしてカタパルトのシャトルと前部着艦装置がつながる。
「射出用意よし!」
 出撃を告げる母艦の管制員の声が聞こえる。
「カタパルト射出!」
 合図とともに電磁カタパルトで射出され、トルネードは物理距離3E+8ナノメートル先の遠くに見える巨大なペイシェントに向けて発艦した。全開出力でエンジンを作動させているが搭載兵装と自重の重さで射出後少し沈み込むが、そのあとぐっと浮かび上がる。トルネードはまるで自身で飛びたいと思っているかのように、その重量にも関わらず機敏で軽快に機動する。エンジンもこれまでの機体に比べ機首から離れて搭載されていて、飛行中は静かだ。操縦していてやたら跳ねるな、と思って速度計を見ると思わぬ高速度が出ていることもよくある。優秀な機体だ。

 接近にすぐに浮遊する飛沫にのったイクリールが察知する。イクリールには察知するという言葉に適合する意思も生命もないといわれている。でも奴らはそれよりもっと狡猾にペイシェントを占領破壊するのだ。

「目標探知。前方にイクリール多数!」
 視野内の緑色のマーカーが一斉に飛び散って多数のイクリールを一斉にロックオンする。蛇窪がサイドスティックのキューボタンを押すと、大量のマイクロミサイルがトルネードのウェポンベイから吹き出し、雪崩を打つような煙を引いてイクリールに殺到する。弾着で水平線のように見える遠方が一斉に爆炎で燃え上がる。まるでアニメの『板野サーカス』のような風景だが、残念ながらこれはアニメではない。
 その爆炎に向けてトルネードはその垂れ下がった機首を向け、フォースシステムをひきつれて突進する。イクリールは火器を持っていないのだが、その体そのものを武器にして体当たりを仕掛けてくる。接近戦は避けなくてはならない。

 ついてこれるか! 蛇窪は手のスティックを倒し、スロットルを全開位置にしてペイシェントの表皮すれすれを高速で通過する。ペイシェントを脅かしていたイクリールが次々と現れて追いかけてくる。だが、追いつくものはいない。さすが開発が難産だったマイクロプラズマジェットだ! だがそれを喜ぶ間はない。
 高速飛行にペイシェントの外部空気吸入口が見えてくる。真っ先にイクリールの上陸を許した地点だ。奴らはそこで他のペイシェントへの上陸作戦のために増殖し船団を編成しつつあるのだ。その圧倒的な量に「これは負けだな」と絶望的になりそうだ。

「前方の攻撃機、火力支援する!」
 そこに戦艦からの通信だ! 我々の誇る空中翼を広げた優美で強力な戦艦BBGNクレオソードもこの戦域に肉薄している。あの高価な新鋭アーガス高度火器管制システム搭載の戦艦を近接戦闘をやっている敵対区域に突っ込ませる艦長の豪胆さに感服しそうになる。
 すぐにデータリンクで照準データを送る。
「左舷砲戦! 榴弾VT効力射、方位角、仰角、諸元設定よし! ヨーイ、テーッ!」
 戦艦の誇る電磁レール主砲からクラスタープラズマ砲弾の片舷斉射が船団に放たれた。その破壊力はすさまじく、イクリール船団だけでなく、ペイシェントも刺激して強烈な衝撃波を発生させた。船団の破片が一斉に吹き散らされ大混乱になる。
 だがそれがチャンスだった。蛇窪はそれを見逃さず、その衝撃波に翻弄される期待を制御し、遡るようにトルネードを機動加速させた。破片の奔流をフェイントモーションでかわし、さらに目の前に躍り出たイクリールにレーザーを浴びせる。高熱でそれはすぐに炎上しカーボンの藻屑となって消える。その虚にトルネードを飛び込ませる。イクリールはその速度に追いつけない。
 そのまま蛇窪はペイシェントの給排気システムのインテークから内部に入ることに成功した。だがイクリールと戦うペイシェントの防衛システムは蛇窪のトルネードも外敵と認識しかねない。それを区別させられるほどのイクリールの分析はまだできていないのだ。
 そのまま突入していくトルネード。ペイシェントの循環経路に進入、その循環液に乗り、そのまま脳血液関門の突破をこころみる。イクリールの侵入を防いでいた関門は炎症を起こしている可能性があったが、トルネードの反応速度がその遮断機能を上回った。
 一気にトルネードがたどり着いたのは、ペイシェントの頭蓋内だった。脳細胞がイクリールの侵攻にさらされた結果、少し浮腫を起こしている。もう躊躇している時間はない。

 目標は……ペイシェントの情動と記憶形成に大きな役割を果たす、海馬と扁桃体。

 だが、このペイシェントの生命を支える根幹である脳にすら、イクリールは侵入しつつあった。それにフォースをぶつけてレーザーで焼き払うと、進路が開けた。

 ついに、目的点に到達した。
 すぐに海馬・扁桃体にトルネードの搭載した電子戦装置ECMの電磁波を浴びせる。イクリールが阻止にあらわれる。しかしECMの動作をとめたら意味がない。ECMをきかせる位置をキープしたまま火器を使って叩く。イクリールが増える。叩く。しかしなおも増える。叩く。しかし奴らの増殖のほうが速い。もう脱出経路がなくなる。増殖するイクリールには多数に無勢すぎる。そしてついに包囲された。もうダメだ! きいてくれ! ECM!

 そのとき、ペイシェントが動いた。
 やった! ECMがきいた! すぐにトルネードはイクリールが作った包囲壁に穴を開けて急速離脱を図る。その穴はトルネードの脱出後にすぐに塞がれる。まさに間一髪!!

 追い縋るイクリールを振り切り、高速航行で母艦へ帰投するトルネード。

 静かにペイシェントが遠くなっていく。

 蛇窪は戦闘の呼吸から開放されて、息を深く吐いた。
 もうこれで大丈夫だ。ペイシェントはイクリールの上陸を許したが、これからきっと外部炭酸ガス交換システムや抗体カクテルといった、このトーネードの火器よりも遥かに強力な戦力が投入されるだろう。こんな超小型戦闘機よりもそれらが強力なのは明白だ。

 蛇窪はそう思いながら、ECMを浴びせた海馬と扁桃体、大脳辺縁系への介入作戦を終えた。

 これでペイシェントの運命は変わるだろう。作戦の目的は達成される。
 きっとこのイクリールとの陰惨な戦いも、もうすぐ終わる。終わると思っていて何度も裏切られたが、全く終わらない戦いというものも実はないのだ。次の戦いがすぐやってくる事がとても多いとはいえ、何にでも終わりはある。
 あるのだ。

 ペイシェントの声が遠くに聞こえた。
「PCR検査受けたいんですが、発熱外来ってこちらでいいんでしょうか」
〈了〉

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