ピアソラ

ピアソラが影響を受けたタンゴミュージシャン①バルダーロ六重奏団


アルゼンチンタンゴのこぼれ話あれこれ。
バンドネオン&ギターDuo「タンゴ・グレリオ」のギタリスト米阪が古くて新しい音楽アルゼンチンタンゴの魅力を発信していきます。

タンゴの革命家と言われ、現代のタンゴのあり方を変えたたアストル・ピアソラ
しかしニューヨークで過ごした少年時代の彼はタンゴにはあまり興味がなく、もっぱらクラシックやジャズに傾倒していました。

ピアソラは父親の仕事の関係で4歳から16歳という多感な時期をニューヨークで暮らしており、少年時代の彼にとって母国アルゼンチンの音楽であるはずのタンゴは、むしろ古くさい外国の音楽のように感じられたのでしょう。

彼がタンゴに「目覚めた」のは家族とともにアルゼンチンに帰国した後の1938年、ラジオからたまたま流れてきたエルビーノ・バルダーロ六重奏団の演奏を聞いた時でした。

エルビーノ・バルダーロ六重奏団 「老いた虎」

その卓越した演奏テクニックと複雑で洗練された音楽に魅了されたピアソラは、それから様々なタンゴ楽団の演奏を聞きあさるようになります。
タンゴという音楽が新しいものを生み出す可能性を秘めていることが、バルダーロの演奏を通じてピアソラに伝わったのです。
タンゴへの想いが燃え上がったピアソラは、翌年18歳の時にプロのタンゴ奏者をめざして単身ブエノスアイレスに乗り込みました。

ところがこのバルダーロ六重奏団は結成当初から業界では高い評価を受けていたにもかかわらず、活動していた1930年代が不況の折だったためか、レコードも発売されないまま数年で解散してしまいました。
いつの時代も素晴らしい音楽が常に正当に評価されるとは限らないのです。

結局この画期的だった楽団はその後のタンゴ奏者に影響を与えつつも、一般的な人気を得る前に解散してしまった「幻の楽団」となったのです。
現在聴くことのできる演奏は、リハーサルを収録したデモ音源と思われる音質の悪いものしか残されていません。

とはいえ幸いにもピアソラはプロタンゴ奏者として名乗りを上げてまもなく、バルダーロ六重奏団のバンドネオン奏者だったアニバル・トロイロが新たに立ち上げた楽団に身を寄せることになりました。
当時人気がうなぎ登りだったトロイロ楽団に在籍することで、若きピアソラはタンゴ業界で一気に知名度と人脈を得ることになるのですが、この話はまた別で…

バルダーロにあこがれてタンゴの道を進んだピアソラでしたが、それから10年以上たった1950年代からは弦楽オーケストラや5重奏団などで、この尊敬する先輩との共演を果たしています。

あこがれのバルダーロとの演奏はさぞうれしかっただろうと思われますが、その一方ピアソラはバルダーロのホテルの部屋に猿を入れるなど、妙ないたずらを繰り返したそうです。
こういったピアソラのいたずら癖は最晩年まで止まらなかったそうなので、なかなか変人の一面もあったようですね。

1971年にバルダーロが没したときに、ピアソラは名曲「バルダリート(Vardarito)」を作曲して彼を追悼しました。

アストル・ピアソラ コンフント9 「バルダリート」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?