ピアソラ1963

ピアソラ初期の作品を聴く

「リベルタンゴ」「アディオス・ノニーノ」「ブエノスアイレスの四季」‥‥今や多くの奏者が演奏するアストル・ピアソラの代表曲ですね。

しかしピアソラは自分で「2000~3000曲は作曲した」と豪語するほど多作家です。一般的にはあまり知られていない時代の作品を聞いていくことで、「どのような道をたどってピアソラはピアソラになったか」を読み解くことができるでしょう。

今回はピアソラ初期の作品をいくつか紹介しましょう。 

パラ・ルシルセ(Para lucirse)は1950年、ピアソラが30歳のころの作品です。 
少年のころから作曲を試みていたので、これが処女作というをわけではありませんが、この曲を皮切りにピアソラは従来のタンゴの様式に新しい和声やリズムの感覚を融合させる独自の作品を次々と生み出していきます。 
この時代は大きくタンゴの様式を崩すことはまだありませんが、古風な様式美を保ちつつ新しい風を感じさせる独特の魅力を感じさせます。 
パラ・ルシルセは「輝くばかり」と和訳されることもありますが、スペイン語のニュアンスでいうと「輝くために」→「成功のために」と訳せるかもしれません。

1951年の作品、プレパレンセ(Prepárense)
Prepárenseとは「準備はいいか?」というような意味で、「自分のおこすタンゴ革命についてこい!」といわんばかりの若きピアソラの気迫を感じさせます。特徴的なリズムに物憂げなメロディがからみ、ユニークな効果を出しています。この時期の作品の中では演奏される機会も多いようです。

コントラティエンポ(Contratiempo)(災厄)は1952年の作品。
この作品もあくまで伝統的なタンゴのスタイルで書かれた渋い作風ですが、やはり端々にピアソラらしいユニークなリズムが聴き取れます。
 演奏しているのはピアソラではなくアニバル・トロイロの楽団ですが、この時期のピアソラは自分の楽団を持っていなかったのでトロイロが彼の作品をよく初演していました。
実はこの作品はもともとは「ロ・ケ・ベンドラ(来たるべきもの)」というタイトルが付けられていましたが、当時のペロン政権打倒のニュアンスが感じ取れて危険と判断してこのタイトルに変えたようです。

そのロ・ケ・ベンドラ(Lo que vendra)は結局1954年の別の作品のタイトルになりました。 こちらもトロイロ楽団の演奏です。
この時期の作品としてはもっとも革新的でピアソラも気に入っていたのか、その後も何度かアレンジして自らのレパートリーとして演奏しています。 

この後、1954~1955年のパリ留学でナディア・ブーランジェからの「ピアソラの原点はタンゴにある」という示唆に奮起したピアソラは、帰国後にブエノスアイレス8重奏団を結成、より前衛的なタンゴの世界に乗り出していきます。
次の同じ「ロ・ケ・ベンドラ」の演奏を聴くだけでその変化を感じ取ることができるでしょう。



 

 

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