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あいつ独立するってよ。

友人が卓球場を建設すると知った。
活動内容が、たまたまTwitterから流れてきた。たまたま。卓球だけに。

友達の活動をしばらく見ていると、一瞬なんとも言えない気持ちになった。

それは決して、前向きな、それではなかった。

それなりの年数生きてると、身の丈の悩みを抱えていたこともあった。
ただ、自分の体感としては、年々、生きやすくなっている。

その一瞬。
そのときの、それがなんなのか、わかる。

自身への無価値観にもにた、惨めな気持ち。
[人生うまくいってそう、なにより彼は何者かになろうとしてる〕
そんな風に感じたことからの焦り。
同時に、自分のほうが実績も実力もあるのにという、嫉妬心。
ささやかな抵抗。

良くも悪くも、僕はずっとこんな調子だった。
久しい感覚だった。
とにかく、社会的な価値に重きを置いていた。
認められてこそ。そんな気持ちで、いっぱいだった。

それなりに、卓球とは真剣に向き合ってきた。
本当に好きでやってたかと聞かれたとき、素直に「うん」とは言えない自分に気が付いたのは最近のことだ。

僕にとっては、他人に認めてもらう手段の一つでしかなかったように思う。
そんなことに気がついたのは、最近のことだ。

ほんとのトップ集団には、相当な覚悟をもってその場に立っている人ばかりだ。そりゃ勝てなくなるのも納得だ。

勿体ないと言われることもある。
落ち着いたら復帰したらと言われることもある。
ただ、その気は全くないし、なんの後悔もない。
なくていい。

最近読んだ本に、いい人生を送っているか否かは結局、納得して決断して行動したかどうかが、一番大事だよねって話が書いてあった。

全くもって、そうだと思う。

「お坊ちゃん」と呼ばれるような環境だった故に、それなりに贅沢に生きてきた時期もある。
ただ、お金をかけ、周囲から羨ましがられる生活が、自分を満たしてくれることはないと知った。

のり弁ってこの地球上で一番うまいな。。。
と、感動するほど、生活に困ってた時期もあった。
あの時の、のり弁は間違いなく僕を満たしてくれた。

僕はよく冷たい人間だと見られたり、無頓着な男だと思われる。
まさにその通りで、大体のことが、「フーン(ほじほじ)」で終わる。
年々、人のあれこれに左右されることが減った気がする。

そして、自分の関心のある物事に少しずつアンテナが立ってきた。

友人の近況を見て、いろんな感情に向きあう。

効率的で効果的な、答えに重きを置く社会的価値観からすると、かなり遠ざかってしまった。

ただ、自分の中にこんな感情がまだまだ、眠っていて、きっかけは取るに足らない出来事だったりするわけだ。

それでどうしたい?

なくていいものだ。

そう、気づいただけで、随分スッキリとした気分で受け入れることが出来るというものだ。

あがいて、悩んで考えて、コスパ最悪だが、そうやって少しずつ、成長していくしかないんだと思う。
気づけた時点で、大体の問題は解決されているんじゃないかと思う。

もし、またTwitterで、たまたま見かけたら、リプライでも送ろう。
00:00に送ろう。ラブオール。卓球だけに。
11回送りあったらやめよう。卓球だけに。




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