鎮痛剤になった歴史
誰もが感じているとおり、2024年は最悪の明け方になってしまった。
北陸の震災の死者数は激震地の実情がわかるにつれて増えるだろうし、飛行機事故で殉職した海保職員が被災地に支援物資を送る途上だったというのも、やりきれない気持ちになる。
加えて個人的には、今回の震災に際して奇妙な「歴史の甦り」が起きていることが、どうにも居心地が悪い。眼前の世相に触れる際、2011年の東日本大震災の記憶をにわかに「思い出し」、対比的に言及する人が急に増えた。
もちろん「思い出すな」と言いたいわけじゃない。むしろ思い出す方が自然なんだけど、でも、ついこの前まで忘れてましたよね?、という点がどうしてもひっかかる。
2020年の春に新型コロナウィルス禍が始まったとき、2011年の教訓はすっかり吹き飛んで、一顧だにされなかった。当時からなんども論じてきたが、最も重要なのは以下の2つだ。
わが国のコロナ禍は昨年(2023年5月)まで続いたが、その3年強のあいだはすっかり歴史を忘れていた人たちが、なぜ24年からは思い出すのだろう?
むろん地震/津波という、危機の性格が近いことは大きい。だがそれ以上に、2011年よりは色んなことが「まだましだ」として、自足的な安心感を喚起したいとする欲求が、去年までは地中に埋められていた過去をにわかに引きずり出している感は否めない。
人を「安心させる」こと自体はきわめて重要で、だからウィルスの脅威を煽り「不安にさせる」ことが意識の高い振るまいだと錯覚されたコロナ禍の中でも、ぼくは一貫して安心の大切さを説いてきた(たとえばこちら)。
だか安心が「現状肯定」と混同されるなら、それもまた180度逆を向くだけの、新しい錯覚にすぎない。今回の政府対応は2011年よりましだね、として歴史を引っ張り出すとき、仮にその評価自体がそれなりに妥当だとしても、過去を「思い出す」手続きにまつわる首肯しがたい安易さが、抱きあわせ販売のように貼りついている気がする。
この社会における歴史とは、「しょうがない。もう足掻くのはやめよう」的な鎮痛剤として使えるときだけ倉庫から出されて投与される、米国におけるオピオイドの等価物になったんだろうか?
たぶんそう考えながら、2024年を過ごしてゆくことになるだろうなと思う。
(ヘッダー写真は、オピオイドに至る薬物史の解説記事より)
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