母のこと

母は、あまりご飯を作らない人だった。こころが弱かった。第一子の私が生まれて程なくしてシングルマザーとなり、私は度々祖父母の家に預けられた。
母は、彼氏ができるとよくご飯を作った。祖父は気難しい人で祖母は祖父を怒らせない事が第一だった。
父親が離婚後、アルコール中毒で死んだと知ったのはいくつの頃だったろうか。


私は誰の一番でもないのだと思っていた。


思春期を迎える頃、母は宗教にのめり込んだ。母と話をしても神様と話をしているみたいだった。母へ対する私の怒りも悲しみも全て「自分を前世で恨んでいる人が仕向けている事」とされた。私の中には怒りも悲しみも抱えきれないほどあったのに、母から見た私自身には怒りも悲しみもないようだった。高校を卒業した翌日、新幹線に乗って一人暮らしを始めた。


母にも祖父母にも会わなくていい生活は楽しかった。私の感情は全て私のものだった。一人暮らしを始めて生活する事の大変さを知り、今まで当たり前にしてもらっていた事に感謝した。
母を許せる気がした。あの祖父母に育てられたのでは、欲しかった愛情はもらえなかったに違いない。そんな母が、私の欲しい愛情を与えられないのはあたり前だろう。母も誰の一番でもないと感じていたのかもしれない。


二十代も半ばに差し掛かった頃、そんな私を一番にしてくれる人と結婚した。子供にも恵まれた。それまで子供は苦手だったが、あまりの愛おしさに驚いた。可愛い。大きな口を開けてけらけらと笑う。まんまるい目いっぱいに涙を溜めて、これ以上ないくらいに口をへの字に曲げる。信じられないくらいちいさい手にきちんと付いた爪。私の事が大好きでしょうがないとわかるまっすぐな瞳。可愛い。全ての災いから守りたい。笑顔を絶やさず、毎秒幸せが続くように。あれ?母は私の事、どう思っていたんだろう。



私が子供を大事にすればするほど、真っ直ぐな愛情を向ければ向けるほど、私の中の子供の頃の私が泣いた。どうして私はそうしてもらえなかったんだろう。だけど大人の私は母の様な状況下に置かれたら余裕が無くなるのも理解できた。泣く子供の私に、大人の私はどうしてやればいいのかわからなかった。


許した気になっていただけでなにも許してなかった。物分かりのいい大人の顔をして小さな私を突き放して向き合わず来た。母の事が大好きな、可愛そうな私。大好きで大好きで仕方なかったんだよね。あなたがされて悲しかった事、絶対に私の子供にはしないからね。


今は母に会っても何を話したらいいのかわからない。母だと思うと辛いので、友人だと思うよう努める。ずっと呪いにかかったまんまで、母が死んだ時が解放される時かな、と思っている。


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