レッドホット・チリペッパー
種村季弘『書物漫遊記』(ちくま文庫)を読んでいたら、こんな話が出てきた。
種村の友人のインド文学者松山俊太郎という人が、普段から荒行のように唐辛子を摂取する人で、東京で一番辛いというインドカレーの店で「こんな甘ったるいのが食えるか!」と文句を言った。するとコックの目が怪しく光り、「ようがす」と奥へ消えた。そして出てきた新しいカレーを松山はきれいに食べ終わってから「ありがとう、これがカレーです」と言い残して店を出たのだが、あとで聞いてみると松山は「いや、実はさすがにあのときは心臓が止まるかと思ったよ。それよりあれから一週間位、耳鳴りがガンガンして止まらなくなっちゃったのには吃驚したね」
こういった「辛けりゃカレー」という貧しい発想の人は嫌いである。唐辛子を大量に摂取できることをさも英雄的行為のように思っている人間がいるが、そんなやつは一週間耳鳴りでも何でもして苦しめばいいのだ。
僕は昔梅田の某インド料理屋で働いていたのだけれど、そのときもこういう客がいた。
「この店で一番辛いカレーをくれ」
そのときホットチキンという相当辛いカレーがメニューにあったのでそれを出すと、「全然辛くないやないか。もっと辛いのはないのか」と文句をいう。「明日も来るから考えておけ」と。
コックのビシャンシンさんが困ったような顔で「ああいう客、嫌い」というので、
「明日は今日の3倍くらいレッドペパー入れてやったら?」
で、ビシャンシンさんは次の日、本当に3倍レッドペパーを入れて出した。しかも薬研でゴリゴリ挽きたてのやつを。ところが
「まだまだ辛くない。こんなもんじゃ満足でけんな」
とそのオッサンはまだ文句をいうのだ。
僕もビシャンシンさんも腹が立ってきた。そんなに唐辛子が好きなら鷹の爪でも何でも丸まま囓るなり、タバスコ一気飲みするなりすればいいのである。ここはインド料理を出す店であって、唐辛子ペーストを食べさせる店ではない。インド料理は、そりゃ辛い料理もあるけれども、実際全然辛くないカリーも多いし、唐辛子の辛さばかりじゃなく、いろんなスパイスの香りや味を楽しんでもらいたいと思ってコックさんも腕を奮うわけである。それをあの唐辛子バカは!
翌日、僕は素晴らしいアイデアを思いついた。
「ビシャンシンさん、あの客のカリー、今日の味付けは僕にやらせて」
「カマちゃん、どうするの?」
「うひひ」
その日も鼻息荒くその客はやってきた。
「今日は期待してるで」
薬研で挽きたてのレッドペパーを昨日と同じく3倍量、ホットチキンカリーにブチ込む。そして、さらに、塩を一つかみ、そこへ放り込んでやった。
「・・・・!」
客は呻きながら、その「塩過剰」ホットチキンカリーを食っている。昨日までと違って顔には脂汗が浮き、目を白黒させている。唐辛子の辛さは我慢できても、塩の辛さは我慢できない。
しかし客には客の意地もあるようで、まぁ天晴れなことに彼はなんとかその皿を平らげ、目を充血させながらレジでこう言ったものである。
「き、きょうのはやっと手応えあったな。さ、さすがや・・・・」
僕とビシャンシンさんはがっちりと握手をした。
その日を最後にその客は二度と店に姿を現さなかった。
(シミルボン 2016.9)
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