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吉村昭らしくない吉村昭


「史実の隙間を情緒で埋めない」歴史小説家・吉村昭の、とても珍しい小説を読んだ。『虹の翼』(文春文庫)。
何が珍しいのかというと、けっこう情緒を盛っているのである。そこは本人も自覚があると見えて、新聞連載が終わったあと、当初は単行本にしないつもりだったという。「なんか俺らしくもない」と思っていたのだろうか。

ライト兄弟が飛行機を完成する十数年も前に、鴉が羽根を羽ばたかせずに飛翔する姿を見て独自の飛行力学を研究し、ゴムプロペラの動力で模型飛行機を数十メートル飛ばせるところまで独力でなしとげた男・二宮忠八の生涯を書く。
吉村昭らしくなく(?)泣かせるシーンが随所に。妻の寿世にはじめて模型の飛行を見せるシーンは映画化してほしいくらいに映像的で美しいし(妻役は菅野美穂でお願いいたします)、ライト兄弟の飛行機の成功を伝える新聞紙面に打ち震えるところは、僕は電車の中で読んでいたのだが、不覚にも頬を涙が伝うほどに泣けた。もう少しで嗚咽までするところだった。

軍に開発を上申するが二度にわたり却下され、独力での開発を決意した忠八は資金を貯めるため製薬会社に就職するのだが、明治期の薬学・製薬史が細述され、これがこの小説にもう一本の背骨を通している。

吉村昭らしくはないけれど、素晴らしかった。
おすすめの一冊です。

(シミルボン 2016.9)

『虹の翼』
吉村昭
文春文庫


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