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日本には、なぜ女性議員が少ないの? #25歳からの国会

今回は「日本には、なぜ女性議員が少ないのか?」です。

日本は未だに衆院議員は9.9%で、世界165位と、世界で最も下院議員の女性割合が低い議会の一つとなっています(*1)。

また、クオーター制など罰則付きの積極的な性差の是正のための法制もなく、政治分野における男女平等は達成されていると言い難いのが現状です。

なぜ、日本には女性議員が少ないのでしょうか。いや、あえてこう書くほうがいいかもしれません。なぜ日本は女性議員を増やそうとしていないのでしょうか?

昨年、私たちの同志である宮川典子さんが、40歳の若さで亡くなりました。彼女は自身が病魔に侵されていることを一切公表せず、2018年、「政治分野における男女共同参画推進法」成立に最後まで力を尽くしてくださいました。
残念ながら、今日、彼女の期待した成果にはまだ至っておりません。これから政治分野における多様性の確保の為、私たちは女性候補者の発掘に一層努力し、女性が政治にもっと関わる取り組みを進め支援していきます。
行政府にあっても、法務省法制審議会は1996年、選択的夫婦別姓制度導入を答申しました。内閣府・男女共同参画推進本部は、「202030」を目標にしています。
内部から組織を改革していく必要もあると考えますが、女性活躍に関する基本方針について、総理のお考えをお伺いします。

野田聖子衆院議員
2020年10月28日 衆議院本会議 代表質問

13年ぶりの自民党・女性代議士

冒頭、野田聖子衆院議員の臨時国会における代表質問を取り上げました。

保守政党である自民党から「選択的夫婦別姓」など女性政策が代表質問で取り上げられたことは画期的であり、与野党関わらずすべての政党の指導的地位に女性がつくことの意義を改めて感じさせる質問であったのではないか、と思われます。

しかし、残念ながら野田聖子議員のように、指導的地位につく女性議員は少なく、保守政党では更に少なくなるのが実情です。

野田聖子議員は、総務大臣、予算委員長などを歴任し、総理総裁候補にも数えられる議員ですが、実は「自民党における13年ぶりの女性代議士」でもありました。

1980年から1993年までの実に13年間、自民党には女性の衆院議員がいなかったのです。


2018年、政治分野における男女共同参画の推進に関する法律が成立しましたが、これには残念ながら罰則や義務規定がなく、努力規定になっています。

政治分野における男女共同参画の推進に関する法律 第一条
政治分野における男女共同参画を効果的かつ積極的に推進し、もって男女
が共同して参画する民主政治の発展に寄与する。

このような現状はなぜ起こり、そしてどのようにして固定化していったのでしょうか。

「初めての女性議員」のその後

大日本帝国憲法において、選挙権は男性にしかありませんでした。当然、被選挙権も同じであり、すなわち女性の政治家は存在しなかったのです。太平洋戦争は「男たちの」戦争でもありました。

これに抗ったのが、市川房枝さんや平塚らいてうさん、後に参院議員として3期努めた奥むめおさんなどが進めた「婦人選挙運動」です。治安維持法第五条改正(女性の政治結社への加入・政治演説の禁止)などの成果を残すものの、戦前は男女平等の選挙には至りませんでした。

敗戦後、ようやく女性も含めた普通選挙が実施され、1946年4月10日の衆議院選挙で初めての女性議員が39人誕生しました。この数はなんと、その後60年近くも破られず、女性議員の数が39人を上回ることは2005年までなかったのです。

残念ながら、この39人の多くは一期で落選することになり、婦選運動の盛り上がりは充分に継続することがありませんでした。

しかし、

・二人目の女性大臣として科学技術庁長官を努めた近藤鶴代議員
・日本社会党で当選6期を数えた松尾トシ子議員
・現職国会議員として初めての出産を経験した園田天光光議員

など、日本政治の歴史に大きな足跡を残した代議士も多数排出しています。

なぜ女性議員が少ないのか?

さて、表題の質問に戻りましょう。そもそも、なぜ女性議員が少ないのでしょうか。

女性議員が少ないのは、大まかに2つの理由があります。

・男性の方が立候補しやすいから
・男性の方が当選しやすいから

この2つは、残念ながら事実であると言ってもいいでしょう。

女性より、男性の方が立候補しやすい

政党幹部が女性議員を増やしたくない、と思っているとは思いません。しかし、議席を減らしてまで女性議員を擁立すべきだ、と思っている政党・政党幹部は少ないのではないでしょうか。

残念ながら、都市部と地方において、性差別に対する考え方、ジェンダーギャップの解消に対する意欲は、大きな差があります。


東京の所得の高い地域であれば、地域の中で自ら手を上げた人がたまたま女性である、ということはありうるかもしれません。

しかし、地方に行けば行くほど、「たまたま手を上げた人が女性である」ということは、相当なレアケースになっていきます。

そもそも地方には若い世代が少ない上、年代が上がれば上がるほど、仕事において性差別の影響を強く受けているため、政治家になってくれそうな「社会的地位の高い年配の女性」も少ないのです(むろん、社会的地位が高くなければ立候補してはいけない、ということではありません)。


そして、小さな単位の選挙であればあるほど、地域の中の濃密なコミュニティで推されなくてはいけません。

参議院議員は(2020年現在)22.9%が女性ですが、衆議院議員は9.9%。地方自治体の長となると更に減り、女性知事は4.3%、政令指定都市市長は10%、市区町村長になると、わずか1.9%。

1721の市区町村がありながら、女性のトップはわずかに32人しかいないのです。

女性より男性の方が、当選しやすい

近年、自民党内閣においては、概ね5割以上の閣僚が世襲議員で占められてきました。

なぜ世襲議員が閣僚になりやすいか。選挙が安定するため、当選回数が増え、当選回数主義の政党においては出世しやすいからです。


「世襲」制度は、家督や家制度、家父長制の影響を色濃く残しています。つまり、基本的に家を次ぐのは息子です。

また、「名前を継ぐ」ことが重要であるため、そもそも女性が名前を変えることが一般とされている日本で、女性が名前を継ぐことのハードルは低くありません。


山内康一衆院議員はこう述べています(*2)。

かつて知り合いの政治評論家が「自民党では総理の息子・娘は3階級特進、大臣の息子・娘は2階級特進」と言っていました。永田町では当選回数が重要です。当選1回では無役で、当選2回で大臣政務官、当選3回で副大臣や部会長、当選4回で常任委員長、当選5回から大臣適齢期といった相場観があります。「総理の息子・娘は3階級特進」というのは、総理の子どもだと当選回数プラス3回分の特別扱いされるという意味です。

世襲議員は必然的に男性が多くなり、男性は当選しやすい。更に世襲議員は優遇されるため、出世しやすい、ということになります。

枝野幸男衆院議員は、ロイターのインタビューでこのように述べています(*3)。

女性が選挙に出た時に、夫が自分の仕事との兼ね合いで妻の選挙を手伝えないなどの障害があり、女性のほうがハードルが高い。まして子育て世代だと、育児の負担を多く担っているため、コストが大きいことは間違いない

残念ながら、日本の選挙は「家族ぐるみ」であり、政策を訴えることよりも地域をまわり、1人でも多くの有権者に名前を売るなど、時間的拘束も多いのが現実です。

そのときに「家業」として専念しやすく、また政治家の家系であれば家族全員がサポートしやすいのです。


「当選しやすい女性」とはなにか

冒頭、野田聖子議員の発言を紹介しましたが、野田議員は祖父の養子となることで野田姓を継いだ世襲候補です。

野田議員の同期当選には、田中真紀子議員(後に自民党が追加公認)、高市早苗議員(無所属)、小池百合子議員(日本新党)などがいました。

野田議員と田中議員は、ともに、「男兄妹がいなかった」世襲候補であり、高市議員、小池議員はともにテレビのキャスターでした。


この選挙から明らかなように、「当選しやすい」「立候補しやすい」女性議員というのは、つまるところ2つのパターンに分けられます。一つは知名度がもともと高い女性。もう一つは、世襲議員です。


与野党問わず、女性が政治の世界において飛び道具、壁の花として扱われてきたことは、否定できません。

これは、女性が少ない内閣に「華がない」と言う社説(*4)がついたり、初当選した議員を「○○ガールズ」と表現する新聞社(*5)があったりすることからもわかります。

タレント、キャスターから転身する女性議員に責任は一切ありません。そして、あえて言うならば「当選しやすい候補」を選ぶというのは、政党にとっても有権者の付託に応えるための一つの責務であり、地域の中で推される候補を選ぶことは、全てが否定されるものではないのです。


女性議員を増やすなら、出来ること

残念ながら、地域のボトムアップ型で女性議員を増やすのは、非常にハードルが高いのが現実です。

だとすると、やはりこの風土を変えるためには国・政党がトップダウンで決めるしかありません。

例えば、冒頭の男女共同参画局のパンフレットから、メキシコの例を考えてみます。1990年代後半まで、メキシコの女性議員割合は10%台でした。


しかし、そこから下記のような政策を実現し、2020年の女性議員割合は48.2%。ほぼ男女同数を実現しているのです。

法的候補者クオータ制の義務化と段階的な引上げ
2002年に女性候補者 30% クオータが義務化された後、40%(2008 年)、50%(2014年)と比率が段階的に引き上げられた。

政党助成金
政党助成金の3%を女性の能力強化に充てる。使途については国家選挙管理機構が監査を行い、不適切に使用された金額の150%を罰金として徴収する。

ジェンダー平等委員会の設置
上院と下院にそれぞれジェンダーや女児・女性にかかわる法案を協議する「ジェンダー平等委員会」を設置。委員は上院約 15人、下院約30人でほぼ全員女性。ジェンダー平等を啓発するイベントやシンポジウムも実施。

選挙裁判所による積極的な司法判断
クオータが確実に守られるよう、抜け道を利用してクオータを守らない政党には違法判決を下すなど、女性の政治参画を推進するための司法判断を積極的に行ってきた。クオータ免除の例外を認めない 2011年判決を通じて、2014 年憲法改正によるパリテ実現への道を開く

しかし、このような制度実現のためにも、まず政党が女性議員を増やす必要があります。

例えば、小泉純一郎総理大臣は、2005年のいわゆる「郵政解散」総選挙において、女性議員を比例の各ブロックの順位上位に優遇することで、当時45人という史上最高の女性議員を誕生させました(*6)。

これは非常に画期的な施策だったと思います。


他方、これは「刺客」と呼ばれ、過度に扇情的な取り扱われ方をしたほか、比例単独の議員が選挙区で地盤を確保できず、女性が十分に選挙区に定着するには至りませんでした。

日本の重複立候補という制度で、「惜敗率が高い=選挙区で支持されていた」ということは民意の象徴でもあり、たとえ女性を増やすという大義名分があったとしても、その惜敗率以上に優遇することは、有権者の付託という点でも難しい点があります。


しかし、本来拘束名簿式というのは、政党がどのような候補者を擁立するかということを主体的に選ぶための制度であるはずです。

残念ながら、選挙区に女性を増やすのは、とてもとても難しく長い道のりです。しかし、まずは比例から、そして落下傘から増やしていく。そして、その声を法案として実現し、選挙区の空気を変えていく。

残念ながら、日本の議会には対処すべき沢山の問題があり、その問題を解決するためにはあらゆる声を代弁する多様性が必要ではないでしょうか。

出典

*1 内閣府男女共同参画局「諸外国における政治分野の男女共同参画のための取り組み」2020

*2 https://www.kou1.info/blog/politics/post-3184

*3 https://jp.reuters.com/article/japan-election-female-candidate-idJPKCN1UB087

*4 https://www.sankei.com/west/news/181003/wst1810030024-n1.html

*5 http://s01.megalodon.jp/2009-0912-2256-02/mainichi.jp/select/seiji/news/20090911dde012010053000c.html

*6 http://www.law.tohoku.ac.jp/gcoe/wp-content/uploads/2011/03/gemc_05_cate2_5.pdf



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