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【814】セットで覚える

「記憶」ということを「勉強」の核に据えようとしている人は大半が大学受験か資格試験で知性をストップさせてしてしまった人ですが、それはそうと記憶することはなんであれ絶対に必要ですし、語学なんかはどれだけの量をどれだけの質で記憶しているかが重要な面があります(いやもちろん、語彙力はあっても緻密かつ正確にものを読めない、みたいな人は、特にTOEICやTOEFLの点数だけが高い人の中にかなりいますが)。

ものを記憶するときに大切な態度はといえば、「文脈を繁茂させる」ことですが、これは「少なく覚えようとするのではなく、たくさん覚えようとする」ということです。あるいは「何でもかんでもセットにして覚えよう」ということです。(もうひとつは「接触量を増やす」ことですが、こちらはまあまあ当たり前のことなので、よいでしょう。)

どういうことでしょうか?

否定的に言えば、ある単語を見たらその単語に対応するごく重要な訳語を覚える、という形式の勉強を排除するということです。

ある知らない単語や表現が出てきて、それを辞書で引くなら、たくさんの訳語、あるいはその背後にある中核的意味とセットにして記憶するのですし、発音やアクセントもセットにすることになります。接頭辞を取り出してみたり語源を調べてみたりして覚えるということです。例文にも目を通して、使えそうなものはすべて覚えてしまうということです。

覚えることが増えるように見えるので、避けたく思う人もあるかもしれませんが、寧ろ一対一対応形式の弱い弱いつながりしか念頭に置かない場合、かなり忘れやすくなります。あることがらに10の情報を纏わせて覚える場合と、1しか情報を纏わせずに覚える場合、後者のほうが当座確かな記憶になるように見えるかもしれません。しかし、取っ掛かりがひとつしかない場合、万一そのとっかかりを忘れてしまうと、取り戻せません。これに対して、10の情報をバシバシぶちこんでいれば、少なくともどれかひとつは覚えているわけで、そこから連想したり推測したりすることで全体像を思い描くことができるでしょう。

スパイクシューズにはトゲがたくさん生えています。1本のトゲしかついていないということはありません。きちんと地面を踏みしめるには複数のトゲが必要です。

地理歴史で言えば事件と年号だけ結びつけてもダメで、その背景や影響や関わった人間の名前やあるいは別の場所で同じ時期に起きた事象やその他諸々をセットにして全部覚えようとする、ということです。(語呂合わせなんかは私は大嫌いですが、それはこうしたつながりを忘却する方向にはたらきうる勉強だからです。寧ろ様々な周辺的情報にも眼が向くような勉強の一部として語呂合わせがあるというのなら、それは歓迎すべきことです。)

資格試験なんかでももちろんそうで、「どうしてそうなるのか」「その概念は何を意味するのか」に関しては、できるだけ豊富な情報を纏わせて勉強するのが結局早いわけです。一問一答的に用語のほうを記憶する人がとかく多いのですが、寧ろ覚えるべきは用語の説明のほうで、自分で説明できるということのほうが重要です。何故って、そこまでやれば用語のほうを忘れることはないからです。一問一答しか出ない私立大学の地理歴史の対策を行う場合にすら、記述問題に取り組むことが重要であるのと同じ論理です。

語学に帰るなら、セットで覚えるべきことはたくさんあります。たとえばある新出単語については、対義語もセットで覚える。benignという単語を見たらmalignantとセットにして覚えるのですし、diarrhoea(ないしdiarrhea)という語を見たらdia-という接頭辞を持つ語や(ギリシャ語の)rheinに関係する名詞をひたすらピックアップしてみるのです。amenorrheaとかgonorrheaとかpyorrheaとかが有名でしょうか。これらをピックアップできたら、各々についてまた要素に分解して語源を検討してみてもよいでしょう。

あるいは同源なのに様子がおかしいスペルなんかもまとめてセットにして覚えてしまう。opticalという語を初めて見て辞書で調べたというのなら、これがギリシャ語の「眼」に関係する語だ、と気付くわけで、「じゃあ眼科はどう言うんだろう?」くらいの疑問は出る。調べれば、ophthalmologyという胡乱なスペルが出る。つべこべいわずにセットで覚えるのです。

あるいは留学するときなどに知らない単語に出会ったら、身近なネイティヴに「これの対義語って何?」と即座に聞く。これはかなりいいやり方です。

セットにして覚えましょう。