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平成生まれの平成論

こんにちは。yomtの“時計”です。先日『平成論―「生きづらさ」の30年を考える』という本をペア読書しました。その感想…なのか、なんなのかわかりませんが、読んで思ったことをつらつら書きます。

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『平成論―「生きづらさ」の30年を考える』を、ペア読書当日、会社帰りに出向いた青山ブックセンター本店で購入した。その日読む本を、その日に買う。なんの本を買ったらいいか?この人と一緒に読む本は何がいいか?結構、難しい問題(いざ本屋に行くと何も思いつかなかったりする)だが、ここからはじまるのが我らのペア読書スタイル。なぜ、この本を手に取ったかというと、友人も、自分も、平成元年の生まれだったからだ。平成元年生まれの二人が平成の終わりに平成論を読んで語る、というのはなんか面白そうだった。

ペア読書に関してはこちらのnoteが詳しいhttps://note.mu/1000tea_/n/nc4b9f41aee56


■平成は生きにくい時代だったのか?

平成論は、平成という時代と、宗教との関わりについて論じた本だった。語り手は、リベラルアーツ研究教育院の4人の教授(そのうち一人はあの池上彰氏)。平成は、ベルリンの壁崩壊、バブル崩壊から始まり、オウム真理教のテロ事件、911、テロとの戦い、中東における戦争、東日本大震災と展開していった。
60年台後半の学生運動の熱気や経済の盛り上がりが去り、信じるものを失った人がたくさんいた。そういう人は、何をしていいかわからない。何を信じていいかわからない。つまり生きにくさを感じていた。寄る辺を求めてたどり着いたのがオウム真理教を始めとした新興宗教だったという話。生きる実感を得たいがためISに参加する若者もいるという。

信じるものを失った青年・オトナたちにとって、平成はとかく生きづらい世の中だったと本にはある。
そこでふと、疑問が生じてくる。平成元年に生まれて、平成という時代しか知らない自分にとって、平成は果たして生きづらかっただろうか?何を信じて生きてきたのだろうか?


■平成元年生まれの平成論

大学生の前半くらいまでは、普通こうするでしょうというルートをそれなりに辿ってきただけ。毎日ゲームして、漫画読んで、ネットして、一応部活とかもやって、友達もそれなりにいて、家族には旅行にも連れて行ってもらって、楽しい日々ではあったけれども、今思えば心の底から何かに打ち込んだとか、熱中した経験はない。
勉強はハックするものだった。いかに効率的に内容を頭に入れ、試験で良い点数をとるか?勉強が好きというわけではなかったが、必要だったのでやっている、というスタンス。

でもいつからか、物事をそういうハックする対象としてではなく、自分ごととして捉えられる様になった。

思い当たる節は二つある。大学で学び始めたデザインの課題がやたら大変だったのと、これまた大学で入ったサークルが面白かったことだ。

デザインの課題は、明快な答えがあるものじゃなかった。課題のテーマという、大枠は与えられるものの、問の前提となる状況を自分で探して来なければいけないし、その上で問をたてなきゃいけないし、その問に答えるアウトプット力も求められた。否応なしに能動性を引き出させられた。しかし、やれどもやれども課題のクオリティはパッとしなかったが…

サークルは、活動のフォーマットは決まっていたけれども、参加するしないの自由は自分にあった。今までじゃありえないような遠出、行為を親不在で行ったというのが、結構大きかった。自分と人の楽しみのために、自分で考える。主体的になる。そういう経験をする、貴重な機会だった。イニシエーション。

そんでもって大学を卒業して、会社に入った。会社ではデザイナーとして働いている。

大学でやっていたデザインは所詮絵に描いた餅だった(それはそれで意味はあると思うが)ので、自分が作ったものが実際に世の中に出ていくことに、エラい感動したのを覚えている。一番最初にやった案件は、ちょっとしたバナーだったけれども、それでも感動した。
会社でやっていることは、誰かにためになるものを作っているし、自分の経験にもなっている、という実感がある。すなわち、会社でしていることを信じることができている。

まとめると、

〜高校:なんとなく生きている状態。
〜大学:デザインの勉強とサークル活動で主体性を獲得する。
〜会社:意義あることをできている。(と感じられている)

…こう振り返ってみると、何か自分が信じられるもの、頑張れるもの、楽しいものが見つかって、本当に幸運だったのかなと。
大学のときに、授業がつまんなかったら?
サークルがつまらなかったら?
会社に入って、働く意義を感じられなかったら?
どうなっていたんだろう。
生きる実感を求めてオウム真理教やISに身を投じた人たちのように、何かそういう、わかりやすく何かが得られるかもしれない活動に参加したのだろうか?

まとめ

結局のところ、本書『平成論』で語られている、平成が生きづらいというのは、自分にとって生きやすいところから、馴染みのないところにやってきた人たちの個人的意見に過ぎない…のではないか。平成ネイティブにとっては、個人的悩みは数多くあれど、それが果たして平成という時代のせいだったのかどうかは、よくわからない。大きな何かを信じるというよりは、自分が見つけた自分の楽しみを大切にしている感じはある。

果たして、来る新元号の時代が何十年と続いた末に、平成を振り返って、あるいは新元号の何十年を振り返って、自分がどんな思いを抱くのか。今から気になるところではあるけれど、それはその時のお楽しみ、ですね。

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