そのままの紫陽花

 自殺について思考する場面があります。苦手な方は、ご注意ください。




 目の前に私がいて、その私は何か書き物をしていて、私が見ているのにもかかわらず私には何の興味がないようで、必死に右手を動かしながら、小説だか俳句だか詩だか短歌だか訳の分からない文字列を量産している。この文字列は一体どうなるんだろう。ぐしゃぐしゃと丸められてゴミ箱に行くのか、パソコンに打ち直して小説などを載せることができるサイトに載せるのか。目の前の私は、どう考えているんだろう。

 昨日ゴミ袋へ捨てるのを忘れていた使用済みの生理用品の匂いで、私は目が覚めた。甘ったるいような、今にも血が叫び出すような匂い。社会人になってから、五回目くらいだ。自分の身体から出たものの匂いで目を覚ますというのは、私にとっては結構好都合だった。部屋中にある埃がキラキラと舞い上がり、部屋中がスノードームのような空間になる。日差しの眩しさに、頭がポヤプヤする。今日も仕事に行くために、職場の人間らしい仮面を張り付けようか。
 五月の朝はなかなか堪える。四月よりも日差しは強いし、六月よりもジメジメしていない。おまけに五月病という怠けてしまいたくなる恐ろしい病気が、様々な方に感染していく。勿論、私も感染する可能性がある。また、仕事のやり取りをしている相手が感染して仕事が進まなくなるといった可能性もある。「五月病だから仕方がないね」なんて言って、仕事の手を休めることができれば幸いなのだが、今の社会はそんなことを許してはくれない。病気に打ち勝って仕事をするまたは、病気を抱えながら仕事をしていくといったスタンスでいないと、たちまち世間の人々から悪口を叩かれる。「若いんだから、頑張りなさい」とか、「働かないと、生きている意味がないよ」とか、「働かないと生きていけないのだから、働き続けなさい」とか言われて、そういう道徳が正しいものと認識しながら、生きていかねばならない。この社会で人間という窓というか、枠というか、括りというか、箱というか、そういう範疇の中で生きていくためには、そういう言葉を噛み砕いて昇華していかないと後々面倒だ。病んだり病まれたりしつこく言われたり洗脳されたりするのはごめんだよ、本当に。
 そういえば、中国の古典で『杞憂』の熟語ができた話があったが、それでは終わらないくらいこの病は社会に浸透して、生きとし生ける全ての人々を巻き込んでいると思う。先日東京で会社勤めをしている友人から、満員電車に乗るたびに心臓が痛くてたまらないという相談を受けた。よくよく話を聞いてみると、彼女は満員電車というものが苦手なのではなくて、会社に行って朝の準備をするのが嫌だということが分かった。LINE通話で三時間ほどかけて判明した事実だった。
 でも、ガトーショコラのような土に稲の苗が刺さり始めると、私の気持ちは少しだけ上向きになる。この辺の農家だと、ゴールデンウィーク辺りから田植えを始める。車で買い物をしに大型ショッピングモールセンターへ行くときや、仕事で農村部を通るときには思わず窓を全開にして、その緑を身体の隅々まで取り込みたくなる。私のリセットポイントはきっと自然なのだろう。
 意識を今現在の景色に向け直すと、目の前に知り合いがいた。同じ課の七菜香ちゃん。後ろ姿を目に入れるだけで、彼女の付けているハンドクリームの香りが私の脳内に漂う。どうせ職場で会うけれど、挨拶しておいた方が何か気が楽だな。よし、少し早歩きで彼女の横に追い付くか。
 ひょこひょこひょこ。彼女の右斜め後ろに追い付いた。
「おはよう。今日も怠いよね~」
 少し声を張り上げて、彼女におはようを伝える。
「おはよう。まだ水曜日なんて辛いよね」
 七菜香ちゃんはいつもお洒落だ。えらいなと思う。着飾ることに対して抵抗がないというのは、羨ましい。でも、私には今の私がちょうどいい。無理をして疲れたくない。そういう気持ちを隠しながら、私は彼女の隣を歩く。

 お昼休みは感情と言葉のカルタ大会だ。
「きみも少しお洒落をしたら、どうだい」
「そうだよぉ。まだ二十代なんだからさ。もっと色んなことに挑戦しなよ」
 雑音だよ、こんなアドバイスという名の攻撃は。そう思った時期もあった。係長も先輩も正直何なんだろうな。そんなに今の私のことが気に入らないのだろうか。
「そうですねー。今度髪の毛でも染めてみようかな。あはは」
 極力、場の雰囲気を乱さないように高過ぎず低過ぎず早口でもなく優雅でもない声のトーンで、返す。青春を拗らせた老害の唾液に塗れた言葉って、擬人化したらネチョネチョしてそうだから、荒らしたくないんだよなあ。面倒くさい。
「いいんじゃない。あんまり明るい色にしなければ大丈夫よ」
 隣にいた人が泥船の助け舟をくれた。あははははは。あとは笑っておけば大丈夫だ。自己肯定力が一ミリも存在しない私からすれば、こんな言葉に傷付きまくって手首を引っ掻きまくったり、刺しまくったりしたくなる気持ちが満タンになる。でも、このことに彼らは一生気がつかないと思うとそういう気持ちが風呂釜の栓を抜くみたいに、どんどんどんどんどこかに流れていく。虚無だ。
 ふと、右斜め前に座っている七菜香ちゃんを見ると、彼女はスマホをいじっていた。前はこういう会話にすらっと入ってきていたけれど、最近は入って来なくなった。このことを係長とか先輩に影で「最近の若い人は自分の好きな情報だけに目が行くんだねえ」と言われていたことを思い出すと、私はできないなあと思う。どうせ文句を言われるなら、会話の方が楽だ。陰口にはイライラしてしまうから、駄目なのだ。

 人はいつでも自分の考えを相手に認めさせたい欲があるんだろうなということを、ここで働き始めてから知った。
「なんで、これでは駄目なんだ」
 窓口に目を向けると、後輩ちゃんと険悪な声を出しているお客様が目に入った。
「他の奴を出せ!」
「はーい!私翠川に代わらせてもらってもいいですか?」
 ちょっと馬鹿っぽく振舞っていて、相手にマウントを取らせてあげた方が、さっさと理解してもらえそうだな。私の中の私はそう直感して、少し高めのゆっくりした口調を選択した 後輩ちゃんに席を立つように目配せし、窓口から遠ざける。書類を見ると、印鑑が抜けていた。この書類は、印鑑を家で推してきてもらわなければならない書類だから、ここで押されるとまずい。あと、用件が正しく書かれていない。
「申し訳ありません。書類を見せいていただいたのですが、押印がないのと、委任事項欄に丸がついていないことから、この場でお受けすることはできません」
 できないことはできない。そういう意思表示が大切なのは、学生時代からきっと変わらない。できないものは、できないよ。法律違反は嫌だなあ。
「今ここで書いてしまえば、問題ないだろう!」
「そうしますと、その書類が偽造扱いになってしますので、お受けできません。本当にすみません」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!俺は今日仕事を休んでこの手続きをしにわざわざここに来てやっているんだ!」
 なんだ。怒っているのはそこか。案外いい人じゃん。この人、やり方を教えれば納得してくれる人なのかもしれない。良かったー。
「怒らせてしまって、申し訳ありません。この書類ですが…」
 できると思っていた手続きがスムーズにいかなくて、どうすればこの状況から進むことができるのか聞きたい人なんだ。そう思えば、対応は楽だ。
 内心、もっともっと怒れとも思う。彼の怒りのパワーが別の誰かへの暴力として向けれらる方がもっと怖いと、私は思う。元々は彼の妻の手続きを彼が行うという状況なので、彼が妻に当たってしまったらどうしよう、DV案件にまでなってしまったら、どうしようなどと考えてしまう私が、私の心の端っこに存在している。今回の手続きは窓口だけで終わらせることはできるが、家族関係は続いていくのだ。こういう些細なことがきっかけで、ドカンと心の中の火薬が爆発してしまう恐れは十分にあり得る。今、想像しただけで、右手の掌に汗が生まれた。大丈夫大丈夫。家族関係のことまでは、私に責任はない。追わなくてもいい。そう考えないと、この仕事は続けられない。深く考えるのは良そう。身体にも、心にも悪い。
「分かった。また来るわ。怒鳴っちまって、悪かったな」
 お客様はぶっきら棒かつつっけんどんに言葉を吐いた。
「お待ちしております」
 私は頭を下げて、次の番号札の方を呼ぶ準備を始めた。

 家に帰ると、私専用のごみ屋敷が朝と同じように建っている。災害でこのアパートが崩れてしまえば、私の部屋のごみが散乱してしまうから、どうか起こらないで欲しいと願うばかりだ。
 今日お怒りになったお客様の件を係長に話したが、私も後輩ちゃんもお咎めなしだった。安心した。お客様の一人相撲だったこと、言葉の使い方に間違いがなかったこと、規定通りの対応であったことは理解していただけた。
「お客さんが無事に帰ってくれてよかったよ。お疲れ様」
 前の係長みたいに「効率が悪い」と怒鳴られなくてよかった。後輩ちゃんも落ち着いていたので良かった。
「先輩は怒っている人相手に、どうしてそこまで平常心でいられるんですか」
 帰宅準備をしているときに、後輩ちゃんにそう質問された。
「感情をむき出しにできている人間に対して、その感情を否定さえしなければ、それ以上怒ることはないなあと思っているからだよ。悩んでいることが明確ではあるから、解決策は目の前にある。でも感情が優先してしまっているから、自分一人では解決できない状況にある人。その手伝いを私たちがしてあげればいい。そう思えるようになったら、対応することに関して別に恐怖心とか嫌悪感はなくなったなあ」
「………先輩、如来様の域に達してらっしゃる」
「まだ仏様になるには早いと思うんだけれどなー」
 後輩ちゃんに拍手される日が来るとは、思っていなかった。今度、駅前のコンビニでから揚げでも買ってあげようかな。

 文豪に関する本を読むときが、私が私でいられる唯一の時間だと思う。鏡に映った自分自身を見つめ返すような時間だ。後世まで残る名作を書き上げたけれど、私生活では人間らしいいい加減さがあったり、人間性を疑うようなところがあったりするのはとても面白い。勿論文豪の著作を読むのも好きだ。言葉という道具を使って人間や人々の生き様、自然や歴史を表現するというところが、私の魂に響いてくる。偽物ではない何かを感じるから。人間や物事に対する本質的な何かを掴んで文章を作っているから、もしくは掴もうと足掻いて文章を紡いでいるから、日常生活に溢れている嫉妬とか謙遜がない。きれいな世界だと思う。
 国語の授業で無理矢理習わされたときよりも、断然今の方が楽しい。人間という生き物を知る前と知った後では、読みどころが全く違う。前者は教科書的に読むし、後者は哲学書的に読むだろう。
 お酒、たばこ、パチンコ、ゲーム、舞台、音楽。この世はいい意味でも悪い意味でも依存できるものがたくさんあって。拠り所とするものや情報がたくさんある。それこそ星の数ほどあるだろう。そんな中で、私はゲームと本を取った。ゲーム自体は幼い頃に母に禁止されていたため、大学進学のときにデビューした。
 本は小学生のころから学校の図書館で頻繁に借りていた。でも、中学校のときに学校内の図書館の利用の仕方を教えてもらえなかったから、そこから少し読書という習慣から離れてしまった。大学で文学好きの友人ができたときから、少しだけ復活した。
 そういえば、最近郵便受けを見ていないことに気がついた。部屋を出て玄関に行き、郵便受けをパコっと開けてみると、三通ほど出てきた。二枚はダイレクトメールだった。化粧品と通販関係のものだった。取り敢えず、今の私には必要なさそうな情報だったから、その場でびりびりと破いた。一昨日ぐらいに食べたコンビニの炒飯のパックが入っているごみ袋にそれらを捨てる。残りの一通は封書だ。見慣れた文字で私の名前が書かれている。
「ほのかちゃんだ」
 大学からの友達で、文学好きな子からの手紙だった。文字の書き方も上手で、羨ましい。
 服だらけになっているソファーに私が座れそうなスペースを開ける。穂乃果ちゃんはそういえば紅茶好きだったなと思い返す。私は台所へ行き、急須と紅茶のティーパックを探す。案外早く見つかった。最近使っていなかったから、急須には蜘蛛の巣が生えていた。蜘蛛はいなかった。水道水でさっと流して、汚れていない布巾でさっと拭く。ティーパックはイチゴの紅茶味のものを選んだ。賞味期限が切れていなくてよかった。
 お湯を沸かしている間に、彼女からの手紙を読む。彼女の手紙はいつも時候の挨拶から始まる。それは私の記憶の中で、美しい栞になる。確か前回は桜の蕾が雪に負けずに存在しているのを見つめているだったかな。今回は、紫陽花が満開になるのが待ち遠しい今日この頃と書かれている。紫陽花は梅雨時の唯一の目の保養と言っても過言ではない存在だ。彼女の体で感じる自然の美しさを私が体感することはできないけれど、この一文だけでその美しさを分けてもらえた気がする。ふむふむ。続きを読もう。
 どうやら彼女は職場での人間関係に少し参ってしまっているようだった。上下関係とか職場内の友人関係の狭さや子供っぽさに振り回されたくないと思いながらも、人間関係において表れる見えない重力とでも呼ぶべき、『場の空気』に従って苦しいなと思っているらしい。辛いよな、面倒くさいよなと私も思った。
「『お前の思考や感情はおかしい。私の思考や感情が正当なんだ』と、言われている気がします。まあ、言われている気がするという表現だから、私の受け取り方が悪いのかもしれません。上司の思考や感情は上司のものであるので、私がいくら働きかけてもそれは変わらないだろうし、私の感情や思考は私にしか変えられないと思うから、私の受け取り方を変えていくしかないんですよね」
 ピーピーと薬缶が鳴る。私は台所に行き、ガスを止めてお湯をポッドに入れた。ポッドだけは清潔にしておかないと、急に体調を崩した時にえらい目を見ると知っていたので、いつも清潔にしている。コポコポと湯気を出しながら、ポットに吸い込まれていくお湯を見るのはとても楽しい。
「私は私のペースで進むしかないんだなと思いました。近代文豪のの小説を読むと、本当にそう思います。他人に合わせて生きていくと、足がもつれるし、喉は渇くし、息がしづらくなります。でもそういうことを学んで、自分が生きたいように生きるというのが現代を生きる私たちにとっては非常に大切なことなんだと思います。他人の幸せにマウントを取りたくなる気持ちや、自分の不平不満を他人に浴びせたくなる衝動は、罪です。悪です。そういう大人にはなりたくないなと思って、日々仕事をしています。頑張ってみます」
 分かりみが深いという流行り言葉があるけれど、まさにその言葉が私の頭を駆け巡っている。紅茶を飲みながら、私はずっと頷きながら手紙を読み返している。このテンションで返事を書こう。思い切ったが吉日。便せんやマスキングテープ、絵葉書を入れている棚は、幸いにも崩れていない。書くぞ!

 自分の言葉で自分の感情を書くと、仕事で文章を書くよりも疲れる。しんどい。でも、楽しい。ほのかちゃんへの手紙の封を、可愛い猫のシールにお願いして、私は床に倒れた。こういうときは、不思議とぐるぐると取り留めのないことばかりを思考してしまう。
 人に気に入ってもらうためには、その人の宝箱の中に入らないといけないとか。
 自分の内側の汚い部分を削いで、剥いで、抉って、綺麗な部分だけを与えなくてはならない。
 私は私ではない。人に気に入られていられる私でなければ価値がない。
 小学生のときに女子にはぶられたのも、中学生のときに先輩に殴られたのも、高校生のときに先生に切れられたのも、全部私が気に入ってもらうための努力を怠ってきてしまったせいなのだ。
 時計を見ると、もう今日が昨日になっていた。そろそろ寝ないと、明日に響く。

 ふう。今日の仕事も恙なく終わった。あ、嘘。一つだけ引っかかっていることがある。
「化粧品って何使ってる?」
「ドラッグストアで安く売っているものをその度に買っているから、分からないですねー」
 そういう風に答えたら、その場にいた人全員に微妙な顔をされた。
「もう二十五歳でしょう?お肌の曲がり角なんだから、意識しないと!」
「色々と気にした方がいいわよ。結婚とか意識しないとさっ」
「化粧は女の命なんだから、きちんとしたところのを買って武装しないと駄目よ」
 ぴいちくぱあちく喧々囂々同情と蔑みと興味の目が、私を見詰めていた。ん。私の毛穴にでも興味あるのかな。さっさと帰って小説読みながら寝落ちしたいなあ。
「分かりましたー!今度から気にしてみますね。お先に失礼します」
 私の声が聞こえているんだか聞こえていないんだかは分からないけれど、挨拶はしたのでもう帰っていいよね。じゃ、失礼します。

 化粧品ってお守りだし呪いだよなあ。道具としての価値が人によってこんなに異なるものを、私は知らない。可愛いものがたくさんあるけれど、それを使って自分が可愛くなりたいとは思えない。魔法少女のアニメを観ていたときには、コンパクトミラーやリップ、香水に興味を持っていたけれど、そういうものは本当の意味での魔法であり幻想だと薄々気がついている子どもらしくない子どもだったから。成人してからも、何故かそういうものには懐疑的になってしまった。
『お前は醜いね。心も顔も表情も』
 うーーーーーーーん。親に言われた悪口を思い出してしまった。辛い。クッションに顔を埋めていたけれど、不意にスマホに何かの着信があった気がして、顔を上げてスマホに手を伸ばす。
『たまには顔を見せなさい。近くに住んでいるんだから、それくらいするのは常識でしょう。いつまでも、意地を張らないで』
 死神なのか悪魔なのか。虫の知らせというのは、本当にあるんだなあ。親からの存在確認メールをそっと消去して、私は眠る。
「うーーーーーーん。生きるのはできるけれど、生き続けるのはしんどいなあ」
 【だからお前は駄目なんだ。他の子はちゃんとしている。同学年の子ができていることが、お前にできないのはおかしい。そんな風に育てた覚えはない。恥ずかしい。どうしてちゃんとできないの】
 駄目だな。脳内に親の言葉がこびり付いている。辛い。つらたんというべき状況だ。こういうときは私という人間から切り離れた生活を送っている人の色んな言葉を目に映してから、眠りたい。小説ではなくて、今現在生きている生身の人間が発している言葉を見たい。SNSを開き、仲良くしてもらっているフォロワーさんの日常生活を覗かせてもらう。
 猫、好きな作品や人物、犬、自分の子ども、今日あったこと、悩んでいること、社会への憤り、ちょっとしたモヤモヤ、長年のモヤモヤ、炎上、小鳥、小説、短歌、俳句、映えそうなもの等々。世界は色々広くて深い。
 SNSは私たちを全員文豪にする能力を持っていると思う。ツイッターもインスタグラムもフェイズブックも、自分若しくは他人に対して言葉を発信しているのだから。ああでも写真だけ挙げる人もいるか。その場合は写真家になるのか。ふむ。
「言葉と行動に責任を持たないと、生き延びられない世の中になったもんだな」
 大きな独り言を部屋にぶちまけてしまった。私はきちんとそういう人間になり切れているだろうか。

 気がつけば、七月半ばになっていた。夏季休暇を取る人が増え、クーラーの動作音が当たり前に聞こえる季節になった。。
「ねえねえ、今日飲みに行かない?」
 七菜香ちゃんとたまたまトイレで一緒になった。七菜香ちゃんは備え付けの鏡を覗き込みながら、可愛いデザインの口紅を塗っていた。様になる仕草だなあと感心しながら、私は手を洗い終えた。今日は家に帰ってぐっすり寝たい。クーラーで身体がくたくただから、早くベッドで横になりたい。
「ごめんね!お誘いは嬉しいんだけれど、今日は用事があるんだ」
 ぺこぺこと頭を下げて謝罪したあと、私は七菜香ちゃんの様子がおかしいことに気がついた。いつもなら、「そっか、また今度」とか言ってくれるはずなのに。ちょっと怖いな、もう少し会話を続けてみた方がいいのかな。
「七菜香ちゃんは優しいね。こんな私にもそういう温かい言葉を掛けてくれるなんて」
「………………………」
 七菜香ちゃんが無言になるのはとても珍しい。どうしたのだろうか。鏡越しに目を合わせると、彼女は雪よりも冷たい表情をしていた。ああ、この表情になる人間が私に対してどういうことを言ってくるのか、私はもう十分に理解している。
「きみはさ、本当にそうしたくて生きているの」
「どうして、そんな酷い言い方をするのさ」
 私は自分の口元に右手を当て、もう戻らない言葉の重さに愕然とした。覆水盆に返らず、売り言葉に買い言葉。
「なんだ。自覚があったのね。いや、きみの様子を見ていて、可哀そうに思ったから」
 私が握りしめた私の両手の平には、汗がたまり始めている。
「上司の言うことに反論せずに、ただ頷くだけで、何の成長もない。貶されても、言い返したり、傷ついたって自己表現したりしない。そういう様子がまじめな人間のロボットみたいで、きもい。人間のくせに、善人ぶらないでよ」
 地獄に落とされた音が聞こえたと思ったら、それは七菜香ちゃんがトイレのドアを閉めて出ていく音だった。捨て台詞かよ。こちらの意見や感情は無視ですか、そうですか。人権がないですね。そういう言葉が頭を巡っている。

 私の手が震えているという事実は、後輩ちゃんの発言で漸く知覚できた。
「先輩、全然有給を使っていないんですから、今日はもうそれで帰っちゃっていいと思いますよ。きっと夏風邪でしょ?課長が戻り次第、私が伝えておきますから」
 後輩ちゃんの言葉に、甘えさせてもらうようにした。後輩ちゃんにありがとうよろしくねと伝えると、私は机を片し始めた。七菜香ちゃんは窓口に出ていたから、ホッとした。バイバイ。お疲れ様。
 震えていた両手は、帰宅すると落ち着いた。でも、何故だか外に出たくなった。飛び出してみたくなった。叫び出したくなった。車の鍵とバッグを手に取って、私は駐車場へ駆け出した。

 アパートから車で四十分くらいの渓谷へ来た。赤い橋を渡ると、ちょっとした休憩所がある。私はふらふらと橋の端っこを歩いて、自分の目に山の緑が入ってくることを楽しもうとした。でも、楽しめない。何でだろう。
「死んでしまえばいいのさ」
 頭の中で、声がした。いや、これはきっと私自身の本心なのだろう。小説みたいに考えるなら、人間に擬態しようと毎日頑張っていたロボットが、同僚に「ロボットはロボットのままで人間になれない」と言われて落ち込んでしまうような場面なのだ。そうだ、死んでしまえばいい。欄干を超えろ、飛び降りろ。親も職場も人間関係も面倒だ。もういいや。欄干を強く握り始める私が、今ここにいる。それはなんだかすごく浮遊した目線のようで、心地がいい。もっと、深淵を覗いて飛び降りねば。
 私の目には自然だけが映っている。谷から生え出している木々の青々とした緑だけが、網膜に焼き付いている。昆虫がわんさかいそうなほど、豊かな緑色だ。少し目線を変えると、川の流れに目を奪われた。魚がいるのだろうか、鳥も休んでいるのだろうか。透明なようで青くて、緑色で、不思議な色の川だ。命の輝く音や光があるという感じがする。そういえば、蝉のような声も聞こえる。
 こんなに生命に溢れている場所で、私は死ぬのか。馬鹿らしい。
 今までの思考とは違う思考が、私の頭の中を巡り始める。ああ、なんだか、酷く喉が渇いている。

 私の幸福は私が作るしかない。他人に与えてもらう幸福は、幸福ではない。
 帰宅途中に寄ったハンバーガーショップで買ったチーズ入りのハンバーガーとフライドポテト、それと特大サイズのコーラを胃に入れる。ハンバーガーとポテトは温かくておいしいし、コーラは冷たくて気分がすっきりする。こうやって衝動的にものを胃に落とすために歯がきちんと動かせている。偉い。天才だ。涙が止まらない。でもいい気分だ。ふいに市内にこのハンバーガーショップができた頃のことを思い出した。お祖父ちゃんと一緒に食べて、お祖父ちゃんが「思っていたより固くねえんだな」と言っていたなあ。
 ボロボロと泣いた塩分以上の塩分が私の内側に吸収されたあと、私は歯を磨きたくなった。洗面台の前に立つと、目玉がギョロリとしている自分に会った。
「思っていたより、人間らしいじゃん、私」
 私は歯を磨き終えると、文庫本を読み始めた。今日は何となく、萩原朔太郎の詩集を読んでみた。私の住んでいるところに少しだけ縁のある方だから、何だか親近感が湧いてしまう。
 あ、と気がつけば時計は午前三時を指す直前になっていた。
 目玉の中が宇宙に嵌ったような感覚がする。思えば今日、自分の感情が変化しすぎたから、言葉に酔ったのかも知れない。ううん、もう今日は昨日になっているじゃないか。寝よう。
 電気を消して、ベッドの上に身体を横たえる。しかし眠気は訪れない。今日も仕事があるのに困ったな。時間給もらっちゃったから、今日はいつものテンションで職場に行きたい。ある程度正常な状態で仕事に励むためには、睡眠が必要不可欠だ。
 寝る、寝る、眠る、睡眠、安眠、眠り猫。宇宙に住んでいそうな猫のしっぽを三日月に見立てて眠ってしまえば、きっと眠れるはず。
 でも駄目だ。目が冴えてくる。暗闇なのに、星が見えてくる。流星、七夕、織姫、彦星。私も白色矮星くらいになれるだろうか。

 また、朝がやってきた。先日梅雨入り宣言が出たはずなのに、外が眩しい。カーテンを開けると、いつも通り埃がキラキラと舞う。ふと窓の外の様子が気になった。窓を開けると、川の手前に紫陽花が咲いているのが見えた。ぐるりと身体を捻って時計を見ると、まだ六時だった。三時間も眠れていないけれど、頭はすっきりしている。あ、紫陽花が笑っている。紫陽花を眺めたい気持ちが肥大化したので、川の近くまで散歩してみることにした。
 いつもつっかけと呼んでしまう正しい名称が分からない靴を履いた。人と歩調を合わせなければならない場面以外では、名称なんて名前なんてどうでもいい。
 腐った紫陽花が咲いている。いや、枯れているのだろうか。いやいや、腐っていると咲いているという状態は同時にありえるのだろうか。難しいことを考えなくていいのに、考えてしまう。そんな私自身を馬鹿だなあと笑う私の中の私もいる。いつの間にか私は世間に媚びていく私と、元々の私を分離させてしまっていたようだ。
 私の孤独は、私の中で輝く。
 それでいいんだ。食パンを食べて、職場に行こう。